うろ覚えライフ。

巷の旬な話題と情報への個人的意見、日々雑感。懐古・郷愁。漫画・映画・小説・ポピュラー音楽。

船場吉兆廃業

2008年06月02日 | 時事社会ログ

 

○断腸の思いで廃業を…湯木社長むせび泣きの会見

 

        ‥ --今回なぜ廃業に追い込まれたと思うか
 湯木社長 「5月2日の使い回しの件が発覚してから、お客さまの予約状況が、これまでの約半分から3分の1くらいに減って…。そして世間様をお騒がせし、これ以上営業を続けることはかえって…」
 《声がつまり、何度も言葉の空白が出る》
 湯木社長 「社会の皆様に申し訳ないと思いまして。いろいろ励まして頂いたお客さま、おいしいとおっしゃっていただけるお客さまいらっしゃいましたが、ご迷惑をかけることができないと思い、廃業させて頂きました」
--客をなめていた、あるいは商売をなめていた、甘くみていたという部分に関して、どのように反省しているのか、今どう考えているのか
 湯木社長 「再開後は決して使い回しは絶対にしておりませんでしたので、これから頑張ってお客様に喜んで頂くと、みな従業員一生懸命再開に向けて頑張っておりましたのに。決してお客様を…。喜んで頂くように、再開を全員一致してがんばっておりました…」
--その思いが、客の信頼回復につながらなかったのはなぜと思うか
 湯木社長 「やはり使い回しということがお客様の信頼、食に対する安心安全を裏切ったということで、大きな原因だと思います」 ‥

 

○老舗のおごり・・・ 暮れに鳴り響く軍艦マーチ

 

         暮れも押し迫った12月29日深夜、船場吉兆本店の大座敷は、異様な雰囲気に包まれていた。大音量の有線放送が夜気を震わせる。それも高級料亭にはそぐわない音楽。パチンコ店でおなじみの「軍艦マーチ」だ。

 客はいない。調理用の白衣を着た従業員が一心不乱に盛り付けにあたる。「さっさとやれ」「間に合わんぞ」。社長の湯木正徳(74)が怒鳴り声を上げる。壁一面に教訓を大書きした半紙が掲げられていた。

 「船場吉兆の未来はこの年末商戦にあり。全員総力を結集して勝利の杯を重ねよう」

 毎年、大みそかまで行われる社員総出のおせち作りの風景だ。売り上げの多くを占める物販部門の中でもおせちは主力中の主力。船場は限界を超える注文を受け、ぶっ通しの徹夜作業で帳尻を合わせていたという。

   ‥ 人よりカネとモノが最優先-。それが船場吉兆の経営方針だったと、元調理人が打ち明ける。

   ‥  「倹約」に始まった船場の経営体質はやがて、期限切れ商品のラベル改竄(かいざん)や、食べ残しの使い回しすら問題視しない、行き過ぎた営利主義へつながっていく。のれんの裏側では「使えるものはすべて使う」という食品衛生の非常識がまかり通るように。それらが露呈した結果、船場吉兆は廃業を選択するしかなかった。

   ‥ ずさんな食品管理と表示偽装を繰り返した末、廃業に追い込まれた船場吉兆。・・・

 

○<船場吉兆>解雇の仲居「放り出された」

 

       相次ぐ不祥事で廃業した料亭「船場吉兆」(大阪市中央区)に解雇された仲居の30代の女性が31日、大阪市内で記者会見し、「書類1枚を渡され突然解雇を告げられ、放り出された」と訴えた。

 女性によると、同社は28日朝、従業員を集め、女将(おかみ)の湯木佐知子社長(71)が廃業を謝罪し、代理人弁護士が退職後の手続きを説明した。その後、閉店した心斎橋店の備品運びなどを命じられ、夜まで作業したという。

 

 

 僕が、この廃業ニュースを聞いて、安易に思ったのは、なら、ブランド高級料亭というのを全面的に止めて、大衆食堂化してしまえばいいのにな、という新しい発想の転換だったんだけど。

 使い回しも、高額の金をふんだくる高級料亭が、そんな、食品の使い回しなんてひどいことをやって金だけはブランド店として当たり前に取っていたら、そんなものとんでもない詐欺行為だと腹が立つが、量が多くて値段が安い大衆食堂なら、実は使い回しもやってましたと言われても、まあ、そんなものかな、と思わず納得してしまうだろう。

 ウチは、一度出した食品を使い回すという、ブランド高級料亭にあるまじき行為をやりましたので、それを恥じて、その行為に見合わせて店格を思いっきり降格させ、大衆食堂としてやり直します、と言えば世間は納得するような気がするんだけど。

 一般庶民大衆としては、高級料亭の味が安い大衆食堂で味わえると思うし、けっこう客が入りそうな気がする。つまり質よりも量に価値転換して出直し、やって行くのだ。無論、高級料亭から大衆食堂に変わった時点で、腕の良い板前さんは辞めて行くだろうが、そんなの、細かい味は、新しい客層である、比較的貧しい庶民層には解るものか。高級な味が味わえると錯覚して、庶民は大衆食堂に殺到するだろう。と思うんだけど。船場吉兆には、いかに店格が降下しても昔のノウハウは残るだろうし。立地場所も思いきって郊外に変えて、長距離トラックの運転手も立ち寄れるように大駐車場も確保する。客層は工員作業員運転手の労働者層でいいのだ。こういうふうに大転換して立ち直るのだ。良いではないか。ただし、他の吉兆ブランドからの文句は来るかも知れないが。まあ、そんなの今でもやかましく来ていて、訴訟問題にまで発展しそうだけど。

 ただ、ここで老舗のブランド高級料亭という看板を、長年持っていた、吉兆一族のプライドを捨てることが出来るかどうかだね。いろいろと背負っている、古くて頭の固い女将の代はもうリタイアして、息子や孫の若い世代で、量が多くて値段が安い、大衆食堂レストランに大幅な方向転換してやり直せば、何かうまく行きそうな気もするのだけど。ささやき女将として、ごまかしごうつく婆の、悪いイメージが定着したことだし、もう、船場吉兆の悪いイメージは爺婆が全部背負ってリタイアして、若い代から刷新してクリーンイメージを作って行く。今度は大衆食堂だから比較的簡単だ。まあ、僕がゴチャゴチャ想像しても、しょせん他人事だけどね。

 大衆レストラン化したら、規模の大きな食堂でも、仲居さんなど料亭や割烹のように人員はいらないから、それでも結局、大幅なリストラは避けられない訳だけど。このいきなり首切られた、数多い雇用されてた人たちは問題だよなあ。

 

 

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世界最速の男

2008年06月02日 | スポーツログ

 

○ボルト9秒72、男子100メートルで世界新

 

       陸上のリーボック・グランプリは31日、当地で行われ、男子100メートルで、21歳のウサイン・ボルト(ジャマイカ)が9秒72の世界新で優勝した。従来の記録はアサファ・パウエル(ジャマイカ)が昨年9月に出した9秒74。

 昨年8月の世界選手権(大阪)で100、200メートルの2冠に輝いたタイソン・ゲイ(米)は9秒85で2位。

 

 

 僕らが子供の頃は、10秒の壁と言われていたものだ。アメリカの黒人選手が9秒99とか9秒98とか出した時は、そりゃあ驚いた。その後、9秒97が出て、また驚いた。

 何ですか、今は。9秒72!?9秒72とかが出ちゃってるんだ! その前の記録が9秒74。すごい世界だね。

 ただ、思うのは、今、水泳の、例の水着の質の問題で騒いでいるけど、世界の水泳は、素っ裸で泳ぐよりも、ほとんど全身を水着で包んだ方が、ぐんと良い記録が出る。何か、もう、選手の運動能力よりも、すっぽり包む水着の材質の問題になってしまっている。

 そう考えると、陸上競技にしたって、人間の運動能力の問題ではなくて、要は、トラックの床面の素材の材質とか、走るときに履くシューズの性能に寄るものが、かなり重要になってるんじゃないんだろうか、と、どうしても思っちゃうね。

 こうやって考えると、将来、陸上シューズの底面の材質をものすごく反発力のある素材にして、ジャンプ力が今までの5倍になるとかいう運動靴を開発すれば、当然、高飛びや幅跳びの記録は飛躍的に伸び、バレーボールでもバスケットでも全然違って来る。

 こうなって来ると、何だか、オリンピックなど世界スポーツは、人間の運動能力の限界性の勝負というよりも、科学の開発の問題の方が大きくなっているように感じる。

 子供の学校の運動会の世界でさえ、親は、子供のために、トラックを左回りにスムースに走れる機能のヤツとか、いろいろと走力を高める性能を付加された、新開発の子供用陸上靴を、運動会で走る為だけに買い与えているのだという。子供陸上用高性能シューズが売れているらしい。多分、けっこう値ははるんだろうな。

 アマチュアの運動選手も企業と契約しタイアップし、コスチュームから道具から何から企業コマーシャルする。

 やはり今や、人間のあらゆる生活面と市場経済は密接になっている。人間の行う全ての営みの、どのような面でも、さらにさらにどんどん市場経済が食い込み入り込んでいる。つまり金さえ持ってれば、あらゆる願いは適う世界になって行っている。さらにさらにどんどん金の万能化が進む。

 つまり、金があるかないかでの差別化が、またどんどん進むんだよね。

 極端な話、子供世界で、昔は居た、家が貧乏でも運動会での駆けっこが一番のヒーローは、現代のおぼっちゃんが高性能のシューズを履いて走られると、負けてしまい、学業の成績も、裕福な家の子供が優秀な塾へ通えば、学校以外のところで勉強を教われない子供は、当然、負けるんだよね。

 もう、全て金の力になっちゃう訳だ。

 結局、オリンピックも世界スポーツも、市場経済の中に組み込まれている。極端な言い方と取られるかも知れないけど、アメリカ型のような市場経済は、大きな格差社会を作る。絶対市場経済の社会は金が万能になり、格差社会が固定化されてしまい、貧乏は何世代も貧乏という、階級社会を作る。

 何か、せめて、スポーツの世界は、昔、アフリカの当時貧しい国の選手が、マラソンで金メダルを取って、裸足の英雄、と呼ばれた、そういうものがいつまでも象徴的な世界として、ずうっと残って行って欲しいなあ。

 ただ、現代社会は、また別の面で、例えば、アフリカの小国に、天才的な才能を持ったアスリートが現れた場合に、アメリカやヨーロッパの企業が資金面などいろいろと援助しつつも契約選手として、自分とこ企業の経済効果を生み出そうとするだろうし、これは国家の国威発揚的ナショナリズムとは別個に、グローバルな企業主義が大きく作用する。こういう、国家という頑固な枠組みを越えた、世界スポーツのまた違う、ボーダレスという良い面が育ち、現れているということだと思う。まあ、僕はそういうことに詳しい訳ではないが、多分、グローバル経済のもたらす、そういう良い面もあるんだろうと思う。

 この間見た経済番組の特集の中で、イギリスはロンドンに、今や世界最強の資源大国となったロシアの富豪や企業を、積極的にどんどん迎え入れて、ロンドン自体が 経済的に潤おうとしている。つまり鎖国主義の真逆の、ロンドンというアングロサクソンの砦みたいな町を開放して、積極的に外国の外人の金持ちをどんどん入れて、お互いの経済効果を上げて、共に潤おうとしている訳だ。この発想は、昔は長らく鎖国主義を取り続けた島国日本にはなかなか出来ない政策だなあ、と感心して思った。日本人には国民性的に抵抗がありそう。

 いえ、世界のグローバル経済の中の世界スポーツもまた、一緒にグローバル化して行っているという話の一端で。そう感じまして。

 

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