うろ覚えライフ。

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世界最速の男

2008年06月02日 | スポーツログ

 

○ボルト9秒72、男子100メートルで世界新

 

       陸上のリーボック・グランプリは31日、当地で行われ、男子100メートルで、21歳のウサイン・ボルト(ジャマイカ)が9秒72の世界新で優勝した。従来の記録はアサファ・パウエル(ジャマイカ)が昨年9月に出した9秒74。

 昨年8月の世界選手権(大阪)で100、200メートルの2冠に輝いたタイソン・ゲイ(米)は9秒85で2位。

 

 

 僕らが子供の頃は、10秒の壁と言われていたものだ。アメリカの黒人選手が9秒99とか9秒98とか出した時は、そりゃあ驚いた。その後、9秒97が出て、また驚いた。

 何ですか、今は。9秒72!?9秒72とかが出ちゃってるんだ! その前の記録が9秒74。すごい世界だね。

 ただ、思うのは、今、水泳の、例の水着の質の問題で騒いでいるけど、世界の水泳は、素っ裸で泳ぐよりも、ほとんど全身を水着で包んだ方が、ぐんと良い記録が出る。何か、もう、選手の運動能力よりも、すっぽり包む水着の材質の問題になってしまっている。

 そう考えると、陸上競技にしたって、人間の運動能力の問題ではなくて、要は、トラックの床面の素材の材質とか、走るときに履くシューズの性能に寄るものが、かなり重要になってるんじゃないんだろうか、と、どうしても思っちゃうね。

 こうやって考えると、将来、陸上シューズの底面の材質をものすごく反発力のある素材にして、ジャンプ力が今までの5倍になるとかいう運動靴を開発すれば、当然、高飛びや幅跳びの記録は飛躍的に伸び、バレーボールでもバスケットでも全然違って来る。

 こうなって来ると、何だか、オリンピックなど世界スポーツは、人間の運動能力の限界性の勝負というよりも、科学の開発の問題の方が大きくなっているように感じる。

 子供の学校の運動会の世界でさえ、親は、子供のために、トラックを左回りにスムースに走れる機能のヤツとか、いろいろと走力を高める性能を付加された、新開発の子供用陸上靴を、運動会で走る為だけに買い与えているのだという。子供陸上用高性能シューズが売れているらしい。多分、けっこう値ははるんだろうな。

 アマチュアの運動選手も企業と契約しタイアップし、コスチュームから道具から何から企業コマーシャルする。

 やはり今や、人間のあらゆる生活面と市場経済は密接になっている。人間の行う全ての営みの、どのような面でも、さらにさらにどんどん市場経済が食い込み入り込んでいる。つまり金さえ持ってれば、あらゆる願いは適う世界になって行っている。さらにさらにどんどん金の万能化が進む。

 つまり、金があるかないかでの差別化が、またどんどん進むんだよね。

 極端な話、子供世界で、昔は居た、家が貧乏でも運動会での駆けっこが一番のヒーローは、現代のおぼっちゃんが高性能のシューズを履いて走られると、負けてしまい、学業の成績も、裕福な家の子供が優秀な塾へ通えば、学校以外のところで勉強を教われない子供は、当然、負けるんだよね。

 もう、全て金の力になっちゃう訳だ。

 結局、オリンピックも世界スポーツも、市場経済の中に組み込まれている。極端な言い方と取られるかも知れないけど、アメリカ型のような市場経済は、大きな格差社会を作る。絶対市場経済の社会は金が万能になり、格差社会が固定化されてしまい、貧乏は何世代も貧乏という、階級社会を作る。

 何か、せめて、スポーツの世界は、昔、アフリカの当時貧しい国の選手が、マラソンで金メダルを取って、裸足の英雄、と呼ばれた、そういうものがいつまでも象徴的な世界として、ずうっと残って行って欲しいなあ。

 ただ、現代社会は、また別の面で、例えば、アフリカの小国に、天才的な才能を持ったアスリートが現れた場合に、アメリカやヨーロッパの企業が資金面などいろいろと援助しつつも契約選手として、自分とこ企業の経済効果を生み出そうとするだろうし、これは国家の国威発揚的ナショナリズムとは別個に、グローバルな企業主義が大きく作用する。こういう、国家という頑固な枠組みを越えた、世界スポーツのまた違う、ボーダレスという良い面が育ち、現れているということだと思う。まあ、僕はそういうことに詳しい訳ではないが、多分、グローバル経済のもたらす、そういう良い面もあるんだろうと思う。

 この間見た経済番組の特集の中で、イギリスはロンドンに、今や世界最強の資源大国となったロシアの富豪や企業を、積極的にどんどん迎え入れて、ロンドン自体が 経済的に潤おうとしている。つまり鎖国主義の真逆の、ロンドンというアングロサクソンの砦みたいな町を開放して、積極的に外国の外人の金持ちをどんどん入れて、お互いの経済効果を上げて、共に潤おうとしている訳だ。この発想は、昔は長らく鎖国主義を取り続けた島国日本にはなかなか出来ない政策だなあ、と感心して思った。日本人には国民性的に抵抗がありそう。

 いえ、世界のグローバル経済の中の世界スポーツもまた、一緒にグローバル化して行っているという話の一端で。そう感じまして。

 


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