■ラサ市の名刹セラ寺の分院として18世紀半ばに建立されたのがラジャ寺で、寺の北側には見上げるような岩山が屏風のように切り立っております。以前からこの岩山の絶壁に英語で「フリー・チベット」と書かれているとの伝説があるようですが、含蓄のあるブラック・ジョークです。数キロ上流に鳥葬場があるからか、岩山には大型の猛禽類が巣を作っていて、恐ろしく澄んだ青空を背景にして気持ち良さそうに旋回していたりします。多くのチベット仏教寺院と同様にラジャ寺もちょっとした都市のような規模を持っていまして、全盛期には2000人近い僧侶が修行していたそうです。解放(侵略)戦争の後、仏教撲滅を目指して定められた出家僧侶定員制度によって「396人」の定員が押し付けられているそうですが……。
■南岸の町である軍功郷のチベット人住民とラジャ寺の僧侶全員を総動員しても「4000人」には足りないかも知れません。まあ、それくらいの迫力のある大群衆が警察署に押し寄せたという少々文学的な誇張があるのかも知れません。しかし、仮に1000人だったとしても日頃は静かな山奥の田舎でのことですから、これは大事件には違いありません。その中の誰かが本当に「チベット独立」を叫んだのか?それとも単に「漢族は出て行け!」と言ったのを拡大解釈したのか?真相は闇の中ですが、大群衆の中から「主犯格4人」を特定して逮捕することなど出来るのでしょうか?まさか取る物も取り合えずに駆けつけた僧侶の手にプラカードが掲げられていたはずもないでしょうに……。次は北京発の産経新聞記事です。
中国国営新華社通信によると、青海省ゴログ・チベット族自治州で21日、チベット寺院の僧侶約100人を含む数百人が地元警察署を襲撃し、地元政府の数人が軽傷を負った。当局は22日、6人を逮捕した。しかし、89人は自ら警察に出頭したという。これらのうち、93人が僧侶だという。当局は暴動の発生を警戒して厳戒態勢を敷いているが、僧侶らによる大規模な暴動が伝えられるのは初めて。暴動のきっかけは、チベット独立を支持する活動をした疑いで拘束されていた男性が脱走、その後行方不明になったとの情報が原因とみられるという。
■ここでは「その後行方不明」という話になっております。先の「川に跳び込んだ」という報道と繋ぎ合わせますと悲しい結論になってしまいそうです。「独立」だの「分裂」だの、ちょっと前なら「反革命」だのの嫌疑を掛けられた人が逮捕直前に自殺するという話は何度も耳にするものです。マスコミもマトモな裁判制度も無い国で、官憲に睨まれたら御仕舞いで、人権思想の欠片も存在しない場所ならば苛烈な拷問も当たり前でしょうし、一族郎党も過酷な生活が強いられるのは目に見えているからなのでしょう。地元政府の役人が「軽傷」を負ったとなれば、その落とし前を着けるためには手段を選びませんから、89人が「自主」する前にどんな脅迫宣伝が行われたことやら……。
チベット亡命政府(インド・ダラムサラ)によると、集まった人数は約4000人で、「チベット独立」のスローガンを叫ぶなどした。……ダライ・ラマ14世がインドに亡命した「チベット動乱」から50年にあたる10日には、僧侶が同自治州の寺院に掲げられていた中国国旗を降ろしてチベットの旗を掲げたことで当局が寺院を封鎖。僧侶らを取り調べていたが、そのうちひとりが自殺を図り、僧侶らが警察署に抗議したという。
3月23日 産経新聞
■町を複数の寺院が取り囲んでいるような場所では、夜の闇に紛れて悪戯を仕掛ける小さな?事件は頻発しているようです。町の目抜き通りにチベット国旗を掲げるとか、地元公安の建物に胸のすくような言葉を書いた紙を貼ったり……。でも、寺と僧侶の数の多過ぎて犯人の特定は不可能ですし、伝統的に門前町ともなればまだまだ住民の多くはチベット人で、もしも不確かな容疑で名刹の僧侶を拘束でもしようものなら、大変な事が起こりますからなあ。そういう場所には独特の緊張感が漂っているものです。
■しかし、今回の事件が起こった場所はラジャ寺しかありませんから、袈裟姿の僧侶はラジャ寺の人間以外ではあり得ません。境内に五星紅旗が掲げられていたのが事実なら、おそらくは北京五輪の開催を前にした「愛国教育」を目的として始められたか、「解放してくれた有難う」記念日に向けた思想教育の一環として、地元の事情も知らない愚かな役人からの指示に従って現地の政府が寺に命令したものと思われます。交通の便が悪いことが幸いして、観光化の並とも無縁だったラジャ寺は、本格的な修行が出来るゲルク派の寺院として有名ですから、そんな場所に「教育」を仕掛ければ大きな反発を受けるのは当たり前でしょう!きっと軍功郷の役人も、嫌な予感がしていたに違いありません。
■南岸の町である軍功郷のチベット人住民とラジャ寺の僧侶全員を総動員しても「4000人」には足りないかも知れません。まあ、それくらいの迫力のある大群衆が警察署に押し寄せたという少々文学的な誇張があるのかも知れません。しかし、仮に1000人だったとしても日頃は静かな山奥の田舎でのことですから、これは大事件には違いありません。その中の誰かが本当に「チベット独立」を叫んだのか?それとも単に「漢族は出て行け!」と言ったのを拡大解釈したのか?真相は闇の中ですが、大群衆の中から「主犯格4人」を特定して逮捕することなど出来るのでしょうか?まさか取る物も取り合えずに駆けつけた僧侶の手にプラカードが掲げられていたはずもないでしょうに……。次は北京発の産経新聞記事です。
中国国営新華社通信によると、青海省ゴログ・チベット族自治州で21日、チベット寺院の僧侶約100人を含む数百人が地元警察署を襲撃し、地元政府の数人が軽傷を負った。当局は22日、6人を逮捕した。しかし、89人は自ら警察に出頭したという。これらのうち、93人が僧侶だという。当局は暴動の発生を警戒して厳戒態勢を敷いているが、僧侶らによる大規模な暴動が伝えられるのは初めて。暴動のきっかけは、チベット独立を支持する活動をした疑いで拘束されていた男性が脱走、その後行方不明になったとの情報が原因とみられるという。
■ここでは「その後行方不明」という話になっております。先の「川に跳び込んだ」という報道と繋ぎ合わせますと悲しい結論になってしまいそうです。「独立」だの「分裂」だの、ちょっと前なら「反革命」だのの嫌疑を掛けられた人が逮捕直前に自殺するという話は何度も耳にするものです。マスコミもマトモな裁判制度も無い国で、官憲に睨まれたら御仕舞いで、人権思想の欠片も存在しない場所ならば苛烈な拷問も当たり前でしょうし、一族郎党も過酷な生活が強いられるのは目に見えているからなのでしょう。地元政府の役人が「軽傷」を負ったとなれば、その落とし前を着けるためには手段を選びませんから、89人が「自主」する前にどんな脅迫宣伝が行われたことやら……。
チベット亡命政府(インド・ダラムサラ)によると、集まった人数は約4000人で、「チベット独立」のスローガンを叫ぶなどした。……ダライ・ラマ14世がインドに亡命した「チベット動乱」から50年にあたる10日には、僧侶が同自治州の寺院に掲げられていた中国国旗を降ろしてチベットの旗を掲げたことで当局が寺院を封鎖。僧侶らを取り調べていたが、そのうちひとりが自殺を図り、僧侶らが警察署に抗議したという。
3月23日 産経新聞
■町を複数の寺院が取り囲んでいるような場所では、夜の闇に紛れて悪戯を仕掛ける小さな?事件は頻発しているようです。町の目抜き通りにチベット国旗を掲げるとか、地元公安の建物に胸のすくような言葉を書いた紙を貼ったり……。でも、寺と僧侶の数の多過ぎて犯人の特定は不可能ですし、伝統的に門前町ともなればまだまだ住民の多くはチベット人で、もしも不確かな容疑で名刹の僧侶を拘束でもしようものなら、大変な事が起こりますからなあ。そういう場所には独特の緊張感が漂っているものです。
■しかし、今回の事件が起こった場所はラジャ寺しかありませんから、袈裟姿の僧侶はラジャ寺の人間以外ではあり得ません。境内に五星紅旗が掲げられていたのが事実なら、おそらくは北京五輪の開催を前にした「愛国教育」を目的として始められたか、「解放してくれた有難う」記念日に向けた思想教育の一環として、地元の事情も知らない愚かな役人からの指示に従って現地の政府が寺に命令したものと思われます。交通の便が悪いことが幸いして、観光化の並とも無縁だったラジャ寺は、本格的な修行が出来るゲルク派の寺院として有名ですから、そんな場所に「教育」を仕掛ければ大きな反発を受けるのは当たり前でしょう!きっと軍功郷の役人も、嫌な予感がしていたに違いありません。