旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

松山上陸作戦 其の七

2007-03-17 13:10:07 | 著書・講演会
■坂道を登って行ったのは、「萬翠荘」と「愚陀仏庵」を見学するためでしたが、フランスから資材を取り寄せて建てられたロココ調の「萬翠荘」の手前に、木造平屋の建物が有りまして、『坊っちゃん』が骨董攻めに遭う下宿のモデルとなった所と推定されていると聞いて、生徒と一緒にしみじみと眺めたのでした。「愚陀仏庵」は結核を発症した子規が漱石と同居した有名な建物で、1階を子規に明け渡した漱石は連日続く盛大な句会の話し声が邪魔で読書も思索も出来なくなってしまいます。子規との友情を優先した漱石は、子規一派を追い出すのではなく、自分も句会に参加することにしました。そこから作家・漱石が育って行くことになったのですから、『坊っちゃん』胚胎の地と言えるでしょうなあ。元々は、今の場所と松山中学と正三角形を作る位置に当たる市中の繁華街に有ったそうで、焼失後に再建しようという計画が持ち上がった時にその場所の選定で大いにもめたそうです。

■歴史的意義を考えたら元の場所が良いでしょうし、文化遺産とするのならビルに取り囲まれて見下ろされることになる場所は不都合です。熱い議論の末に四季の変化を感じられる樹木に囲まれた場所に再建される事に落ち着いたそうで、目出度し目出度し。では、再建計画から漏れた現地はどうなっているかと言うと、「愚陀仏庵」の名前を冠した駐車場になっております!その近くに『坊っちゃん』でウラナリ君の送別会が開かれた料理屋に比定される店も有ります。我らは同地区の「喫茶 坊っちゃん」で昼食を採りました。帰り際にママさんから岩波の漱石全集の装丁を模した店のマッチを人数分頂きました。

■路面電車でいよいよ「泳ぐべからず」の道後温泉に向かいました。なかなか大仕掛けのカラクリ時計を見物してから、温泉周辺を散策。完成したばかりの『坊っちゃん』記念の碑も拝見しました。漱石の生原稿を刻み、早坂暁氏が揮毫(きごう)した小さいけれど立派な物でした。アニメの『千と千尋の神隠し』に登場する湯屋に似ていると言われる温泉建物前で、半日かけて御案内下さった頼本会長とはお別れでした。一同で御礼を申し上げ、ぞろぞろと3階の座敷に上がったのですが、入り口で待ち構えていた産経新聞の記者に捕まり?小生だけはそれに応じて10分ほど送れて上がりました。慌てていたので下足箱の鍵を落としてお騒がせしてしまったのは汗顔の至りでありましたなあ。利用したのは2階の浴室なので、1階よりも小さめ浴槽なので泳げませんでしたが、座敷で美味しいお茶と「坊っちゃん団子」を楽しめましたぞ。翌日、産経新聞さんは写真入りの立派な記事を掲載して下さいました。

■ぬるめの湯なのに不思議に湯冷めしないのが道後温泉の特徴らしく、ぽかぽかしたまま坊っちゃん列車に乗って市内に向かいました。通常の路面電車に乗り換えて愛媛大学へ、先生方は翌日のシンポジウムの打ち合わせなどで一室に籠もってあれこれ細かい相談を始めたので、我々は5年のブランクで錆付いているかも知れない『坊っちゃん』翻訳の能力を互いに確認しようと、控え室に使わせて頂いた部屋のホワイト・ボードを使って中断していた箇所から、昔通りの翻訳演習を再現したのでした。拙著では「幻のバッタ事件」という章を立てておきました通り、当面の難所はバッタとイナゴの訳し分けと、漱石一流の江戸っ子の駄洒落!


…俺はバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きな図体をして、バッタを知らないた、なんのことだ」と言うと、一番左の方にいた顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞなもし」と生意気に俺をやり込めた。「べら棒め、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生をとらまえてナモシた何だ。菜飯(なめし)は田楽のときよりほかに食うもんじゃない」とあべこべにやり込めてやったら「なもしと菜飯とは違うぞなも、もし」と言った。いつまで言ってもナモシを使う奴だ。…

■この「菜飯」と「なもし」を掛けた江戸っ子の啖呵(たんか)をどうやってチベット語に写すか?これは大問題なのであります。一種の感嘆詞で文末に付く「なもし」はチベット語訳には反映されていませんし、「菜飯」を分かり易く説明したらますます「なもし」から離れて行きますからなあ。その解決策は後ほど書きましょう。さてさて、打ち合わせと相談が思いの外長くなってしまった先生方が部屋に入って来た時には、すっかりチャプチャの学校時代が蘇ってわいわいがやがや盛り上がっていたものですから、きっと暇を持て余して退屈しているに違いないと思っておられた先生方は目を丸くしていましたなあ。


学校には宿直があって、職員が代わる代わるこれを務める。但し、狸と赤シャツは例外である。何でこの両人が当然の義務を免れるのかと聞いてみたら、奏任待遇だからという。面白くもない。月給はたくさん取る。時間は少ない、それで宿直を逃れるなんて不公平が有るものか。勝手な規則をこしらえて、それが当たり前だというような顔をしている。よくまああんなにずうずうしく出来るものだ。これについてはだいぶ不平であるが、山嵐の説によると、いくら1人で不平を並べたって通るものじゃないそうだ。1人だって2人だって正しい事なら通りそうなものだ。山嵐は might is right という英語を引いて説諭を加えたが、何だか要領を得ないから、聞き返してみたら強者の権利という意味だそうだ。…

■小一時間でこの程度の翻訳が出来ましたぞ。「奏任待遇」などは今の日本人だって分からない単語も、簡単に説明したらあっさりとチベット語になりましたし、以前から気になっていた「山嵐」は棘棘の有るネズミに似たあの動物を指しているのか?などというややこしい話まで挟んでの翻訳ですから、生徒たちの腕は鈍っているどころか、ますます磨きがかかっている事が確認されたわけですなあ。大したものです。夕食を済ませて「智房庵」に落ち着いたのはすっかり夜の帷(とばり)も下りた午後9時頃でした。1日中歩き回り、道後温泉に浸かったと言うのに生徒達は元気で、薪ストーブの近くに思い思いに席を占めて各自が持参した『坊っちゃん』の文庫本を読み始めました。そこに宿舎の管理責任を負ってる矢澤先生が入って来たので、チベット人が日本語の文庫本を読んでいる風景にちょっとした衝撃を受けた模様でしたなあ。

■来日してから『坊っちゃん』を購入した生徒達は、所々は読み飛ばしつつも既に2回も3回も通読しているとのことで、今回は頭の中でおおまかな翻訳をしながらの下読みを始めたというわけです。小声で意味を確認し合いながら真剣に読んでいる姿は、なかなか迫力の有る緊張感を醸し出しておりましたなあ。

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