旅限無(りょげむ)

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松山上陸作戦 其の壱拾参

2007-03-17 17:37:16 | 著書・講演会
■今回の連載では、言語や翻訳についての記述は冗長になるので、極力避けて来ましたが、3日間の中には相当に込み入った内輪の討論が展開されたのでした。『坊っちゃん』の舞台を歩き回った体験は、翻訳をする上で最良の資料となるのは間違いのないところですが、それは空間的な勘を養うのに役立つという限定が付きます。各種の文庫版や全集に収蔵されている『坊っちゃん』は、100年前の小説でありますから、さり気無く登場する品物の名前や地名、風俗習慣に関連する単語が、現代の日本人にとっても理解が難しい場合が多いわけで、手元に有る帰国後に入手した講談社版『少年少女日本文学館第2巻 坊っちゃん』は、極力、原典に忠実な表記で編集されています。子供用なので楽しい挿絵が入っているばかりか、「四つ目垣」「袷(あわせ)」「人力車」「西洋館」「鬼瓦」「硯の眼」……と懇切丁寧に図解してくれています。さて、そんな古典文学をまったく歴史と文化が異なるチベットの言葉に写し返るのか?という大問題は残っているのであります。

■その対応策を相談しながら、翻訳の大方針を何度も何度も確認する討論が必要だったのでした。インターネットを駆使しても、定期的に一堂に会して翻訳演習が出来ない状態で、どのように翻訳を進めて完成に持ち込むのか?あれこれ大小の方策が提案されては、皆で検討して実現実行の可能性を吟味したのです。詳しい事は割愛するとして、生徒たちの日本語能力が向上するにつれて、日本語との文法対応を強調する従来の翻訳法では、「日本語みたいなチベット語になってしまう」ので、多くのチベット人に『坊っちゃん』の面白さを伝えるにはどうするか?そして、分担作業で完成させるにはどうすべきか?などなど、技術的な問題から心構えまで、重層的に込み入った問題を、全部日本語で!討論を繰り返したというわけでした。それを眼前に見てしまった松山の関係者は、実に貴重な体験をしたということになりますなあ。

■拙著『チベ坊』の書名を初めて知った人は、誰しも「どうして漱石とチベットなんだ?」と怪訝な思いに駆られるものです。チベットには世界の知的遺産と言うべき膨大な仏典と文学作品が残っている事が、不思議なくらいに世の人々は知りません。それらのほとんどが、言語的にまったく異質のサンスクリットと漢籍からの翻訳を基盤としているという驚くべき事実も、余り知られていませんなあ。「あいうえお」と「テニヲハ」が気味が悪いほど似ている日本語から、有名な小説を翻訳するくらいなら、専門が理系の生徒達にとっても、多少の助力を得られればそれほど難しいことではないのです。この理屈を理解して貰うのが大変なのです。拙著の読者の皆様なら、それが御理解いただけるのですが……。今回、日本語でチベット人翻訳者!と交流した松山の有志の皆さんは、この道理を身を以って理解したでしょう。

■さてさて、すっかり暗くなった大学構内を出まして、愛媛大学の学生御用達の居酒屋に繰り出した我々一行でしたが、今回のイベントの興奮からか、道々交わしたお喋りも、妙に言語学的な話題に流れたのでした。面白かったものをご紹介しますと……チベットの家畜に名前が有るのか無いのか?チベット人が飼っている犬や羊が複数である場合、色や体型を示す一種の記号のような名称を用います。しかし、日常的な会話で「チベット人は家畜に名前を付けますか?」と問われた場合に何と答えるべきなのだろう?日本人がペットの犬や猫に「クロ」「シロ」「ショコラ」などと毛色を表わす名前を付けるのと、それは同じなのだろうか?決定的なのは、チベット人は「顔黒の羊」「大角の山羊」などの名称を付けても、絶対にその生き物をその名前では呼ばないという事実です。従って、チベット人は家畜(犬を含む)の個体を区別するために「記号」としての名前は付けますが、日本人のような家族扱いの名前は使わない、という結論になりました。

■歩きながら納得した一同の中、片上先生から、「以前、勤めていた高校で、同じ苗字の教員が4人も居ました。同僚教員は、それぞれを1号、2号、3号、4号と呼び分けていましたが、米国から研修に来た教師から、英語にしたらNo.1~No.4になるのに、どうして1番、2番…と言わないのか?と問い詰められて、大いに困りました」とのお話が出ましたなあ。日本語の「1号」と「1番」はどう違うのだろう?と、チベット人と日本人が考えながら居酒屋に向かって歩いている図は、なかなか面白いでしょう?旅限無としましては、面目に懸けて気の利いた答えを見つけようと、ちょっと頑張ってみました。仮説として、「1号」には機能性や生命反応、つまり動態的なイメージが有りますが、「1番」には単なる順序を示すだけで静態的なイメージが有るのではないでしょうか?と精一杯の思い付きを披露したところ、皆さんが納得してくれたのでした。そうこうしている間に、目的地の居酒屋に到着です。

■学生向きに良心的な値段で酒と肴を提供しているお店なので、皆で注文をまとめる前に、こちらは一計を案じまして店員のお兄さんに、安めの焼酎を1本と「小さめのぐい飲み3箇」を注文してしまいまして、細工は隆々、仕上げをごろうじろで御座います。松山名物と学生向き料理、チベット人向きに肉料理などの品定めが決まりまして、お決まりの中生ビールも人数分です。予定通りに中生ビールと同時に、御銚子も注文していない座敷席に空っぽのぐい飲みが3箇と料理が載っていない空の平皿が焼酎の瓶と一緒に運ばれて来まして、所在無げに卓上に置かれます。事情が分からない日本人勢は「何事か?」と心配顔なのですが、我らチベット軍団は目配せもせずに、はいはい、それそれ、と皿の上にぐい飲みを正三角形にセッティング、1人の生徒はさっさと焼酎の瓶を手にとって封を切り、小生からの「おい、日本人用に半分だぞ」の指令に従って、3箇の小さな器に焼酎を注いで準備完了!

■総責任者の大任を果たした佐藤教授に皿を捧げながら、チベット人学生代表がお礼と慰労の言葉を述べます。眼を白黒させながらも、厳粛に礼を受けようとする佐藤先生に、「皿ごと受け取って下さい。右手の薬指を器の一つずつに浸して指を天に向かって弾いて下さい」と矢継ぎ早に御教授しまして、ちょっとぎこちなくチベット式の乾杯を強制されてしまったのでした。日本でも「駆けつけ三杯」と申しますが、チベット式の乾杯は、指を使った儀式が終わったら、ぱっぱと3杯の酒を嚥下(えんか)しなければなりません。まあ、健康上の理由や体調の問題が有る場合は、「指で天に弾くだけでも良いですよ」と生徒達が助言した通りなのですが、大任を果たした安心感からか、感動のあまりか、佐藤先生はチベット人も惚れ惚れするような飲みっぷりを示したのでした。

■多数のチベット人にたった一人招き入れられたような場合は、集中攻撃を受けて「潰される」運命に追い込まれるのですが、今回は主賓が何人も居たのでその難は免れました。モンゴル文化が御専門の矢澤先生は、「モンゴルに似てますね」と仰りながら、見よう見真似ながら、なかなか堂に入った飲みっぷりでした。写真はその時のワン・ショットであります。

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