旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

松山上陸作戦 其の壱拾弐

2007-03-17 17:36:51 | 著書・講演会
※写真は愛媛大学職員会館ロビーでの生徒達の「別れ」の場面です。泣いているのは、撮影用のヤラセ演出なのか、それともヤラセにかこ付けて涙を誤魔化したのか、それは謎のままです。

■交流会の後片付けが終わったら、さすがにタフなチベット人生徒たちも草臥れて、思い思いに床を延べて横になり始めました。実は、講演会の度に使っている授業風景や翻訳演習の様子を撮影したビデオ映像を、彼らは一度も見た事が無かったのです。今回の講演会でも早送りをした上に途中で上映を止めて翻訳デモンストレーションに流れたので、彼らは是非とも全部を観たかったのでした。「ビデオを観ようか?」の一言に寝入ったばかりの生徒ももぞもぞと起き出します。部屋に有るビデオをお借りして上映会をと思ったのですが、いろいろな機械が複雑に接続されていて、30分ほど皆で格闘したものの、結局上映に成功せず落胆した思いで疲れが倍増しまして、皆でぐっすりと松山最後の夜を眠って過ごしたのでした。でも、神仏の御加護と人の親切によって翌日にしっかりとビデオ映像を堪能する事が出来ましたぞ。

■一夜が明けますと、松山最後の3月11日です。午前中は市内から少し離れた所にある「坊っちゃん劇場」でミュージカルを鑑賞し、午後は大学に戻って休息と懇親会を兼ねた反省会のような集まり、それから出発ぎりぎりまで『坊っちゃん』の翻訳を少しでも進める予定になっておりました。今回の交流イベントに協賛して下さった「坊っちゃん劇場」さんには、我々のために特別料金を設定して頂きました。小生は勝手ながら別行動を取らせて頂きましたので、ミュージカル鑑賞には参加しませんでしたが、生徒達は本当に楽しんで来ましたぞ。劇場の人達とも特別な交流が出来たようで、以下のサイトに記事が載っています。

松山「坊っちゃん劇場」のスタッフ・ブログ

■すっかり『坊っちゃん』のストーリーが頭に入っている生徒達は、ジェームス三木さんの脚本がオリジナルを思い切って再解釈した事がはっきり分かって、帰りの船に乗るまで待機することになっていた愛媛大学の職員会館に先に落ち着いていた両国の学生達は、昨日のシンポジウムを取り上げた当日の新聞を回し読みしたり、ミュージカルの話題で盛り上がっていました。ああでもない、こうでもないと一端(いっぱし)の『坊っちゃん』評論を繰り広げている風景は、頼もしいものでした。小生は、NHK教育テレビが放送した特集番組で、脚本のジェームス三木さんや主役を演じた役者さんのインタヴューを含めた舞台の中継録画を観ていたことも有りまして、個人的な都合を優先させて頂いたのですが、生徒達はのびのびと過ごす事が出来て良かったようですなあ。愛媛大学の学生諸君ともミュージカル『坊っちゃん』という共通の話題ですっかり打ち解けたようですし、支援して下さった皆さんが組んだ企画は、こうして滞り無く消化されまして、交流と『坊っちゃん』のチベット語翻訳実現に向けての一歩を踏み出せたと言えそうです。

■イベントの締め括りとして、両国の学生がレポートを書くことになったのですが、チベット人学生は日本人学生に負けない質と量の文章を書き上げたので、改めて面目を施すことが出来ました。翻訳と自由作文は違う能力が求められますからなあ。こうして、3日間ともに過ごした愛媛大学の学生諸君とのスケジュールは全て終了という事になりまして、出港までの時間をどう過ごすか?という分かり切った事が、チベット人生徒から蒸し返されたのでした。翻訳をやるに決まっておるではないか?と小生は応えたのですが、大阪で再会して以来、旧交を温める酒宴が足りない!というのが連中の主張で、「久し振りに会えたのですから、先生、飲みましょう!」の大合唱に押されまして、それも道理が有る話なので、「よーし、では多数決!」ということにして、決を採ったら圧倒多数が「酒!」に手を上げたのでした。

■急に決まった宴会なので、愛媛大学の両先生と、陰に陽にイベントの進行をサポートして下さった片上先生も個人として参加するとの申し出を受けまして、少々残った後片付けを済ませ次第に大学近くの居酒屋に向かう事となりました。さて、ここでビデオ上映が出来るか出来ないか、最後のチャンスとなったのです。残念ながら職員会館にはビデオ再生機器が備えられておらず、丁度、受験期間に当たっていた大学構内は、あちこちが出入り禁止の厳しい管制下に有って視聴覚機材を持ち出せないという不運が重なっているとの事で、諦めるしかないかなあ、と相談しているところに、会館の管理をしている御夫人が、個人的に宿直室で使っていた再生専用のビデオ・デッキのリモコンが故障したのでリサイクル業者に渡そうと仕舞い込んでいた一台が有ることが判明したのでした。早速、1階ホールに設置してある大型テレビに接続して手動スイッチを操作してみますと、見事に鮮明な画像が得られたのでした。

■6年前の各クラスで撮影した授業風景を講演会用に編集した30分ほどのビデオでしたが、偶然にも自分達のクラスが写っているとて、生徒達は大喜びでした。『坊っちゃん』翻訳演習の風景も、右も左も分からず、小生の指示と誘導に従ってもたもたと翻訳している初々しい自分達の姿を見た生徒達は、感無量の表情で画面を一心に見詰めていましたなあ。ビデオの再生が可能となったのを確認してから、先生方とちょっとした打ち合わせをしていた小生は、ビデオの最後に「極秘の映像」が収められていることをすっかり失念してその場を離れてしまったのは迂闊でした!

■用件が済んでホールに戻ると、まるで人気が失せたように静まり返ってビデオ映像の音声だけが響き渡っていたので、もしやと思って小走りにテレビが有る場所に来て見れば、既に秘密が秘密でなくなっていたのでした。それは、「我が師」が個人的に開いて下さった別れの席の映像なのです。拙著『チベ坊』に書いた通り、「我が師」は日本語会話にはまったく興味が無く、もっぱら文法に集中した変則的な日本語学習を数ヶ月間で終了し、狂言『附子(ブス)』、柳田國男のラジオ講演録『日本語成長の楽しみ』、そして、チベット学の権威である山口瑞鳳氏の難解なチベット文法に関する日本語論文を、立て続けにチベット語に訳したという事になっています。

■しかし、品詞名や助詞の種類などなど、「我が師」と小生との間で交わされた濃密な議論の中には、多くの日本語が混入していましたし、「我が師」の方でも個人的に教科書準拠の会話テープを入手して聴き始めていたので、「てにをは」が妙に強めの日本語会話が少しは出来るようになっていたのです。小さな内輪の宴会という気安さで、「我が師」は小生との思い出を日本語で楽しそうに語っている映像が、問題のビデオには収められていたというわけです。チベット語文法の鬼として有名だった「我が師」でしたから、生徒達は画面上で温和な表情で笑いながら「日本語」を話している「我が師」が、まったくの別人としか思えなかったようですなあ。「日本語が話せたのか?!」「こんな顔をしていたかなあ?」そんな声が上がっていました。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
御言祝ぎを申し上げます (わくわくふわく改めわくわくももこ)
2007-03-18 20:35:31
トラックバックありがとうございました。生徒さんたちの来日の様子、堪能させていただきました。
生徒さんたちあの日の情熱がせめておらず、坊ちゃんの時代と隔世の感ある現在の日本で、松山の人たちと温かい交流をして帰られた事を、心からうれしく思います。師弟の再会、誠におめでとうございます。
返信する
わくわくももこさんへ (旅限無)
2007-03-18 20:56:32
温かいコメント、ありがとうございました。出来うるならば、日本中を「坊っちゃん翻訳劇団」でも結成して巡業したほどですが、生徒たちもそれぞれ専攻する学術的な研究と生活を稼ぐアルバイトで忙しいので、日本語とチベット語の奇跡的な出会いを実際にご披露する機会を作れない事情があります。可能な限り、松山での楽しい交流を稚拙な文章ながら、頑張って再現してご紹介したと思います。これからも拙著『チベ坊』を応援して下さい。
返信する