いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
四向四果
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
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沢山のエール、ありがとうございました。
お陰様で、悪あがきにも俄然力が入ります。
とはいえ、これからもこれまで通り、僕の書けることしか書けないわけですが…。
お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
さて、チョットだけ吹っ切れた感もあるので、この勢いに任せて新たな話題に入っていきたいと思います。
これまでのお話より、かなりマニアックな話題となりますので、どこまでわかりやすく出来るか、自分でもまだわかりません。
でも、やってみます。
これから書こうと思っていることは「悟り」についてです。
前回書いたとおり、その内的体験には、色々な呼び名があります。
「気付き」「至高体験」「悟り」「アセンション」「預流果」「究極体験」「無我」「覚醒」その他諸々…
言葉は違えど、その言葉の指す意味は同じです。
さて、ではその内的体験って、一体なんなのでしょう。何が起こるのでしょう?
仏教には、輪廻からの解脱、涅槃に入るまでの、悟りの階梯・段階を示す言葉があります。
・預流向(よるこう)
-----------------------------------
・預流果(よるか)
・一来向(いちらいこう)
・一来果(いちらいか)
・不還向(ふげんこう)
・不還果(ふげんか)
・阿羅漢向(あらかんこう)
・阿羅漢果(あらかんか)
4つの「向(目標)」と4つの「果(到達)」の合わせて8段階。
これを合わせて『四向四果(しこうしか)』と言います。
ここ最近の精神世界で取り上げられる内的体験、「気付き」「至高体験」「悟り」「アセンション」「究極体験」「無我」「覚醒」などの言葉はほぼ、この8段階の中の2番目『預流果』のコトを指しています。
「悟り」なんて言葉を聞くと、どこか「煩悩全てがごそっと抜け落ちる」みたいな印象があるかと思いますが、そうではありません。
それは、悟った後の最終段階、「阿羅漢果」の状態のことなんです。
では、悟りの入り口「預流果」とは何なのか。
そのお話に進む、その前に…
ここら辺の記事を思い出していただけると助かります。
・2008年05月12日投稿「よっぱらい」
・2008年05月14日投稿「あの日」
・2008年05月15日「よっぱらい.2」
・2008年05月16日投稿「酒類」
・2008年07月31日投稿「預流果」
・2008年10月01日投稿「主観」
・2008年10月02日投稿「認識範囲」
・2008年10月07日投稿「生死」
←こんなマニアックな話でも応援していただけますか?
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沢山のエール、ありがとうございました。
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とはいえ、これからもこれまで通り、僕の書けることしか書けないわけですが…。
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これまでのお話より、かなりマニアックな話題となりますので、どこまでわかりやすく出来るか、自分でもまだわかりません。
でも、やってみます。
これから書こうと思っていることは「悟り」についてです。
前回書いたとおり、その内的体験には、色々な呼び名があります。
「気付き」「至高体験」「悟り」「アセンション」「預流果」「究極体験」「無我」「覚醒」その他諸々…
言葉は違えど、その言葉の指す意味は同じです。
さて、ではその内的体験って、一体なんなのでしょう。何が起こるのでしょう?
仏教には、輪廻からの解脱、涅槃に入るまでの、悟りの階梯・段階を示す言葉があります。
・預流向(よるこう)
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・預流果(よるか)
・一来向(いちらいこう)
・一来果(いちらいか)
・不還向(ふげんこう)
・不還果(ふげんか)
・阿羅漢向(あらかんこう)
・阿羅漢果(あらかんか)
4つの「向(目標)」と4つの「果(到達)」の合わせて8段階。
これを合わせて『四向四果(しこうしか)』と言います。
ここ最近の精神世界で取り上げられる内的体験、「気付き」「至高体験」「悟り」「アセンション」「究極体験」「無我」「覚醒」などの言葉はほぼ、この8段階の中の2番目『預流果』のコトを指しています。
「悟り」なんて言葉を聞くと、どこか「煩悩全てがごそっと抜け落ちる」みたいな印象があるかと思いますが、そうではありません。
それは、悟った後の最終段階、「阿羅漢果」の状態のことなんです。
では、悟りの入り口「預流果」とは何なのか。
そのお話に進む、その前に…
ここら辺の記事を思い出していただけると助かります。
・2008年05月12日投稿「よっぱらい」
・2008年05月14日投稿「あの日」
・2008年05月15日「よっぱらい.2」
・2008年05月16日投稿「酒類」
・2008年07月31日投稿「預流果」
・2008年10月01日投稿「主観」
・2008年10月02日投稿「認識範囲」
・2008年10月07日投稿「生死」
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コメント ( 10 ) | Trackback ( )
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偉大な覚者として歴史上有名になっている人でも、阿羅漢果まで到達してる人は少なそうですね。
預流果はすぐに体験してみたいけど、阿羅漢果はじいさんになってからでいいかなぁ……という感じですf^_^;
DNAの中にそういうものになりたいという願望、宿命が刷り込まれてるのかしらね?
うちの娘たちもセーラームーンが大好きでしたよ。
でも、どっちにしても仮想敵を倒す物語なのよね。
敵とか味方とかは西洋的な思想のような気がするけど、日本のアニメは世界中の子供たちに受けてるから、一概にそうともいえないのかしら。
ここらへんがいつもひっかかるところです。
子供は素直だし無垢だけど染まりやすいし、コントロールもしやすい。
人類のひな形だからね。
その段階別指導法は必要あるのかなあ。。。
ちょっと疑問がわいたので、質問させてください。
最近、罪悪感こそが、最も不要で害のある感情だと思うようになりました。
罪悪感とは、自己の存在価値を正しく認識できず、過小評価していること(無価値感)から、生まれるような気がしています。
で、いわゆる、至高体験について、見聞きして、自分なりに解釈していることなんですが・・・。
いわゆる「至高体験」や「ワンネス」を経験すると、自分が絶対的な創造主であったことを悟る。
つまり、自分がもともと完全であり、絶対的な存在価値のあるものだということを思い出す。
だから、「無価値感」そのものが、完全なる錯覚であったことを悟るので、
「無価値感」から生じていた「罪悪感」「苦しみ」「欝」など、生じえなくなる。
こんな解釈をしています。
でも、黒斎さん、微妙に、ヘコんでるご様子が、時おり、見受けられるのですが・・・(汗
ヘコむわけがないですよね?
私の気のせいですよね・・・?
私の解釈が間違ってたのか!だなんて、思いたくないのです(笑)。
ね?気のせいですよね?
人はもうこれ以上、ヘコんだり悩んだり苦しんだりする必要なんて、ないんですよね?
人はこれ以上、へこんだり悩んだり苦しんだりする必要なんて、ないんですよね?
って心から思ってるなら人に確認作業などする必要はないのでは?
へこむのと、鬱は違いますよ。
ちなみにわたしは鬱病なんてあまりに導入的な病名はつけられてませんが(笑)
へこむことはめったにないです。
心がニュートラルでいられることは、本当に幸せな事で 周りの人におすそ分けしたくなるんですよね!
だから 行き着く先は 争いのない平和な世の中になるんじゃないかな??(ねずみ算式に・・・)
幸せなら態度で示そうよ、ほらみんなでポチっと
押そう!
>「無価値感」から生じていた「罪悪感」「苦しみ」「欝」など、生じえなくなる。
すみません、読んでいてまず、大前提が違うのでは?と感じてしまうのですが A^^;)
「ワンネス」を経験したとしても、罪は罪ですし、それに対する罪悪感はあるのではないでしょうか?全てが自分だとしても、自分に悪い事をするのは悪い事でしょうし。
んー、何をどう感ずるのか?どう考えるのかはドロたんさん次第ですが、それを考えていくのも人生の課題かな?と思いますかね~(*^-^*)
あれはみていてそんなに気分のいいものではないですね。
イエスを磔の刑にしろと騒いだのは
他でもない持ち上げていた民衆ですから。
だから、黒斉さんたちを素晴らしいなと思っても
どうもうまく持ち上げられません。
でも、頑張ってくださいね☆
さらに理解が深まりました。
難しいことをなんとか伝えようと
試行錯誤されている黒斎さんの
熱意と表現力に脱帽です。
コメントはあまり書かない方ですが、
応援ポチはいつも押してます^^
これからも楽しみにしています。
しております。
コメントはあまり出ませんが
ポチッは何時も忘れた事はありませんから。
今回初めてコメントさせて頂きますが、1年半位前に深夜のテレビで紹介されたときからこのブログの事を知った者(40歳サラリーマン、妻子持ち)です。
初めてこのブログをみた時には直感で本物なんだな~と感じてはいたものの、昨年自分が鬱で会社に行けなくなるまでは、それっきりでした。
でも、ある日思い出してプロローグから読ませて頂き、社会復帰する大きなきっかけになりました。
本当に感謝しています。
ありがとうございます。
このブログで発信しているメッセージは奥深いながらも我々に少しでも判り易いよう、手を変え品を変え、あの手この手で一つの事を伝えようとしている熱意が、とても暖かく伝わってきます。
それに、難解な言い回しを避けてわかりやすい表現をされているので、心に「すっと」浸透していきます。
理解したつもりでも人生で実践しなければなと思っています。また、「言葉遊び」に陥らないように気をつけようとも思っています。
これからも応援させて頂きます。
黒斎さんの行っている事はとても意味のある事だと思います。