いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
認識範囲
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
********************************************
さて、ここで一度お話を整理してみます。
今回お話する内容は、「実際には“私”は実在しない」ということについてです。
ここでの「私」は、存在の根源を指す言葉ではなく、「自分」と「自分以外」というように、物事を分断して捉える「独立した存在」を示した言葉です。
これまでにお話してきた「錯覚」を、明確に言い表すと、「本来は一つの存在なのに、“私”という独立した存在があると勘違いしている」と言うことです。
ですから「無我」と言っても、存在その物が消えて無くなるのではなく、「あれ・これ」や「私・他人」と言ったような「区別・固定概念(境界線)」が消えるというニュアンスです。
少々回りくどい表現になってしまい申し訳ありませんが、まずは上記のニュアンスを感じ取ってください。
普段私たちは、「私」に対して「Aさん」「Bさん」という「自分以外」の人や物が独立して存在していると思っています。
ですが、それは真実ではありません。
「私」も「Aさん」も「Bさん」も「同じ存在」なんです。
それぞれが独立して存在しているのではなく、その存在はひと繋がりの「同じ存在」なんです。
例えるならば、「人体」というモノを「存在の全て」と考えた時、「私」は右手人差し指。「Aさん」は左手薬指。「Bさん」は左手の親指。と、言った具合。
元々は「人体」という、一つの大きな存在であるにも関わらず、「右手人差し指」「左手薬指」「左手の親指」が独立して(切り離されて)存在していると勘違いしているんです。
なぜそういった勘違いが生まれてしまっているかと言うと、それぞれの「繋がり(因縁)を捉える事ができていないから」です。
上記をさらに図解します。
プールに入っている状態を想像してください。
プールの中から、手の指先だけを出します。
「水上」が普段僕たちの「五感」で認識出来る領域で、「水中」が僕たちの認識能力を超えた領域です。
自分の能力において、水中がどうなっているかを把握出来ないとしたら、水の外に出ている「指先」は、まるで独立して存在しているかの様に見えてしまいます。
ですが、それを認識出来ようが出来まいが、実際には「人体」という、ひと繋がりの存在なんです。
よく「他人にしたことは自分の身に帰ってくるぞ」なんて事が言われますが、上記の様に考えれば当然の結果です。
「右人差し指」が「左親指」を痛めつけたとしたら、やはり「自分」が痛い思いをする羽目になります。
「私(右手人差し指)」が思う「自分」も「Aさん(左手薬指)」が思う「自分」も「Bさん(左手親指)」が思う「自分」も、実は「同じ自分」なんです。
ずーっと「“私”とは“右手人差し指”である。」と勘違いしていた状態から、“右手人差し指”という“固定概念”が欠落した時、“人体”という存在の全体像が見えてくるんです。
2008年07月01日投稿「探求」において、『人間の脳は、「ある」と「ない」という2つの極端な捉え方でしか理解出来ない構造・仕組みになっています。』というお話をさせていただきました。
それは、まさにこのことなんです。
私たちは五感で捉えられることが存在の全てと勘違いしてしまっているんです。
ですが、僕たちの認識能力は「不完全」です。
どんなに健康な人でも、物事のほんの一部しか捉えることができません。
僕たちの五感では認識出来ませんが、「電波」は確実に存在しています。
嗅覚も犬の能力にはとても追いつけません。
僕たちには「無臭」でも、彼らにはシッカリ「存在」しています。
聴覚もそうです。僕たちが捕らえることが出来る周波数には限りがあります。
目に見える範囲も限られています。
結局、全体像を把握できていない、不完全な状態なんです。
さらに。
アナタの指先をじっと観察してみてください。
いま、アナタの目に映っている「指先」は、アナタが2歳の時と「同じ指先」ですか?
そうですよね。同じはずはないですよね。
爪も細胞も汚れ方も中に流れる血液も、何から何まで変わってしまっています。
色もサイズも質感も匂いも、全然違います。
それに気づくと、もう「指先がある」とは、厳密には言えなくなってくるんです。
「今」という瞬間の「指先」はあっても、次の瞬間には、もう「別な指先」になってしまっているんです。
どうでしょう?
こんな表現で伝わりますか?
←認識能力許容範囲。
********************************************
さて、ここで一度お話を整理してみます。
今回お話する内容は、「実際には“私”は実在しない」ということについてです。
ここでの「私」は、存在の根源を指す言葉ではなく、「自分」と「自分以外」というように、物事を分断して捉える「独立した存在」を示した言葉です。
これまでにお話してきた「錯覚」を、明確に言い表すと、「本来は一つの存在なのに、“私”という独立した存在があると勘違いしている」と言うことです。
ですから「無我」と言っても、存在その物が消えて無くなるのではなく、「あれ・これ」や「私・他人」と言ったような「区別・固定概念(境界線)」が消えるというニュアンスです。
少々回りくどい表現になってしまい申し訳ありませんが、まずは上記のニュアンスを感じ取ってください。
普段私たちは、「私」に対して「Aさん」「Bさん」という「自分以外」の人や物が独立して存在していると思っています。
ですが、それは真実ではありません。
「私」も「Aさん」も「Bさん」も「同じ存在」なんです。
それぞれが独立して存在しているのではなく、その存在はひと繋がりの「同じ存在」なんです。
例えるならば、「人体」というモノを「存在の全て」と考えた時、「私」は右手人差し指。「Aさん」は左手薬指。「Bさん」は左手の親指。と、言った具合。
元々は「人体」という、一つの大きな存在であるにも関わらず、「右手人差し指」「左手薬指」「左手の親指」が独立して(切り離されて)存在していると勘違いしているんです。
なぜそういった勘違いが生まれてしまっているかと言うと、それぞれの「繋がり(因縁)を捉える事ができていないから」です。
上記をさらに図解します。
プールに入っている状態を想像してください。
プールの中から、手の指先だけを出します。
「水上」が普段僕たちの「五感」で認識出来る領域で、「水中」が僕たちの認識能力を超えた領域です。
自分の能力において、水中がどうなっているかを把握出来ないとしたら、水の外に出ている「指先」は、まるで独立して存在しているかの様に見えてしまいます。
ですが、それを認識出来ようが出来まいが、実際には「人体」という、ひと繋がりの存在なんです。
よく「他人にしたことは自分の身に帰ってくるぞ」なんて事が言われますが、上記の様に考えれば当然の結果です。
「右人差し指」が「左親指」を痛めつけたとしたら、やはり「自分」が痛い思いをする羽目になります。
「私(右手人差し指)」が思う「自分」も「Aさん(左手薬指)」が思う「自分」も「Bさん(左手親指)」が思う「自分」も、実は「同じ自分」なんです。
ずーっと「“私”とは“右手人差し指”である。」と勘違いしていた状態から、“右手人差し指”という“固定概念”が欠落した時、“人体”という存在の全体像が見えてくるんです。
2008年07月01日投稿「探求」において、『人間の脳は、「ある」と「ない」という2つの極端な捉え方でしか理解出来ない構造・仕組みになっています。』というお話をさせていただきました。
それは、まさにこのことなんです。
私たちは五感で捉えられることが存在の全てと勘違いしてしまっているんです。
ですが、僕たちの認識能力は「不完全」です。
どんなに健康な人でも、物事のほんの一部しか捉えることができません。
僕たちの五感では認識出来ませんが、「電波」は確実に存在しています。
嗅覚も犬の能力にはとても追いつけません。
僕たちには「無臭」でも、彼らにはシッカリ「存在」しています。
聴覚もそうです。僕たちが捕らえることが出来る周波数には限りがあります。
目に見える範囲も限られています。
結局、全体像を把握できていない、不完全な状態なんです。
さらに。
アナタの指先をじっと観察してみてください。
いま、アナタの目に映っている「指先」は、アナタが2歳の時と「同じ指先」ですか?
そうですよね。同じはずはないですよね。
爪も細胞も汚れ方も中に流れる血液も、何から何まで変わってしまっています。
色もサイズも質感も匂いも、全然違います。
それに気づくと、もう「指先がある」とは、厳密には言えなくなってくるんです。
「今」という瞬間の「指先」はあっても、次の瞬間には、もう「別な指先」になってしまっているんです。
どうでしょう?
こんな表現で伝わりますか?
←認識能力許容範囲。
コメント ( 34 ) | Trackback ( )
« 主観 | 休業 » |
多分、今の私は、Aha扉を開けるための鍵が、いくつか足りない状態なんでしょうなぁ。
私という言葉がいらない訳ですね♪
海と波みたいな…
>次の瞬間には、もう「別な指先」になってしまっているんです。
のところで、つまづきました~。あー。
人と話してると、どっちが云った言葉かわからないことで盛り上がったり、喧嘩になったりするのも、
うなずけるような。
そこでいつまでも、自分の手柄にこだわったり、自分の過失を認めなかったりすると、
苦しむんですね、結局。
そういうことかな?
違うのかな?
世間一般の常識の中で暮らしつつ
私、にこだわらなくなると
損得では得られない心地よい境地に至るでしょうね。
できるのかな?
してみようかな。
どうしようかな。
でも、こう打ってる今の気持ちはとても軽いです。
悪いことではなさそう。
指の話はどこかで聞いた事がありますが、プールの水上を持ち出して、五感で認識できる領域とできない領域としたことでより理解しやすいです。
たとえば私が右手の親指だとしたら、お隣の国・中国は左手辺りで、アフリカなんか左足、だったりして・・。
物理的にどんなに離れていても、まったく繋がりがない様にみえても、体という全体の部分なんですよね。
自分は右手の親指ではなく体の一部なんだって解ったら、左手や左足の痛みも解るし、快適(平和)でいて欲しいです。
私とあなたは表面的には違っていても、ひとつなんだっていう認識があれば世界は平和になりそう♪
「ここ」にある海水は今この時と、一分後とでは全く違う。混ざりあったり、蒸発したりするし、「ここ」にさっきまであった海水ではない海水が流れ込む
これと同じように指先(ここ)も変わっている
「ここ」ってのはすぐ変わってしまうわけだ
そうすると自分(ここ)と思ってる場所も変わってしまうのは分かるだろうし、元々「ここ」と言えるものでもないわけだ
このところの記事に なるほど!って膝を打ったかと思いきや
あ、でもまだここんところが自分の中で微妙にストンとしない・・・ なんて感じのあいだを 楽しくゆーらゆーらと行ったりきたり。
でも 今日のはわかりやすいー 図説があるとすっごくわかりやすいですううー
絵はコクサイさんが描かれたんですよね。 いいですねー^^ いい♪
と思って、
プールの図のようなことを考えていたら
皆何処かに繋がっているのか…じゃあ僕たちは大元に動かされているのか?
と…
早くも混乱してきました…
masaへ
見た「瞬間」と次の「瞬間」では
見た目は同じように見えるかもしれないけど
中の血だったり細胞だったりは刻々と変化していくものであって
一時も同じものは無い。
という意味で「別の指先になっている」ということではないでしょうか?
最終的には何が言いたいの?
この認識が日本中に広まればもっと住みよくなるのに……
って、まずは僕からですね^^;
自分が1番この手の認識(実感)が足りないし……。
愛と善意に基づいた思考を継続します!( ‘∀’ )
自分は何者でいったいどこにいくのでしょうか?
www.noorallahproducitons.com
情けは人の為ならず とか
昔の人はわかっていたのかなあ、
私はあなた、あなたは私ってことが。
自分から発したものは自分に返ってくるのね。
最近の記事を読んでいて考えていた事があったのです。
それは、自分という存在を地球という生物を構成している一つの細胞として考えると、という風に意識を広げると自分の持っている主観がすごくちっぽけなものだなって事なんです。
いやまあ、地球も宇宙を構成しているものの一つって所まで意識を広げて、結局自分達そのもの全てが世界であって、個別に別けられるものでもないんだなぁって思ったんですが、そこまで話しを広げると唐突過ぎる気もするんです。
ただ、一人一人が自分自身が世界の一部だって認識をもってより良くあろうとすることで世界全体がより良い方向へ上昇して行くのかなぁなんて思いました。
そして死についても自分を地球の一部だと考えると、『自分』という状態がなくなるだけて土になったりバクテリア等を初めとして色々な生物に食べられたりして形は違えどこの世界には存在し続けるわけで、ただ状態が変わるだけってのはこういう事なのかななんて思いました。
そして今回の記事、人の思考も体を構成する細胞も一分一秒で刻々と変化をしているものだから、そのばに固定して捉えられる『自分』はいないと、そういう事でしょうか?
長々と失礼しました(__)
分りますよ。私には分りやすいです。
しかも丁寧に画付きですから
あなたは私で私はあなた
いつも娘に言ってる言葉と同じ
やったことは必ず(イイことも悪いことも)戻ってくるからね
でも実行が難しい
嫌いな人も、ヤッパリいるし
でもでも
それも、学びってコトなのかな
自分自身に誠実でありたい
(かつてはこんなコト思いもしなかった)
最近、コクサイさんがこんなにも分かり易く丁寧に時間かけて教えて下さる意味を考えてしまう
万人に、事態を教える使命を持って生まれて来たのかな~
とか
プールの水の中と水面に出た指。なるほどー。
だらか私には関係ないはずの友達同士の喧嘩(笑)を見るだけで、胸がちくちくするのですねー。
なるほど、なるほど。
土(生物の死体か、うんこ)からしか
植物は育てない訳でして、彼らの造り出
す炭水化物や酸素無しに生命は有り得ま
せんから、土(地球)が形をかえたもの
同士が助け合って生存してて、外から
他の星々(太陽その他)が、それらの
営みの光の部分を受け持ち支えながら
見守っているというのが、科学的にも
事実です。
あのような事が出来るのか?
日本の様に水と緑に溢れた恵まれた
環境に生まれて育った者には想像しにくいですが、先ほどの書き込みの様な
助け合いがビジョンとして鮮やかに
イメージできたとき、一本の雑草に対しても手を合わせて「生かしていただいて
有り難うございます」って土下座して
感謝したく成ります。
初書き込みさせていただきます。
以前からずっと記事を拝見致しておりました。
分かりやすい例えと解釈で、沢山の学びをいただいてます!
今回の内容、私が最近ずっと考えてたテーマと
驚くようなタイミングで一致してたので、
思わず書き込みしたくなりました。
近年、こういうタイミング的な「繋がり」を実感しています。
その辺の繋がりがハッキリ分かると、
何だか「うわぁ;」って気分になりますが、
水面下で繋がっているなら、何も不思議なことはないですね(笑)
いつも更新ありがとうございます。
行ける所までついて行きます~(笑)
それでは!
知識としては理解できそうな気はしますが、実感することはできるのでしょうか?!
ものすごい瞑想とかできないとムリですかね?!
非常にリアルでわかりわやすく、いつも楽しみに読ませていただいてます。
私の興味として、前世といわれるものや
、守護霊と呼ばれるものの実体をはやく知りたいのですが。
……気長に待ってます。
>その比喩が指し示すところの本質
>「作者が言いたいこと(国語テスト風)」がつかめません。
すみません。。。
もっと伝わりやすい表現が見つかるといいのですが…
僕の表現力不足です_| ̄|○
nidaさん
>海と波みたいな…
ウンウン。
masaさん
う~ん。やはりそこでわからなくなりますか…
じゃあ、「指」ではなくて「爪」で考えてみるとどうですか?
5年前の爪と、今の爪、同じものですか?
違いますよね。
じゃあ、いつの間に変わったのかと考えると、ある時突然別物になったと言うワケじゃなく、刻々と変化し続けています。
ですから、一瞬前の爪も、今の爪とは「同一のもの」ではないんです。
変わっていないのは、「これを私の爪としよう」という概念(枠組み)だけなんです。
「変化し続けている世界」という真実の中で、頭の中だけがフリーズ(固定)してしまっているんです。
ぽんさん
すんません。一つ前のコメントに対してのお返事です。
>すべての勉強は決まり事を頭に叩き込むことから始まります。
本当にそうですか?
勉強って、そういうことなんですか?
僕は、決まり事を頭に叩き込むことよりも、その決まり事が、なぜそのように決まっているのかを理解していくことの方が大切なことだと思うのですが…。
>理解できてる人に○をあげて
>理解できてない人に×をつけるやり方でなくて
違うモノは違うと、シッカリ示すことも大切だと思います。
「理解できていないからダメ」なのではなくて、理解できていないからこそ、「そこではない」と話しているだけです。
僕はこのブログで語っている対象は「理解できていない人」です。
「理解している人」には、特に話す事はありません。
だって、すでに「理解できている」んですから。
だからこそ、僕はいつも「通じてますか?わかりますか?」と確認させてもらっています。
皆さんとは、とても距離のある中でのコミュケーションだからです。
僕は超能力者でも、霊能力者でもありません。
ですから、皆さんのコメントを見ない限り、皆さんに僕の伝えたいと思っていることのニュアンスが、どこまで通じているか確認できないんです。
ご理解いただけますか?(←けして嫌みで言っているわけではないんです)
クウさん
>たとえば私が右手の親指だとしたら、お隣の国・
>中国は左手辺りで、アフリカなんか左足、だったりして・・。
そうそう。そう考えると、他人事ではなくなってきますよね。
kdさん
うんうん。
変わっていないのは、頭の中の「枠組み」だけなんです。
金木犀さん
あはは。
手抜きなイラストなのですが、そう言っていただけると助かります。w
wakingさん
>じゃあ僕たちは大元に動かされているのか?
指は自分(大元)の意思で動かせます。
でも、爪の成長や細胞の変化は、僕たちの意思とは関係なく動いています。
これは、「運命は予め決まっている。(神の意志による)」と、「運命は自分の意思で変えることが出来る(自由意思)」と言われている、2つの相反する矛盾が両方とも真実である、と言うことに似ていますよね。
Unknown(2008-10-02 17:16:28)さん
>黒斎さんは同じ話を何度も何度も言っているけど、
>最終的には何が言いたいの?
う~ん。。。
これは痛いところを突かれたなぁ。。。
僕が伝えたいと思っていることは、「伝えられないこと」なんです。
それを上手く伝えることが出来たとしたら、このブログはそこで終了です。
ですから、元から伝えようと思っていません。
それに気づいていただける機会になれば、と思って書いているんです。
無理矢理説明するとしたら…
そうだなぁ…
「真我(自分の本当の姿)」に触れるというアハ体験の切っ掛けづくりをしているとでも言いましょうか…
「アハセンテンス」のブリッジ的な役割を担いたいと言いますか…
わかりづらくてごめん_| ̄|○
Unknown(2008-10-02 17:19:15)さん
うんうん。そう言う表現をされる方も多いですね。
ヘンゼルとグレーテルさん
>って、まずは僕からですね^^;
ウンウン。
>この認識が日本中に広まればもっと住みよくなるのに…
これって、結局「人任せ」っていう態度だからね。^^
ところで…
そろそろ「幽体離脱」というモノは理論上成り立たないと言うことに気付けましたか?
次元を上がって行くには「離脱」などという「分離」ではなく、「統合」という逆のエネルギーが必要になるんです。
心の安らぎさん
>自分は何者でいったいどこにいくのでしょうか?
自分は何者でもなく、どこにも行かないと思います。
kuroさん
>昔の人はわかっていたのかなあ
ホントにそうですよね。
わんこさん
そうそう。
諸法無我であり、諸行無常であり、因縁のお話です。
Shinさん
うんうん。そういうことです。
ふ~みんさん
本当はもっと複雑なアニメーションにしたいところだったのですが…
頼りの佃煮ヨーグルトさんも最近忙しそうで…
あはは。拙いイラストで申し訳ない。
えじさん
>自分自身に誠実でありたい
うんうん。本当にそうですよね。
(僕もかつてはこんなコト思いもしなかったw)
カイさん
ども。はじめまして。
喜怒哀楽って、自分のものじゃないんですよ。
誰にとっても喜は喜だし、怒は怒だし、哀は哀だし。
ず~っと昔から、みんなで喜怒哀楽というツールを流用しているんです。
神ng nowさん
お釈迦様は、物質は「地」「水」「火」「風」という4つのエネルギーで成り立っていると説明しています。
「地」は「質量をつくるエネルギー」
「水」は「素粒子を引っ張る、統合するエネルギー」
「火」は「熱によって形象を変化させるエネルギー」
「風」は「分離・拡散するエネルギー」
地球に限らず。宇宙のすべては、この4つの異なるエネルギーの変化によって現れる「現象」である、と。
豆知識でした。^^
山本羅刹さん
ども。はじめまして。
愛に深い人は、より人のことを理解できます。
それは、深いところでの繋がりを実感し、まさに「その人のことを我がこととして感じられる」からでしょうね。^^
ゆーきーさん
アハ体験と同じで、決して難しいことではないんですけどね…
ふにゃさん
ども。はじめまして。
>私の興味として、前世といわれるものや
>守護霊と呼ばれるものの実体をはやく知りたいのですが。
結論から申し上げますと、前世にも守護霊にも実体などありません。
ですから、本当は探しても見つけられないんです。
じゃあ、お前の言う「雲さん」は何なんだ、ということになると思いますが、以前にも軽く触れたとおり、「雲さん」も厳密には「僕」なんです。
わからないでしょ。^^;
ホントに申し訳ないんですが、伝えようがないんです。
ですから、ご自身で体験して、「ああ!こういう意味だったの!」となっていただくしか方法がないんです。
なので、答えを気長に待たれても、決してお答えできませんので、予めご了承ください。
「己が正しいとしているものを真理と信ずるべからず」と言っていたんですよね。要はこれって「自分の当たり前を当たり前と思うな(信じるな)」って事だろうと思うのですが。前にもコメで話ましたね。
自分が思うに、発せられたモノ(エネルギー・言葉・態度)は、受け取る側の問題ですね。
僕の師匠は何時だって、自分で物事を深く追求させるような物言いをします。
つまりは、「他人が正しいと言っても、自分がそれを正しいと信じ切れなければ意味が無いのだ」という事なんだと思います。
一つの問いに億の答えがあるように。一つの事を一つだと信じてしまうのは余りに勿体無い気がするんです。間違っている(己が信念に反する)と、ただデリートしたり、「アンタ間違ってるよ」という事が本当に、貴方の真理(信じる道)ですか?
何故貴方のブログが堂々巡りのようなことになっているのか。疑問を鏡越しの向こうの自分に問いかけた事は?問いかけて答えが出ているのに同じ事を繰り返してしまうのは何故なのか?それは自分以外の他者に問題がありますかか?それとも貴方自身に問題が有りますか?
私も日本語あまり上手く使えないので、刺々しい印象を与えてしまったのなら御免なさい。
>そろそろ「幽体離脱」というモノは理論上成り立たないと言うことに気付けましたか?
次元を上がって行くには「離脱」などという「分離」ではなく、「統合」という逆のエネルギーが必要になるんです。
おっしゃってる意味すらピンとこないですf^_^;
う~ん……。
黒斎さんが、幽体離脱現象に名称を付けるとしたらどんな感じになるんでしょうか。
(離脱のことに限らず)僕が抱いている様々な認識・理解は本当に浅薄なんだなぁと、このブログを読みながらいつも思っています。
学生時代も勉強は嫌いではなかったです。
特に辞典を引くのが好きでした。
目に飛び込むイケナイ言葉に目を奪われつつ、
陰とか、体の一部の名称の単語とかは、なぜか目にすぐに入ってくるんですよ。。。多感な頃は。
知らないことを調べることは決まり事を叩き込む作業とは反対の作業ですね。
便利な世の中になって、なんか、もうすでに知っていることは叩き込んで覚えたのだと勘違いしてました。
辞書を引き引き、鼻血ふきふき^^;
調べた言葉の一つ一つは役に立っていますよ。
先生の言葉をへーと感心しながら
ノートに書き移していた学生時代。
いまもそんな気持ちです。
シンクロっていうのも、この道理からすると無いが如きの当たり前に為るんでしょうね。
ふむふむ、腑の落ちる~!!
刹那(せつな)は時間の最小単位のことで、すべての出来事が刹那ごとに生じては滅しているという事を刹那滅と言うそうです。
蛍光灯が交流電源の周波数(50 or 60ヘルツ)に合わせて点滅しているように、素粒子などの物質も点滅している、と言う事でしょうか。
この世界が刹那、刹那に創造されたものであれば、常に新しく、新鮮なのでしょう。そういう意味で、新鮮さや爽やかさを感じているときには、内側に創造性が高まっているのかもしれません。
私も 全く同じように考えていましたので。。。
(実体験ではありませんが、そうなんじゃないかな~って)
>「真我(自分の本当の姿)」に触れるというアハ体験の切っ掛けづくり
うんうん(¨*)(..*)(¨*)(..*)なるほど~
ありがとうございます(*^人^*)
過去ログからずっと拝見しています(`・ω・´) ゞ
サラリーマンって不思議な生き物よねぇ
ちゃんとルールをしっかり守り
やりたくない仕事をするという不思議さには驚いた
俺は人間って生き物嫌いなのよね
汗臭いしヘドが出そう
という俺も人間の形を形成しているがね
地球上の人間は己がなぜそこにいるのかが
分からない生き物らしい
あなたがたは好きなだけ物質界に居られるし
好きなだけ非物質界に居られるよ
好きな生活と好きな発想をしなさい
本当にこれだけあればいいんだよ
千と千尋の神隠しを見なさい
いい加減な神様が多いから
時があるという概念がますます科学脳を生む
で、「自分という存在はない」ということは前々からおっしゃっていて、私はたぶん理解できてる…とは思っていますが(その感覚に浸るまでは時間がかかりますが…)今回のことは、「自分の理解を超えたものがある」という理解の仕方でいいのでしょうか?
なんだかここへきてものすごい漠然としたように感じます。
自分という存在はない、までは理解できるのですが、
自分=他人という考えでいつも行き詰ってしまいます…。
黒斉さんが伝えたいように伝わっているでしょうか?
へー、すごいですね。これって現代物理学ではそうだろうって言われていることですよね。この世はテレビ画面のように瞬間的に構築され、瞬間的に破壊されることを繰り返しているって。何でそうなるかって、時間という概念が怪しいから、この世は相対だから、だったかな?
イマさん、ありがとうございます。