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預流向・預流果

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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さて、それではさっそく悟りの階梯を、順を追ってみていきましょう。

前回、解脱までの道のりは、4つの「向(目標)」と4つの「果(到達)」の合わせて8段階、というお話をしました。

・預流向(よるこう)
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・預流果(よるか)
・一来向(いちらいこう)
・一来果(いちらいか)
・不還向(ふげんこう)
・不還果(ふげんか)
・阿羅漢向(あらかんこう)
・阿羅漢果(あらかんか)

前回は足し算的に「8段階」と説明してしまいましたが、「階梯(段階・レベル)」という意味で厳密に捉え直すと「4段階+1(預流向)」です。

と、申しますのも、一つでも「果(到達)」に辿り着くと、そこに次なる目標(向)が必然的についてくるからです。

【悟りの4段階+1】

準備段階:「預流向(よるこう)」
第一段階:「預流果(よるか)」と「一来向(いちらいこう)」のワンセット
第二段階:「一来果(いちらいか)」と「不還向(ふげんこう)」のワンセット
第三段階:「不還果(ふげんか)」と「阿羅漢向(あらかんこう)」のワンセット
最終段階:「阿羅漢果(あらかんか)」

という具合。

『悟り』とは、「預流果」を皮切りに、煩悩が順に消えていき、煩悩が消えた分だけ智慧(真理を見極める認識力)が現れていく現象のことを言います。

ですから、一口に「悟り」と言っても、そのレベルは人によって大きく異なります。

預流果、一来果、不還果と順に一つずつ段階を進み、阿羅漢果で完成します。


『自分を苦しめている諸悪の根源は、己の持つ煩悩。それ以外の理由はない。』

このことをハッキリと理解し、「よし、煩悩を消して、真理を見極めよう。」と、シッカリと真理に向かう姿勢のことを「預流向(よるこう)」と言います。

ちなみに「預流(よる)」とは、「完全な悟り(阿羅漢果)へ向かう聖なるれに身をける」という意味だそうです。

その目標に向かうから「預流向」。

ここでは、まだ悟りを目指しているだけの状態ですので、まだ「悟り」とは言えません。(そういう意味も込めて、「預流向」と「預流果」の間に線を入れさせていただきました。)


では、その一線を越え、「預流果」を迎えるとどうなるのでしょうか。


以前、煩悩は数え切れないほどある、というお話をさせていただきました。

大きく分けると「貪欲(欲)」・「瞋恚(怒り)」・「愚痴(無知)」の3種類。

それに「慢(傲慢)」・「見(邪見)」・「疑(疑い)」を加えて『六大煩悩』。

それらを細分化していくと、有名な「108」に、それをさらに細分化すると数千、数万とキリがなくなっていきます。

その膨大な数の煩悩の中から、「預流果」で消える煩悩は…

1.有身見(うしんけん)

2.疑(ぎ)

3.戒禁取(かいごんじゅ)







え? それだけ?



はい。それだけです。

膨大な数の煩悩のうち、たった3つだけなんです。

無くなった煩悩はたった3つだけですから、まだまだ悩みも苦しみも膨大に残っています。

怒りもするし、泣きもするし、ヘマもしますし、凹みもします。

ですが、たった3つとはいえ、悟りを決定づける大切な3つです。


では、その3つを順に見ていきましょう。


1.有身見(うしんけん)

この煩悩は、「貪欲(欲)」でも「瞋恚(怒り)」でもありません。「愚痴(無知)」「見(邪見)」のカテゴリーに属する煩悩です。

これまで色々な形でお話してきた『「私」という独立した存在がある。』という錯覚のことを指す煩悩です。

ほんの一瞬でも、「無常」「無我」を知識としてではなく、体験として納得した時、「有身見」という邪見(因果の道理を無視する誤った考え方)は消え、「ああ、実際には“私”は実在しないんだ!」という理解と共に「無常・無我」という智慧が現れるんです。

そして、「有身見」が無くなると同時に、必然的に無くなる煩悩が2つあります。

それが「疑」と「戒禁取」です。この2つも「有身見」と同じく「愚痴(無知)」のカテゴリーの煩悩です。


2.疑(ぎ)

読んで字の如く「疑い」を意味します。

「疑」という煩悩が無くなるということは、「真理(諸行無常・諸法無我・因縁等)に対しての疑いが無くなる。」という意味です。

「有身見」が無くなったことによって、一瞬でも真理を「体験」しているため、当然それに対しての疑いがなくなります。

先日の「アハ体験」の例で言えば、「ああ!ホントにイエスが描かれていたんだ!」と納得できると、「アハ体験」以前にあった、「え~?こんなワケのわからない模様の中に、何が見えるって言うの?」という疑いは、絵が見えたと同時に消え去ります。

そんなニュアンスで捉えてください。


3.戒禁取(かいごんじゅ)

「戒禁取」は、しきたりや作法・儀式、無意味な修行や苦行等に対してこだわりをもってしまう煩悩(無知)のコトです。

槍のチンコ巻きとかは、まぁ、普段見ることはないにせよ、世の中には、ありがたい宗教的意義がありそうな修行や奇行が沢山あります。

ここ日本でも多く見受けられる「お祭り」や「火渡り」、「滝行」なんかも、この中に含まれます。

線香を何本立てろとか、戒名をどうしろこうしろとか、神社参拝やお墓参りの際は手を何回叩けとか、○○を供えろとか、日々「○○○○○」と唱えろとか、数珠は右手で持て、いや、左手だとか、そう言った「しきたり」や「儀式」にこだわるのも「戒禁取」です。

宗教的なコトだけではなく、事故に遭わないよう、家を出る時は靴は右足から履くとか、試合前にはユニフォームは右袖から着るとか、そういう、いわゆる「ジンクス」なども「戒禁取」です。

真理に触れるという経験をほんの一瞬でもすると、そういったあれこれは、エゴ(自我)が作った勝手な決まり事、文化以上の意味があるわけではないとわかるので、そういったものにこだわったり、ありがたがる気持ちがなくなります。


もちろん、それらの文化にも伝統や出来上がった背景などがありますから、無理に壊したり、蔑ろにするのも考え物です。

文化は、あくまで文化。ですから、人様に迷惑を掛けないのであれば、何をしていても自由です。

「ここではそういう決まりだ」と言われるのなら、それに従う方がいい。そこから余計な“いざこざ”は生まれません。

ですが、「私の行っている、この儀式こそが唯一の真実。こうでなければならない。」とそこにこだわりが生まれているなら「戒禁取」です。

そういうことにこだわる人、またこだわりを強要する人は、真理という自由さの中で生きているのではなく、自我が作ったルール・習慣に縛られ、自らの意思で不自由を選択した人です。



さて、「預流果」によって消える煩悩は上記の3つのみです。

ですから、いくら「煩悩が消えた」と言っても、数ある煩悩のうち、「無知」に関する基本的な3つだけですので、まだまだ欲深な気質も、何かとカリカリイライラするような怒りっぽい性格もそのまま残っているんです。

とはいえ、「諸行無常(全ては変わり続ける)」「諸法無我(実際には“私”は実在しない)」というコトが理解できていますから、一種「諦め」に似た気持ちが生まれ、それまであった「執着」は、徐々に力を弱めていきます。


この「預流果」。

実は、特別な何かを行わなくても、到達できることがあります。

修行も瞑想も不要です。


ある日突然不意に訪れる様なこともありますし、しっかりとした指導者の説法によって迎えることも可能です。


最初の準備段階、「預流向」をすっ飛ばして、いきなり「ガツン!」と来ることもあるんです。

ただ…

何の予備知識も無いままに迎えてしまうと、結構うろたえてしまいますし、僕と同じように「預流向」をすっ飛ばして経験する場合には、ある独特な条件が必要な様です。

その独特な条件とは…

「絶望(地獄を見る)」という経験です。


まぁ、手っ取り早いと言えば手っ取り早いんですが、あまりにも痛すぎるし、リスクが高いので、この方法はオススメできません。

きちんと、順序を守って「預流向」から入られることをオススメいたします。



←こんなマニアックな話でも、ついてこられますか?(最近難し過ぎると妻からダメだしを食らってます。)

コメント ( 30 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
おひさしぶりですー ()
2008-10-17 08:26:12
おはようございます♪

見なれない言葉に難しさを感じるだけで、説明されている内容はとてもわかりやすいです。

わたしたちは人間のまま目覚める為に生まれてきたのかなと最近思います。
「我こそは」
「いやいやそれがしが!」
と意気揚々と降りて来た魂たちなのでは?と・・
だからこの激動の時代を選んだのかな?と・・

私自身は、ガツン!といっきに段階を飛び越えるよりも、一枚ずつベールが剥がれるようにゆっくり目覚めていきたいです。
小心者なので・・♪
 
 
 
久々の朝更新!( ‘∀’ ) (ヘンゼルとグレーテル)
2008-10-17 09:07:01
最近の記事は今までで最高です^^
遠慮なくマニアックな話をしてください。




今はまだ中途半端な姿勢でいます。
煩悩の実現するために努力しちゃってますf^_^;
さっさと預流向を身につけないといけませんね。絶望という名の特効薬を処方される前に……(@_@;)
 
 
 
最近… (ふ~みん)
2008-10-17 09:23:25
難易度高いですが…

これは、あの世~と合わせて自分自身でも分からない所を勉強してみます。お勉強大嫌いですが、興味ある事への情熱は凄いんです。(ん?執着?)

いやいや、ジェットコースターに振り落とされないように付いて行きますよ。
 
 
 
絶望を感じると (ぽん)
2008-10-17 09:53:34
本当に凍りつくような痛みを感じませんでしたか?

私は何度もそんな感じを受けて、
夫の兄弟が進めるある新興宗教の出す本を読んで
パカッと開いて、キラキラの感情のままに行動したら、
精神病院の鉄格子のなかにいました。

その後も何度かそんな目にあって、
今があります。

今は常に開きっぱなしです。
でも、段階としてはまだまだ煩悩だらけです。
それでも絶望は感じません。
この心地を得るための絶望感だったのなら、
ありがたいことです。
 
 
 
自分の場合 (あっけな)
2008-10-17 10:49:03
最近の近況は地獄を見ているに近い状況だと思います。
というよりそうだった…かも。
死ぬ事も頭に過りました。自営でにっちもさっちも行かなくなったのです。

そこから預流向に自然と向かっていったと思います。
恥ずかしながら?最初に手に取った本はコクサイさんと同じでした(笑

最近、自分の周りが真っ白な光に包まれてなんとも言えない開放感やからだの軽さを突然味わう時が有ります。

これもなにかの現れだと嬉しいです。
 
 
 
預流果はまだか (白猫庵)
2008-10-17 11:33:51
私もかつて地獄を見るような体験をしたことがありますが、
苦しみ足りなかったのか(^^;悟りには到りませんでした。
瞑想もしていますが「その体験」は一度もありません。

>しっかりとした指導者の説法によって…

…☆これが一番とっつきやすいですね^^


「戒禁取」
私もこれにひっかかりやすいタイプです。
線香何本立てるとか、
ありがとうございますを唱えるとか(笑)
はっきり書いていただいて、すっきりしました。

マニアックな話、ついていきますわ^^
 
 
 
へ~へ~へ~ (pyo)
2008-10-17 12:07:09
とっても勉強になります。
で、ランキングにこだわるのも「戒禁取」でしょうか。
 
 
 
納得・・・ (ぴーちゃん)
2008-10-17 13:12:23
そっか・・やっぱり地獄をみるのが近道だったんだ・・って思いました。
何か、色々見てると解るようになったっていうか・・感覚が先にきて言葉で現せない事がもどかしい感じでした。


その最中って世間からみるとただの病気にしか見えないけど^^;、だけどまるで実地修行をしているような感覚があって、非常にその辺りの事をよく知ってる者が見守るというか、接触してる気がしました。
同時に、その状態を救うのは自分自身にしか出来ないって事を改めて思い知らされる事が辛かったです。
越えれなかったら今頃精神の死んだ抜け殻になってるかもしれないから、非常に危険で実地で人生かけたようなもんだ・・て思いました。

それが2年半程前の話でね、心身が限界超えてたので、回復するのに少し時間がいりました。が・・同時進行だったみたいで色々な事がありましたよ、でもこくさいさんのように守護と会話するという事はあまりなかったです~。

 何か、今日のブログで非常にホッとした自分が居ます、どこかで病気じゃないの?って思えてた所がやっぱりあったから。^^
ちょっとうれしくって、こくさいさんに、あれもこれもお聞きしたいよ~~~(><)


とりあえず、ふっとばした場合のお話も聞きたいです♪
すっとばしたとしても、状況や理解がついてきてないから一から確認するような感じになりますか???ちゃんと身につけるのと体験とは別って感じで・・。
 
 
 
最近疑問に思っていた事 (げんすけ)
2008-10-17 14:36:42
黒斎さんはじめまして。
いつも拝読していますが、今回初めて書き込ませて貰います。

この夏、父親が登山中の事故で他界したのですが、通夜、葬儀、四十九日、それに伴う様々な儀式は、やはりただ単に宗教的なだけで死者の魂ってのは別にそんな事されなくても元に戻って行くだけなんじゃないかと思っていたのです。

世界中で宗教が違えば儀式も違うわけで、じゃぁどのやり方でも極楽浄土に行けるのか?あっち側に戻れるのか?はたまた転生できるのかなんて答えは死ななきゃ解りませんよね。

じゃないと動物、昆虫、植物なんて死んでも誰も拝んでくれませんし、だからと言って成仏出来ない訳でもないでしょうし…。

「四十九日までは魂は現世に残っているのだから毎日拝むのですよ」と叔母は口を酸っぱくして言いますが、今回の戒禁取の部分で「あーやっぱり」と思った次第です。

自分の考え・理解が何処まで黒斎さんのそれに近いか判りませんが、機会が有ればこの辺にも触れて書いて頂けたらステキだなぁと思います。

今後とも楽しみにしております(^^)
 
 
 
ついていきます! (ミリチャン☆♪)
2008-10-17 18:54:56
どこまでも♪
私が思ってる感想ゎ
全てゎ一つ!
だと思ってもぃぃですか!?
 
 
 
う~ん・・・ (油虫)
2008-10-17 21:11:57
 肉体を備えた人間が「悟り」を得ることに果たしてどれだけの意味があるのかなあ・・・。
 「悟り」そのものを得るのはすごく簡単なんですよ。死ねばいい。肉体が無くなればすぐにでも「神様」になれます。15日に伊勢神宮へ行ってきたのだけれど、神秘的でいい場所ですよね、あそこ。で、そのいい雰囲気のところで、ですね、たまたま通りすがりのカップルが
「本当にどっかの木陰から神様が出てきそうだよね」みたいな会話をしてたので、私は心の中で(あなた達自身がすでに神様なんだよ)って呟いていたのですが・・・。人間が言うところの「神様」って大抵は昔に亡くなった人々の魂のことだったりするからね。つまり、死ねば必然的に全ての煩悩から解き放たれるというのに、生きている間にその死後の状態を疑似体験する「悟り」とやらを獲得することにどれほどの意義があるんだろうかってことが疑問なの。
 死ねば必然的に得られる「悟り」。それを死ぬ前に獲得したいと思うのならば、当然それを思うだけの熱烈な動機と目的意識が無ければならない。それが無く闇雲に「悟り」を求めるのは、一歩間違えるとただの現実逃避になりかねないことを私は危惧する。確かに釈迦もキリストも「悟り」を得、その事実を広く世間に広めることによってこの世界を少しでも良くしようと試みた。しかし、このお二方が教えを広めて二千年近く、時を経たというに未だに世界には果てしない苦悩が山積み・・・。人間は無益な殺し合いをやめようとはせず、このままでは地球が滅びかねないところまで来てしまっている。結局「悟り」を得た人が、その事実を人々に広め、教えたところで人類を救うことなど出来ないということをその二千年間が証明してしまっているわけだ。
 まあ個人が体験する分には確かに気持ちいいらしいね、「悟り」ってやつは。私は体験したこと無いけど・・・。ただ守護霊(ジジイ)の声が聞こえるってだけ・・・。唯物論者の私には本当に迷惑な声だったよ、マジで。実を言うと未だにスピリチュアルや唯心論は好きになれない。いろんなスピ系のサイトやブログを見たけど、どれもこれも気持ち悪くてまともに読めたのはここだけだった。だからあんまり批判とかしたくは無いんです、本当はね。でも疑問に思ったからやっぱり書いちゃう。

 生前に「悟り」を得るのって、本当に必要なことなのでしょうか・・・?
 
 
 
油虫さまへ (Fam)
2008-10-17 22:20:17
>死ねば必然的に全ての煩悩から解き放たれるというのに、生きている間にその死後の状態を疑似体験する「悟り」
>死ねば必然的に得られる「悟り」
○はたしてそうなんでしょうか??

>結局「悟り」を得た人が、その事実を人々に広め、教えたところで人類を救うことなど出来ないということをその二千年間が証明してしまっているわけだ。
○たった2000年です。(と思います。)

>生前に「悟り」を得るのって、本当に必要なことなのでしょうか・・・?
○悟りを迎える事が目的なのではなく、悟りが迎えられるような生き方をしましょう。と言う事と私は受け止めています。結果、悟りを迎えられるのならば、それで良し。迎えられなくても、それはそれで構わないことだと思います。
大事な事は、人々がみな、より良い人生を送れる事こそが教えの目的なのではないでしょうか?全ての人が良い人生を送れば世界が良い結果を残せると言う事です。西暦で2000年、人類有史からみればもっとでしょうけれども、人々は成長します。2000年でダメなら3000年。それでもだめなら1万年。人々の成長が達するまで、お釈迦様のような方はそれぞれの時代に現われて教えを広めることでしょう。(あ~なんかこんなこと書いてて、自分がインチキ宗教家のように思えてきた・・・・ただの一般人ですからね!!ほんとに。)

全ては油虫さんの考え方次第でいくらでも変わってしまいますので、私からお伝えしたいことは以上です。

蛇足ですが、他の気持ち悪いとおっしゃるサイトの方々も、その人にとっては楽しかったり、幸せなのかもしれません。考え方は人それぞれですので、全てを否定も肯定もしません。ただ、間違っている道に進んでいるようなら、早く気付いてほしいなーとは思いますよね(^^;)
 
 
 
Unknown (クレヨンしんちゃん)
2008-10-17 22:23:10
1週間前にこのブログをみつけて、衝撃をうけました。
食い入るようにして過去の分を読みました。
まだ途中ですが^^;

私もうつ病ではないですが、躁うつ病という病気を経験してから、スピリチュアルなこと(生まれ変わりや、身体は借り物で魂は死んでも存在することや、あの世のこと)
江原さんの言っていることを信じるようになりました。

これからもブログ楽しみにしています。


 
 
 
初・そして疑問 (ホンロウ)
2008-10-17 23:14:13
はじめまして、ホンロウと申します。
興味深く読ませていただいております。

読ませていただいて、「なるほど」と気づくことや「オラもそう感じていたこと(共通点)」があり、とても勉強になります。


そこて質問です。

今のオラの中では、「預流果」で消える煩悩も、意外に消化していました。少し昔に置いて来た感じ。
ただ、「体験をしたか」といわれるとした記憶も無く(気付いた事は多々あります)本当に消化したのかも疑問が残る今日この頃です。

どう「感じ」たら、「預流果」を迎えた事になるのですか?(だから書いてあるよとツッコミを入れないでください……)

疑問の意味が分からない場合や話の腰を折るようでしたら、無視していただいて構いません。

これからも、楽しく読まさせていただきます。
 
 
 
こだわらない (ひで)
2008-10-18 11:13:41
「ここではそういう決まりだ」と言われるのなら、それに従う方がいい。そこから余計な“いざこざ”は生まれません。

ここが肝ですね。

「こだわらない」ことにこだわることでトラブルが生じることもありますからね^^。
自分の家系でこれまでやってきたことと最近得られた考え方が違っていてもなんらこだわらない。
 ブログランキングで他のサイトで言っていることも、吸収しつつそこに同化しない。
 どこへ行っても何を聞いても、ありがたく受け入れながら流されない自分で居られることが、当面の目標です。
いつも為になる話をありがとうございますm(_ _)m
 
 
 
濁流に飲まれるのも一興 (ぽん)
2008-10-18 17:01:41
毒を食らわば皿まで
という諺がありますが、
頭でっかちになるよりも、
とにかく行動してみると
早道だと思います。
でも、いっぱい痛みを味わいます。

怖いと思ってることがあるとしり込みしてしまうから、
怖いものをなくしてみるのも開くのも早いかも。

全部合わせても一年にもならない私の精神病院入院時期ですが、回数は四度あります。
そこでの学びが今までで一番役に立ちました。

幼い頃に山の上にある精神病院が怖くて怖くてしかたなかったです。
でも、そこではないですが、違うところでも
入ってみてのカルチャーショックは
どんな学校や職場での経験よりも
スピリチュアルでした。

私はどうやらホンモノの病人ではなかったようで
長くはそこには居られませんでしたが、
そこでのすったもんだのあげくの心の触れ合いは
その後シャバでは味わえません。

社宅、転勤、介護、配偶者の死、子供の死、義理の親の死、ご近所トラブル、職場でのセクハラ、パワハラ、いじめ、エトセトラ、ドラマで扱われるような頭の心の痛い問題をすべて経験しましたが、

でも、結局は何も起きてはなかったのです。
気持の持ちようで、消え去るものだったのです。

そう気付いた時、心がひろくはてしなく広がったきがしました。

そして、私には様々な処世術が身につきましたが、
無益なトラブルに巻き込まれないためにはとても役立ってます。

教科書は身近なところに転がってます。
そこにもまれてみるのも一興ですよ。
自分で体得したものは必ず身につきます。

でも、その時に注意がただ一つ。
自分でも正しいと思うことにのみ飲まれてください。
絶対に正しいものはありませんが、
相対的に正しい、また自分が心から正しいと判断したものなら
のまれても悔いが残りません。

なんだか、わかったような口をきいてすみません。
 
 
 
思うには (たわら)
2008-10-18 21:23:29
このブログでは色々なヒントを提示されていると思います。すごいです。

近頃思うには「悟りを開く」というのは全体の中の一部分として進化すること?(のある段階?)。
死んで肉体を持たない状態では制限や抵抗が無い為、乗り越えたり経験する事による成長や実感を得る事が出来ないのかなと思います。
これまで勉強してきた「つもり」でしたが、ここ数年の経験から実践・実感の伴わない知識や蘊蓄は幻だったと感じるようになりました。
 
 
 
ふむふむ (まきこ)
2008-10-19 18:48:27
すごい分かりやすい♪
あっち向いてみたり、こっち向いてみたり長い事してましたけど、オレンジさんに頭ホジホジされた頃のあの感覚に戻ってきましたよ(^^)
懐かしい感覚です(*^^*)b

受け入れる事が難しいと、あんなに感じていたのに、実際にはすごく簡単な事で、

たくさん頭も肉体的にも精一杯だと思っていたのに、実際には何もいっぱいじゃなかったです(・▽・)
っていうか、始めから何も無いですね(^^;)

というわけで、(←どういうわけだ?)
黒斎さんお久しぶり~(´▽`)ノシ
無事、帰還しました(`▽´)ゞビシッ!!
 
 
 
上の自分の書き込みについて (油虫)
2008-10-19 18:51:56
 Famさん、返信ありがとうございました。実は上の文章、投稿してから少し後悔していました。改めて読み直してみたら何だか矛盾している箇所とかあるし・・・。それに投稿したその日の夜に、以前垣間見た全然悟れていない、過去の恨みに凝り固まった亡者の群れのことを思い出してしまって・・・(本当は私ってそんなに霊感のある方じゃないんだけど、たまたま視えてしまったの・・・ガクガクブルブル)。幽霊になったら「悟れる」は明らかに間違いでした。ごめんなさい。それからここ以外のスピ系のブログを「気持ち悪い」とか書いちゃって、ここって実際に他所のスピ系のブログ主さん達が少なからず覗きにくるところなのに、その方々に対してあまりにも配慮の無い文章でした。不愉快な思いをされた方がいらっしゃいましたら本当に申し訳ありません。深く反省しております・・・。 
 
 
 
「悟り」? (油虫)
2008-10-19 20:49:48
 反省がひとまず終わったところで改めて書き込みします。

 上で先に投稿した私の文章は明らかに黒斎さんの今回の記事の内容に反発を覚えたからのものですが、どうして反発を覚えたのかこの数日の間ずっと考えていました。そして

 「はっ!ひょっとして黒斎さんのいう『悟り』は私の考えている『悟り』とは違うのでは!?」

 ということに思いが至って・・・。

 私は今回の記事の中にあった「悟り」って単純に「変性意識」のことだと捉えていました。「変性意識」っていうのは・・・どう説明すればいいんだろ?普段の意識下では視ることの出来ないものを視ることが出来る状態の意識を指す言葉で、れっきとした(?)心理学用語らしいのですが、以前ウィキペディアでこの言葉を調べてみたら、
「宗教家が達したという悟りのようなものも、この変性意識の一種であると考えられる」
 みたいなことが書いてあったもんだから、てっきり「悟り」=「変性意識」のことなのかと・・・。

 それで今回の記事は、「皆でこの『変性意識』に到達しよう!」みたいな内容なのかしらとそう考えてしまったのね。だから私は反発を覚えたんでしょう。「変性意識」への到達を闇雲に目指すのに一体どんな意味があるんだろう?みたいな・・・。

 でも違うのかなあ?黒斎さんのいう「悟り」はこの「変性意識」とは全くの別物なのかしら?

 よくわかりません。黒斎さんの言いたい「悟り」って何ですか?

 (ズレた疑問かなあ、これって・・・。)
 
 
 
油虫さまへ (ふ~みん)
2008-10-20 12:57:09
油虫様の上記のコメントに私なりの考えを書いてみたかったのでコメントします。

「悟り」と「変性意識」って文字が違うだけで意味合いは同じです。つまり、専門用語で言う変性意識、普段私たちが使う悟り、違うように見えて実は同じ。言葉のマジックですね!

油虫さんの考える「変性意識」と「悟り」が、違うと思った事とそれに対して反発する理由があるのかと思いますが、生きるって楽しい事ばかりじゃないですよね。
悲しかったり、苦しかったりする事もあって、そんな状態が続くと人はどうなっちゃうんでしょう。
友人や大切な人が苦しんでいるのを見て、助けたいと思い、あれこれ助言したり自分の中でその人の気持ちになって考えようとするけれど、やはり本人の苦しみや痛みは本人にしかわからない。
黒斎さんがたまに、伝えたいことが上手く伝わっていないんじゃないかって、でもこの事を伝えたいと思ってジタバタしていますよね。(10月15日の「僕がしようとしているコト」参照)しかも2年以上も一つの事を伝えるために、手を代え、品を代えして…
涙ぐましい限りです。
そんな黒斎さんの愛情が伝わってくるからこそ、その努力を無駄にしない為に、過去記事も見直しながら、そこで気付く事もあるかもしれませんね。
見逃してたことや、その時と今と捕らえ方が違うと見方が違ってくる。それこそ気付き。

私もそうだし油虫さんもそうなんじゃないかな?みんな何か伝えたい事があっても上手く伝わらない、伝えようとする言葉が本当にこれで良いのか?って思うんじゃないかと思うんですよ…
ほら、私も心で伝えたい事が分ってても文章にすると脱線しちゃうし、10のうちの1も言えてないし、可也脱線してしまってる。

シンプルに言うと“気持ち”って何でしょう。
今までの体験として、ツライ気持ち、悲しい気持ち、楽しい気持ち、感動する気持ち…etc
さぁ、どれを選びますか?

悟る事によって生き方上手になるのかな。(心の)

 
 
 
油虫さんへのふーみんさんのコメントを読んでのコメント (pyo)
2008-10-20 14:47:46
結局誰もが自分がみた(解釈した)世界しか認識してないわけで。
そこから認識を変えるためのヒントをここでは黒斎さんが書かれているわけだし、阿部さんのブログでは阿部さんが書かれているわけだし。
他のサイトも、本も、結局は受け手・読み手へのヒントにしかならないんだし。

その認識を変えるタイミングは人それぞれだから
「私が伝えたい事がいまあなたに伝わっていない!」
とジタバタもがいたって、
それはそれぞれのタイミングがある以上しかたない事じゃないかと。

受け取る側はもしかしたら正しく理解してるかもしれないけど
送り手が伝わっていないと思ってしまえば、それが送り手にとっての真実って事になるんですよね。ね、黒斎さん。

とまぁ、黒斎さんがせっせと繰り返して説明されていることを私がこうやってコメントで書いてもしかたないですね。
「本文をまた読み直しましょうよ」「何度でも読み直してみましょうよ」が一番いいアドバイスなのかも。

油虫さん、
>ここって実際に他所のスピ系のブログ主さん達が少なからず覗きにくるところなのに、その方々に対してあまりにも配慮の無い文章でした。

についてですが
「ああ、油虫さんはいまはこう考えられてる段階なんだな。」
と思っただけで、別段失礼だとも何とも感じませんでしたよ。
 
 
 
pyoさまへ (ふ~みん)
2008-10-20 15:25:40
はは
そのとおりですね。
うんうん
ありがとうございます。
 
 
 
煩悩断滅の証 (ひろ)
2009-08-23 12:07:52
よくキリスト教系の聖人たちの肖像画には頭の後ろに円光がありますね。

あれが煩悩断滅の結果生じた智慧になるんでしょうか?

彼らはまだ煩悩が残っているので頭だけ、仏は一切の煩悩を断っているので全身から放射光を出しているのかな。

日本の僧侶って智慧があるんだかないんだかよくわからないんだよね、正直いって。

だから信長に焼き討ちされちゃうんだろうけど・・・。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2009-11-04 05:03:51
眼鏡のはずし方から、こっちに飛んで来ました。

>「絶望(地獄を見る)」という経験です。
って、書いておられたけれど。

この間、目覚めた友達が、
私にとっての目覚めは、絶望だったと。

そして、その人は、
他人にあんな苦しい体験をしてほしいとは
思わないと言っていました。

黒斎さんも、違う方向から、
いろいろ教えてくれているんですね。

ありがとうございます。
 
 
 
Unknown (いいとも)
2010-02-24 16:39:38
十年間「地獄」を求めて生きてきました。
そうすれば何か分かると思ったからです。
でも今はズタボロになり立ち上がれない位になりましたが悟りは来ませんでした(笑)
でもそのおかげでいろいろなことを勉強しここに来ました(そんなにかっこいいことではありませんが)
ヨルコウというのがあるんですね。気持ちがぐっと楽になりました。
見てるかどうか分かりませんが本当にありがとうございましたm(__)m
(理論的に解説してくれるのは本当にありがたいです。分かりやすいですし)
今度またチョイスの方に書かせてもらいますね。
 
 
 
ありがとうございます (にち)
2010-06-02 13:15:09
運 黒斎さんこんにちは。はじめまして “にち”と申します。

私は一ヶ月ほど前に黒斎さんの本を知って購入して一気に読みました。(感動しました!)その後ブログの記事もほぼ読みました。(さすがにコメント欄は読めておりませんが

突然ですが 私の事を書かせて貰いますね
 
私の場合は小さい頃~たぶん幼稚園の年長さん?~から 童話や祖母が語る昔話の教訓を通して『この世ではないモノ(神様、霊、妖精、あの世、輪廻転生 などなど』に興味をもち、その存在を信じていました。
またその『この世ではないモノ』を実際に感じ取りたくて それについての「オベンキョウ」をしてみたりしていました。(例えば『妖精について』とか『超能力を身につけるための方法』などのたわいもない本を読んだりしてましたが、そのうちに“私は何故こんな辛い世界で生きなければいけないのか?生まれたのは何の為なのか?”ということに問題意識が移り、その回答を知りたくて精神世界の本を読んだりするようになりました。)

けれど 今までの「オベンキョウ」では納得出来るような答えは得られませんでした。
しかしそうこうするうちに 自分勝手で卑屈で逃げてばかりいる私に『アレ』が来ちゃったんですね アレ(気付きの為の一連の辛い出来事)が・・・

私の場合は去年の11月頃から今年の5月始めまでにかけて『仕事関連』で起こりました。
今考えると 高次の方々が「んもう~ あのこったら仕方ないねぇ じゃ このプログラムで気付いてもらいましょうか!」と愛情込めて設定してくれたんでしょうね。
もちろん自分に非があって『仕事でトラブルが発生する』とか『上司から怒られる』のですが、その後“悪い事”が、もの凄く良いタイミングで!!次々と起こっていくんです。
例えていうなら「ピタゴラスイッチ NHK」の仕掛けのように一秒一ミリの狂いも無いタイミングで

そうしてグウの根も出ないようになった時がその『プログラム』の最後(4月末に『降格&減給&移動を言い渡されました)だったようで、その最後のイベント(次へのステップ&プレゼント?)が『あの世に聞いた、この世の仕組み』(本&ブログ)だったんです。

読み勧めるうちに 今までの「オベンキョウ」では分からなかった事が納得出来た、またこのような出来事を仕組んでくれた高次の方々の愛情と細やかな采配に気付いて 驚き感動しました。

でも まだ「ほんの少し気付いた」くらいなんです 気を抜くとついつい以前の自分(思考、思い癖)に戻ってたりするんです。あちゃ~~
ただありがたい事に、今の私には『過去の痛~い経験(から得られたモノ)』と『指針(運 黒斎さん)』があります。(もちろん 高次の導きも!)

本当はこういう事をこちらに書くつもりはありませんでした。たぶん私の様な経験をしている方は数多くいらっしゃるでしょうし、凄い気付きを得たわけでもないですし。
でも今日は 自分の区切りとして書いてみました。『今の現状を確認しなさいね』ということなんでしょうね。これからも精進していきます 

運 黒斎さんに出会えて助かりました。これからもご活躍楽しみにしています。
 
 
 
 
お布施 (Unknown)
2010-11-04 12:40:32
・預流向(よるこう)
・預流果(よるか)
・一来向(いちらいこう)
・一来果(いちらいか)
・不還向(ふげんこう)
・不還果(ふげんか)
・阿羅漢向(あらかんこう)
・阿羅漢果(あらかんか)

預流果に向かう道を探していたらオウムにたどりついてしまいました。お布施についてどう思いますか?
 
 
 
Unknown (おさむ)
2012-03-27 19:59:24
まずこのサイトに感謝します
私も預流果というものを体験というかなっていました
そのことを今確信出来ました
その時自分も絶望的状態でした 統合失調症のようになって
死ぬか生きるかという選択をする毎日の中で真理を体験しました 
 
 
 
Unknown (通りすがりの僧です)
2012-05-15 12:06:30
たまたま、こちらのブログを拝見しましたので、縁としてまして、お伝えします。

八つに関しましては、智慧の解脱をしたブッダが判定できるものと聞き及んでいます。

もし預流になりましたら、少なくとも7回生まれ変われば、覚りを至るというダルマ(法)です。しかし、預流は、流れに入っただけでありまして、覚ってはおりません。発心する特徴がありますが、本人が覚ってからではないと、あれが発心だったと知ることは出来ないというのがダルマ(法)といいます。

一来は、来世で無ければ解脱をすること出来ないと言われます。何かの理由で答えを知ってしまったと思われます。すみませんが、凡夫の範疇なのか、わかりません。

しかし、もはや凡夫に当てはまらない方々が以下です。

不還は、阿羅漢、この両方を含んでいますのがブッダです。段階ではありません。釈尊が、解脱された方でそれぞれ特徴が違ったので、解脱が確かなことを示されたようです。

尚、お布施は、自分が功徳を積むことになると説かれます。そして、功徳を積んだ者が覚ることが出来ると言います。

それが正しいお布施であるのかは、凡夫には判断が難しいです。なぜなら、渡した物、お金や言葉や安心感は、相手にとって、「ちょうど良い」ので無くてはならないようです。

もし、過剰や過少になってしまうなら、せっかくの布施がまったくお布施にならなくなってしまうからです。自分と相手とで、ちょうど良いのがお布施と言えます。相手がちょうど困っているところにピンポイントで助けられる人は、お布施をしています。

そうした方は、覚りに興味が無い方の場合でも、人生が豊かになっていくようです。私は修行中ですが、人に対するプレゼントは真剣に考えています。そして、貰った時も、ぴったり使えるように精進しています。

まれにですが、頂いたお布施をぴったりと使い切る存在がいます。それを「応具(おうぐ)」と言うそうです。阿羅漢の特徴の一つにも挙げられています。

もし、そうした方と縁がありますならば、頂いた物の活用を周りの人たちも清々しく観ることになります。これが本当は正しい使いかたなんだ とか虚勢を張る必要はなく、ごく自然に使いこなされます。

我々は、ありがた迷惑になる過分なプレゼントの時がありますが、そのような時でも応具は、適切に活用されますので、尊い存在だそうです。

それでは、お邪魔しました。
 
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