いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
(笑)
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
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なんだか最近、何かと緊張や強張りに囚われがちになっておりまして、「うん、これはきっと何かと深刻になって、生活に笑いの要素が薄れてきているからだね」という気がしたものですから、週末、うちの奥様と一緒に見ようと「Mr.ビーン」を借りてきたんですよ。
腹から大笑いできたら、深刻さや緊張なんかは、簡単に吹っ飛んじゃうからね。ここは久々にローワン・アトキンソンさんの力をお借りしてみようかと、そう思ったんです。
で、忙しさでなかなか鑑賞出来ずにいたのですが、昨日は久々に早めに帰宅出来まして、いよいよ「さて、じゃあ見ましょうか」となったのですが、そんな時に限って、不意に僕の「Mr.」が「ビーン」になりましてね、そのまま子作りに勤しんだ次第でございます。
そんなこんなで結局DVDは見られずにおりますが、お陰様で緊張や強張りといったアレコレがとれました。(←どこの?)
あ、どうも、こんにちは。まもなく発刊をむかえる「夫婦生活せきらら白書」の著者、雲 黒斎です。
いえね、そんなことより「笑い」の話ですよ。
マジでね、すごく大事なことだと思うんです。これ。
前回のトークライブでもちょっとお話させていただいたんですけど、「笑い」って、僕たちの一番身近にある瞑想法なんですよ。
瞑想ってどうしたらいいかわかんないわって、そう言う人がいたら、とにかく笑うのが一番手っ取り早いです。
思考を無理矢理押さえ込もうと真面目な顔して1時間座ってるより、思いっきり腹から笑っている方が瞑想効果は高いんです。
「あ~はっはっはっはっはっはっはっ!」って笑ってる時って、アタマの中でアレコレ考えてないでしょ。
何かを警戒しながら、腹から笑うって出来ないですものね。
手放しで、無防備で、心を開いている。それはまさに瞑想状態。
そういう状態じゃないと、腹から笑えないんです。
僕もね、数年前は笑えないという状態にズッポシはまっていました。腹から笑えないの。
むしろね、そういうときは笑っている人を見ると腹が立つんですよ。
「なにこんなくだらないことで笑ってるんだよ」とか「不真面目で不謹慎だ」とか、そういう感じで「笑い」を悪者扱いしてたのね。
深刻になって色々と考えていることが立派なことで、ケラケラ笑ってるのはけしからんことだ!って感じの、無茶苦茶な論理を携えてるの。
「世に蔓延るあらゆる問題点を見つけ出し、それらの排除・改善にむけて真剣に取り組まねばならぬ!」みたいなね、ヒーロー気取りの自我くんが、笑いを受けつけてくれないんです。
自分も他人も、政治も文化も、なんでもいいから問題を見つけては「一言もの申す!」って。そうやって自分から深刻な世界に飛び込んでいくの。
そんな自分を一歩下がって冷静に振り返ってみれば、ヒーローどころか、単に「自分の価値観を世の中に押しつける、タチの悪いクレーマー」でしかないんですよ。
その方がよっぽど問題だよね(笑)。
アイツが悪い、コイツが悪い、アレが悪い、コレが悪い。
よくよく考えて見ると、そうやって悪いところをアレコレほじくり出そうとする、その目線が悪いよね。
なにが悪いって、なにより自分に良くないよね。だって、わざわざ気分の悪くなるものを探し回ってるんだから。
精神衛生的に良くないですよ。
そんなことを続けてたら、病気にもなっちゃいますよ。やっぱり。
僕が病気だったとき、うちの奥様がなにより苦労していたのは、多分、僕を笑わせることだったと思います。
「どうしたら、この人の笑顔が戻ってくるだろう」って、いろんな事をしてくれました。
それで、そうやって助けられた僕が、今度は「どうしたら、みんなの笑顔が戻ってくるだろう」って事をしてみたくなりましてね。
そんなこんなで、このブログが出来たわけです。
宗教や精神世界って、コレまでの歴史の中で、特に難しく深刻に語られちゃってた感じがするんですよ。
そういうコーナーの書籍なんかを見てみるとね、なまら真面目なの。真剣なの。
深刻さに埋もれて、息苦しくなって助けを求めて辿り着くのが宗教や精神世界のはずなのに、結局そこには別な深刻さが残っていて。
生きていくのが辛くなっているのは、その「深刻さゆえ」なのに、それをまた深刻に改善しようとしている。
沢山の「こうするべき」や「やっちゃいけない」に縛られて窮屈な思いをしているのに、それをまた戒律という新たな「こうするべし」や「~すべからず」という観念で解決しようとする。
正直なところ、それって、なんか違うんじゃね?って思いましてね。
むしろ、アレコレ必死になって右往左往している自分の滑稽さを顧みて、思いっきり笑ってみなよって、そういう事のほうが、本来の宗教や精神世界で語られることなんじゃないかって。
とりあえずね、もし笑えないでいる方がいらっしゃいましたら、とにかく無理矢理にでも笑ってみるといいですよ。
それでもやっぱり笑えないという時は、僕が披露するエレガントなジョークに触れるのがいいと思います。(お前のジョークが一番笑えないとか、そういうのは無しの方向で。)
←とにかく無理矢理にでも押してみるといいですよ。
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なんだか最近、何かと緊張や強張りに囚われがちになっておりまして、「うん、これはきっと何かと深刻になって、生活に笑いの要素が薄れてきているからだね」という気がしたものですから、週末、うちの奥様と一緒に見ようと「Mr.ビーン」を借りてきたんですよ。
腹から大笑いできたら、深刻さや緊張なんかは、簡単に吹っ飛んじゃうからね。ここは久々にローワン・アトキンソンさんの力をお借りしてみようかと、そう思ったんです。
で、忙しさでなかなか鑑賞出来ずにいたのですが、昨日は久々に早めに帰宅出来まして、いよいよ「さて、じゃあ見ましょうか」となったのですが、そんな時に限って、不意に僕の「Mr.」が「ビーン」になりましてね、そのまま子作りに勤しんだ次第でございます。
そんなこんなで結局DVDは見られずにおりますが、お陰様で緊張や強張りといったアレコレがとれました。(←どこの?)
あ、どうも、こんにちは。まもなく発刊をむかえる「夫婦生活せきらら白書」の著者、雲 黒斎です。
いえね、そんなことより「笑い」の話ですよ。
マジでね、すごく大事なことだと思うんです。これ。
前回のトークライブでもちょっとお話させていただいたんですけど、「笑い」って、僕たちの一番身近にある瞑想法なんですよ。
瞑想ってどうしたらいいかわかんないわって、そう言う人がいたら、とにかく笑うのが一番手っ取り早いです。
思考を無理矢理押さえ込もうと真面目な顔して1時間座ってるより、思いっきり腹から笑っている方が瞑想効果は高いんです。
「あ~はっはっはっはっはっはっはっ!」って笑ってる時って、アタマの中でアレコレ考えてないでしょ。
何かを警戒しながら、腹から笑うって出来ないですものね。
手放しで、無防備で、心を開いている。それはまさに瞑想状態。
そういう状態じゃないと、腹から笑えないんです。
僕もね、数年前は笑えないという状態にズッポシはまっていました。腹から笑えないの。
むしろね、そういうときは笑っている人を見ると腹が立つんですよ。
「なにこんなくだらないことで笑ってるんだよ」とか「不真面目で不謹慎だ」とか、そういう感じで「笑い」を悪者扱いしてたのね。
深刻になって色々と考えていることが立派なことで、ケラケラ笑ってるのはけしからんことだ!って感じの、無茶苦茶な論理を携えてるの。
「世に蔓延るあらゆる問題点を見つけ出し、それらの排除・改善にむけて真剣に取り組まねばならぬ!」みたいなね、ヒーロー気取りの自我くんが、笑いを受けつけてくれないんです。
自分も他人も、政治も文化も、なんでもいいから問題を見つけては「一言もの申す!」って。そうやって自分から深刻な世界に飛び込んでいくの。
そんな自分を一歩下がって冷静に振り返ってみれば、ヒーローどころか、単に「自分の価値観を世の中に押しつける、タチの悪いクレーマー」でしかないんですよ。
その方がよっぽど問題だよね(笑)。
アイツが悪い、コイツが悪い、アレが悪い、コレが悪い。
よくよく考えて見ると、そうやって悪いところをアレコレほじくり出そうとする、その目線が悪いよね。
なにが悪いって、なにより自分に良くないよね。だって、わざわざ気分の悪くなるものを探し回ってるんだから。
精神衛生的に良くないですよ。
そんなことを続けてたら、病気にもなっちゃいますよ。やっぱり。
僕が病気だったとき、うちの奥様がなにより苦労していたのは、多分、僕を笑わせることだったと思います。
「どうしたら、この人の笑顔が戻ってくるだろう」って、いろんな事をしてくれました。
それで、そうやって助けられた僕が、今度は「どうしたら、みんなの笑顔が戻ってくるだろう」って事をしてみたくなりましてね。
そんなこんなで、このブログが出来たわけです。
宗教や精神世界って、コレまでの歴史の中で、特に難しく深刻に語られちゃってた感じがするんですよ。
そういうコーナーの書籍なんかを見てみるとね、なまら真面目なの。真剣なの。
深刻さに埋もれて、息苦しくなって助けを求めて辿り着くのが宗教や精神世界のはずなのに、結局そこには別な深刻さが残っていて。
生きていくのが辛くなっているのは、その「深刻さゆえ」なのに、それをまた深刻に改善しようとしている。
沢山の「こうするべき」や「やっちゃいけない」に縛られて窮屈な思いをしているのに、それをまた戒律という新たな「こうするべし」や「~すべからず」という観念で解決しようとする。
正直なところ、それって、なんか違うんじゃね?って思いましてね。
むしろ、アレコレ必死になって右往左往している自分の滑稽さを顧みて、思いっきり笑ってみなよって、そういう事のほうが、本来の宗教や精神世界で語られることなんじゃないかって。
とりあえずね、もし笑えないでいる方がいらっしゃいましたら、とにかく無理矢理にでも笑ってみるといいですよ。
それでもやっぱり笑えないという時は、僕が披露するエレガントなジョークに触れるのがいいと思います。(お前のジョークが一番笑えないとか、そういうのは無しの方向で。)
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