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告白

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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先日始めた阿部さんとのコラボブログ『阿雲の呼吸』

みなさんはもうご覧になられていますでしょうか。


あれ、あぶないね。

なんでですかね、阿部さんと一緒にやってるという安心感のせいなのか、自然に本音がポロッと出てくる感じなんです(笑)。


昨日の更新でも若干書いちゃいましたが、結構ね、書いてはみたもののアップせずに消しちゃう記事とかあるんですよ。

僕が連日更新出来ないでいるのは、もちろん仕事との両立が難しくてってのがメインなんだけど、書いては直し書いては直しで、結局上げられずじまいってのもあるんですね。

というのもね…

なんだかんだいっても、こういう話って、やっぱりどこか「いかがわしい」っていう目線で見られるとこじゃないですか。

もちろん以前に比べたら、雲泥の差があるぐらい受け入れられる状況にはなっていると思います。

でもやっぱりね、「なんか宗教的で気持ち悪い」とか「わかったように語ってるけど、スピリチュアルって…ねぇ?」という様な批判的な目ってのはまだまだ根強く残っているんですよねぇ。

いや、その気持ちも痛いほどわかるんですよ。かつての僕自身がそうでしたから。


その前提がわかっているからこそ、出来るだけ現実的に考えても納得のいく書き方・伝え方を目指していました。

コレまで沢山の書籍化のお誘いや、講演依頼、その他メディアでの紹介依頼などを断り続けていたのにも、そんなところに理由があります。

この手の話に金銭的な要素が絡むと、途端に「ほら、結局なんだかんだ言っても金に走ったよ」とかね、言われ出すじゃないですか。

ずいぶん前の話になるんだけど、以前、ただ単にテレビで紹介されただけでもああでもないこうでもないってなっちゃってね。

そういうのが、なんだか煩わしくて…。

その程度のことでアレコレ言われ出すんだから、もっとメジャーになったり、具体的なお金の流れが生まれたらどうなるんだろうって考えたらめんどくさくなっちゃって。避けてたんです。


「宗教やスピリチュアルは潔癖であるべき」とか「お金やビジネスは汚いもの・悪」みたいな観念の根強さから生まれる批判ってありますよね。

「『かくあるべき』という個々が作り出す固定概念に縛られないように」というのが本来宗教・スピリチュアルで語られている内容なのにもかかわらず、『宗教・スピリチュアルはかく語られるべき』って壁を作って、おかしなことになっている。


阿部さんとのトークライブもそう。

「なんで講演会に行く必要があるんだよ」から始まって、「なぜそこにお金を払わなきゃいけないんだ」とか、「本当に話を広めたいなら無料でやれよ」とか、「収益は何に使っているんだ」とか、「洗脳されるんじゃないか」とか、「そういう気軽な入り口から徐々にお金を搾り取る構造が用意されているんじゃないか」とか、まぁまぁ色々言われたり、詮索されたりするわけですよ。


まぁ、それもわかるんですよね…。

実際、僕もそういった講演会やセミナーには参加したことないですもの。

もし僕に、数年前のあの経験がなければ、いまだそういう態度・認識だったと思います。

だから一概に、そういう態度が悪いものだとか、理解が足りないなんてことも言えません。

過去の僕だったら、今の僕の講演会に足を運ぼうとは、やっぱり思わないでしょう。

やっぱり「どこかいかがわしいよ」って、具体的に何が語られているかも理解しないまま、そういう先入観を持って見ていると思う。

「宗教・スピリチュアル」だけではなくて、そのテーマが「自己啓発セミナー」「地球環境改善」「共存共栄・世界平和を目指して」みたいなものでも「あ、なんか気持ち悪。関わらないでおこう…」って思いますもの。いまだにそういうとこ、ありますもの。僕自身。


それをいま、自分がやろうとしている。

なんだろね、これって(笑)


これからの活動のこと、もう少し具体的に阿部さんと話してみようかな…。



←皆さんの応援には、いつも大変勇気づけられています。ありがとう。
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