犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

その他>「NHK教育テレビ「日本人は何を考えてきたのか」第11回:近代を超えて 西田幾多郎と京都学派」を鑑賞して

2017年09月01日 | その他
 哲学者西田幾多郎はわが郷土の偉人であるが、難解な哲学というイメージがあって著作ばかりか解説したものも読んだことがない。「絶対矛盾の自己同一」※1 とか「純粋経験」など意味不明な言葉が多い。

 西田幾多郎に関して、NHKで興味深い番組があると紹介されて鑑賞した。表題の番組である。
10年ほど前に、西田幾多郎の弟子達が戦時中に軍部の要請で戦争目的の理論構築のため18回に及ぶ会合の内容を軍部に報告するために記録した「大島メモ」が発見された。この件を織り込みながら、NHKが番組を制作した。その中で西田幾多郎も紹介され、先の大戦に積極的に協力したらしいことが報じられていた。ただ、いかにも「悪事」を働いたかのような印象で語られていることに当方は少し違和感を抱いた。

 外交が行き詰まり、お互いの国が国益をかけて争えば、力のぶつかり合いとなり、戦争となる。戦争は、善悪で判断する「悪事」ではない。戦争になってしまえば、国民は国のために一丸となって協力するのは当然で、協力したことを「悪事」ととらえるのはお門違いではないのかと思ったからである。

 確かに米国との戦争に負けて、戦後、連合国側の言い分を呑まざるをえず、対外的、政治的には、「日本国が悪いことをしました。周辺国へ多大な被害を与えました。」との立場を強要されているが、日本が悪いことをしたわけでもなく(日本が悪いことをしたという道徳的な価値観を持ち出すのであれば、相手国のアメリカも悪いことをしたことになる。)、贖罪の意識を持つことも変なことで、まして謝罪などする必要はない。

 番組では、西田哲学※2 が、西洋哲学※3 に対抗して、日本の伝統的な文化を根底にして日本独自の哲学を提示したもので、同様な立場にある海外諸国から注目され、評価されているという。西洋の近代的な考え方も吸収しながら、独自の伝統文化を大切にしながら、独自の哲学をつくるためである。

 ということで西田哲学を肯定的にとらえている面はあったが、全体的に否定的な紹介になっている。この番組の案内役である生物学者の福岡伸一は、西田哲学を評価しながらも、戦争の時代の中で西田や西田の弟子達が軍部の戦争目的の論理の構築に協力したことについて批判的である。
哲学者は、言葉を信じて言葉をあやつり言葉で表すことだが、時局の中で自分の言葉を自重して留めておくか試されたのであり、弟子達(西谷、高坂、高山、鈴木ら京都学派と呼ばれる)は一線を超えた、西田は一線を超えたものの持ちこたえたという評価だった。

 政府が「大東亜共栄圏の樹立」という政策を打ち出し、軍も大東亜共栄圏構想※4 の理論の構築を検討していた。アジア諸国が共同して共存共栄の秩序をつくることで西洋列強の白人社会に対抗しようとした構想である。西田哲学は、西洋哲学に対する日本独自の哲学であり、大東亜共栄圏も西洋列強に対抗する構想という点から類似しており、陸軍、海軍双方からアプローチがあった。

 福岡は、西田が日本の帝国主義化※5 を戒めていたが、大東亜共栄圏の中心をになうものは日本のほかにないと書いていることに違和感を持ったという。
 福岡は違和感の理由を明確に述べていたわけではないが、番組を通じて理解したのは、日本政府と軍部が大東亜共栄圏構想を大義名分として、アジアへ帝国主義的進出をして盟主になるという「悪事」をなそうとしていることについて、西田は大東亜共栄圏の盟主は日本だと発言したことでその「悪事」に荷担したと考えて批判していたようだ。
誤った戦争、誤った戦争目的の大東亜共栄圏の考え方は誤っているということを前提に番組が作られている。

 浅田彰は、西田幾多郎と京都学派の論理を「海軍が思っていたアジア支配の論理にしかならなかった。帝国主義的進出のプレテキスト(草案)だ。」と批判した。
 また、独国ライプチヒ大学の小林敏明教授は、「日本がどうしてアジアの中でイニシアチブを取れるのか、その理屈だけではすまない、中国がどう受けとめるのか、モンゴルがどう受けとめるのか、植民地になっている朝鮮半島の人はどう考えるか、こういう視点がいっさいない、まったく他者の目が欠けている、この一点において非難されるべき」、「彼らは目まぐるしく起こってくる戦争状態を不満を持ちながらも後追いをしてしまった。ここが決定的に大きな批判点だと思う。」と厳しく批判した。

 このような批判は、当時、日本を除いて西洋列強に植民地支配され、対抗できるのは日本以外になかったのであり、朝鮮半島などは、日本に併合されて、一等国民になったと歓迎し、日本の戦争に大いに協力していたから、「朝鮮半島の人はどう考えるか」などと考える方が的はずれである。

 NHKのみならず、日本人自身の考えが、「先の大戦は侵略戦争だった。日本が誤った戦争をしてアジア諸国、近隣諸国に多大な被害をもたらした。二度と戦争はしません。過ちは二度と繰り返しません。」となっているのは、GHQの統治、東京裁判、サンフランシスコ条約などを通じて日本人の精神が拘束されて思考の自由度を失っているからだろう。番組の根底に、このような視点があるのはやむをえないが、西田については比較的冷静に見ていたと思う。

 西田は和辻への手紙で、(日本の戦争に向かう)「アンダーカレント(底流)に流される」ことを懸念していたという。
 西田も転換点ははっきりしないものの、国策に関与せざるをえなくなり、「帝国主義化すること、主体化することをいましめなければならない。」としながらも、「共栄圏の中心をになうものは日本のほかにない。」とした。
 物質的に追い込まれると、精神の自由度は拘束される。戦局が進み、悪化するにつれて、国民全体の総力戦となり、個人主義は押さえられ、全体主義(ファシズム)に突き進むことになり、国民生活は軍事一色になった。
 西田は、敗戦の2ヶ月前に亡くなった。つぎのような言葉を残しているという。
「古来、武力のみにて栄えた国はありませぬ。永遠に栄える国は立派な道徳と文化が根底とならねばなりませぬ。いまや我が国民は根底から大転換をやらねばならぬ時ではないでしょうか。」

 軍事一色にならざるを得なくなっては国が栄えるわけはないことは明らかである。戦後の連合国による日本の大転換は、武力のみならず、日本精神文化も武装解除されて弱体化した。いまだに、「敵が攻めてきたら、戦わないで白旗を上げる。」と臆面もなく語る若者が多いのにあきれる。歪んだ道徳と文化を修正し、文武ともに回復しなければ誇り有る、栄える国にはならない。経済は回復したが、「戦っても滅びる、戦わなくても滅びる、ならば戦って滅びる道を選ぼう」と決意して散華した英霊に申し訳ない。

※1:絶対矛盾の自己同一
 たくさんのものが、矛盾は矛盾のまま、対立は対立のまま、一つのものがつくられ、全体として同一性を持っていること。例えれば、人間は無数の細胞などの生命体からできていて絶え間なく壊すことによって隙間ができるがこれを埋めようとして細胞などの生命体ができる、しかも全体が一つの生命体としてあるということか。

※2:西田哲学
 西洋哲学は、主客二元論であることに対して、二分することを止め、主観と客観の認識の一歩手前、主観を捨てるところから境界が無くなる、主客合一の「純粋経験」を哲学の基礎においてものごと(知識(真)・道徳(善)・宗教(聖))を説明しようとした。
 
※3:西洋哲学
 デカルトは「われ思う故にわれあり」(自我の発見)を哲学の出発点にして、確実なものとして「精神」と「物質」を両極におき、その二つをもとに思考を進めたので「二元論」と呼ばれる。カントは、「精神の原理」を重視して観念論哲学を、マルクスは、「物質の原理」に重きをおいて唯物論哲学をうちたてた。
 主客二元論は、主観と客観、私と対象、人間と対象と分けるので、人間中心のドグマ(独断の説)に陥りやすいといわれる。

※4:大東亜共栄圏構想
 アジアから西欧列強を排除するための大義名分。
アジアで西欧の帝国主義的進出による植民地支配を免れたただ一国であった日本は、西欧列強をアジアから駆逐したが、列強の最強国米国に完膚無きまでに叩きのめされた。だが、ビルマ、インドネシア、ボルネオ、マラヤ、シンガポール、ベトナムなどのアジア諸国を植民地支配していた西欧列強を日本が追い出し、各国の独立派を支援し育てたことで戦後、まもなくすべての国々が独立することになった。

※5:帝国主義(imperialism)
一つの国家が自国の民族主義、文化、宗教、経済体系などを拡大するため、あるいは新たな領土や天然資源などを獲得するために、軍事力を背景に他の民族や国家を積極的に侵略し、さらにそれを推し進めようとする思想や政策。

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