富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「イエスの洗礼」ヨハネによる福音書1章29~34節

2024-01-02 23:02:51 | キリスト教

  ↑ レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年-1519年)<キリストの洗礼>1472年ごろ。 テンペラ 油彩 板177×151cmウフィツィ美術館所蔵(イタリヤ・フィレンツエ)         レオナルドは父の知り合いであった、ヴェロッキオ工房に入門しました。<キリストの洗礼>は、ヴェロッキオとレオナルドの初の共同作品。フィレンツェのサン・サルヴィ聖堂から依頼された祭壇画です。5年がかりの作品。レオナルド20歳ごろのものです。師であるヴェロッキオがテンペラで大半を描き、その後、左端の天使と左奥の風景をレオナルドが描きました。天使がイエスの脱いだ服を持っています。

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380・FAX:022-358-1403

日本福音教団 富 谷 教 会 週 報

降誕節第2主日(新年礼拝) 2024年1月7日(日)午後2時~2時50分

        礼 拝 順 序

司会者                邉見 順子姉

前 奏                辺見トモ子姉

讃美歌(21) 368(新しい年を迎えて)

交読詩篇     36(神に逆らう者に罪が語りかけるのが)

主の祈り     93-5、A

使徒信条     93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳)ヨハネによる福音書1章29~34節

説 教      「イエスの洗礼」   辺見宗邦牧師

祈 祷

讃美歌(21)    67(貴きイェスよ)

献 金

感謝祈祷

頌 栄(21)    27(父・子・聖霊の)

         次週礼拝 1月14日(日)午後2時~2時50分

         聖 書 ヨハネによる福音書1章35~51節

         説教題   「最初の弟子たち」

         讃美歌(21)57 448 27 交読詩篇 119

  本日の聖書 ヨハネによる福音書1章29~34節

  29その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。30『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。31わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」32そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。33わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。34わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

   本日の説教

   29節の<その翌日>とは、1章19~28節に書かれている出来事です。エルサレムのユダヤ教当局者たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させました。民衆がヨハネの洗礼をメシアの到来と結びついた活動と受け取ったことや、ヨハネをメシアと同一視する者がいたからです。ヨハネは、わたしはメシアでも、エリアでも、モーセのような預言者でもないと否定しました。ヨハネはイザヤ書40:3を用いて、自分を「主の道をまっすぐにする荒れ野の声」だと語りました。       

 ヨハネのもとへ遣わされた人たちはファリサイ派に属していました。彼らは「ヨハネに、あなたはメシアでもないのに、なぜ洗礼を授けるのですか」と言うと、ヨハネは「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らな方がおられる。」と答えます。

 <あなた方の知らない方>という言い方で、人間の経験や知識では、これまで考えられたことのない、旧約聖書にも現れたことのない、神と等しい方がおられるという意味です。「その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない」、とヨハネは答えました。

 これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事でした。マルタ、マリアの家のあったベタニアの村ではなく、ヨルダン川の上流地域のベタニアです。

 ここからが、本日の聖書の箇所に入ります。

 その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」とイエスを人々に紹介しました。

 出エジプトの時に、イスラエルの人たちは、子羊の血を家の鴨井と入り口の二本の柱に塗って、神がエジプト人を撃つために巡ったとき、イスラエルの人々の家を過ぎ越し、救われました。(出エジプト記12・21~30)イエスの十字架の贖罪によって世と世に属する人々が救われることが<子羊>という語で宣言されています。

 「『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」と、1章15節でヨハネが言った言葉が繰り返して語られています。ヨハネはイエスより6か月早く生まれていますが、わたしよりも先におられた方だと言っているのは、イエスは世が創造される前から神と共にあった方だと、キリストの先在性を言い、<言(ことば)>が人となって現れたのは、ナザレのイエスであることを暗示しています。

 「わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」

 ヨハネは、この方が顕現する前に先駆者として水で洗礼を授けてきた、と自分の使命を明らかにします。<この方がイスラエルに現れるために>、ヨハネは神からつかわされ、洗礼を授けるという使命を与えられ、バプテスマの活動でこの方を知り、この方を知らせる使命を与えられたのです。

 ヨハネは次のように証言します。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはその方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

 ヨハネによる福音書には、イエスの洗礼については書かれていません。ただ、霊が降ってイエスの上にとどまったのを見たという事実だけが強調されています。これはイエスこそ世の初めからおられた<言(ことば)>であり、聖霊によってバプテスマを授ける方であることを示す目印です。ヨハネはこの目印を見たので、イエスは神の子であることを証ししたのです、とヨハネは語っています。

 イエスに〝霊″が宿ることは、父なる神と子なるイエスとの交わり・一体であることが暗示されています。イエスが<聖霊によって洗礼を授ける>とは、イエスの十字架による贖罪と復活とを経て起こることになります。聖霊によるバプテスマとは、水によるバプテスマとどこが違うのでしょうか。

  ヨハネによる水のバプテスマは、「罪の赦しを得させるための悔い改めの洗礼」(マルコ1:4)です。けれども、それはあくまでも「悔い改め」の洗いであって、「神の霊による新生」の洗いではありません。ヨハネのバプテスマとイエスの名によるバプテスマの決定的違いがここにあります。イエス・キリストの名によるバプテスマにあずかった時、わたしたちはキリストと共に罪に対して死んで、復活のキリストに結ばれ、聖霊を与えられて、新しい命に生きる者とされます。聖霊とは、イエス・キリストに結ばれているキリスト者の内に住んでくださるキリストの霊です。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。聖霊のバプテスマとは、わたしたちを神の子とする霊を与えるパプテスマです。キリスト者にとって聖霊は、助け主となり、導き主となり、すべてのことを教えてくれる、最も大切な賜物です。

 洗礼のヨハネは、イエスを「神の子羊」と呼びました。「神の子羊」ということばは、イザヤ53章7節では、黙って苦しみを忍耐する主の僕が、子羊になぞらえています。使徒言行録8章32節では、その子羊こそイエスとだと語っています。「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している子羊のように、口を開かない。卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られたからだ。」

 ヨハネの見たイエスは、イザヤ書53章7-8節の預言の成就としての「神の子羊」でした。しかし今や、子羊の血はイスラエルのためだけでなく、全世界のために流された血です。イエスは、「きずも、しみもない子羊」であり、私たちたとは全く違う、罪のない方でありながら、苦難と十字架を黙って忍耐し、犠牲の死によるあがないの力によって、世の罪を取り除くことの出来る神の子羊です。

 世は神によって創造されただけでなく、今も神のみ手によって支えられながら、神は世に隠され、世は神を知らす、認めず、崇めもしません。むしろ神から離れ、自分を神として、神と断絶しています。そのような世の罪、全人類の罪をイエスは背負って、十字架のあがないの力によって「罪を取り去り」、罪と悪の支配する歴史と世界に終止符を打ち、終末を来たらせる神の子羊です。

 

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