塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

クラブ・ワールドカップが始まって

2018-12-15 00:20:13 | 日記
 僕はテレビガイドを買いませんし、そう視聴しているわけでもありません。
 
 それは我が家に衛星テレビとケーブルテレビの視聴環境が無いこともありますし、ゆっくりと寝転がって文庫本を読む、昼寝をする方が良いということもあります。

 でも、テレビを見ていてよかったと思うことは当然ありますよ。

 例えばクラブ・ワールドカップ。

 日本テレビで働くアナウンサーが、皆首元にお馴染みの七色マフラーを巻いている姿を見ると、僕らは鹿島アントラーズ、レアル・マドリードなど参加するクラブを連想できます。

 でも全く関心のない方には
 
 「あのマフラーは何?」
 「何かのタイアップ?」

 と疑問に思う方、興味を覚える方、様々な感想があるはずです。

 ちなみに初戦、劇的な勝利を飾ったアル・アインですが、そうか、塩谷司とカイオが在籍していたな、というのは一昨日のニュース・ゼロで知りました。

 印象というのは時に間違いを誘うもので、日本人選手が参加するクラブは鹿島アントラーズ、と言う連想を見事うち砕いてくれました。

 確かにこれまでのクラブ・ワールドカップでも、オセアニア代表、中米代表には日本人選手が混じっていました。

 昨年は本田がパチューカで戦っていたことを、今思い出しています。

 このようにクラブ・ワールドカップを丹念に伝えていただいている恩恵に助けてもらったわけですが、アントラーズが初戦に勝利することを、ファン以上に日本テレビが願っているであろうこと。

 想像すると苦笑いが浮かんでしまうのですがね。
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現在を生きる贅沢を感じる

2018-12-15 00:06:54 | 日記
 僕は今、講談社プラスα文庫から刊行されている「神々にえこひいきされた男たち 島地勝彦著」を読んでいます。

 この文庫を読みながら思うのは、文庫を味わう贅沢です。

 この場合の贅沢というのは、文章を読んで様々な刺激を受ける、想像して幾何の事柄を思い浮かべる、ということもありますが、僕の気持ちは別の方向にあります。

 僕の手持ち文庫は

 1・海外作家 モーム、フィッツジェラルド
 2・日本作家 池波正太郎、山口瞳、開高健

 と、既にに他界している作家がほとんどなのです。

 彼らは有名ですからお弟子さんもいますから、編集者やお弟子から見た作者の様子や未発表原稿もありますが、それらは当然限られた存在です。

 僕は彼らの作品をすべて所有しているわけでありませんから、読んだことの無いものはある意味「新刊」であって、新刊ではないのです。

 塩野七生、島地勝彦両氏の作品は

 「新しい新刊が発売される」
 「ああ、本屋に探しに出かけるのが、本当に待ち遠しい」

 という「贅沢」をもたらしてくれるのです。

 サッカーでも、マラドーナに代表される名手たちは、ビデオの時代から絶えず作品集が発売されてきました。

 その映像の中に当時を思い出すファンもいれば、エムバペに代表される現在を生きる選手に虜、と言うファンもいるはずです。

 僕は彼ら若い世代のこれからを見つめることも楽しみな一方、過去の名手にいつまでも思いを寄せるファンがいることで、サッカーは成立していると思います。

 日本もアマチュアの時代、仮に釜本が海外からのオファーがあれば、どこの国に移籍したかという想像はあったと思います。

 でも、僕を含む多くは現在を見ているはずなのですが。
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