塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

靴も見た目が大事でしょうか

2018-12-25 17:36:19 | 日記
 夏に人気の怪談話。

 何故人気化と言いますと、「目に見えないから」という人間が持つ根本的心理に波及しているためだと感じます。

 ナイキが1987年にエア・マックスを発表したとき、長年のナイキ愛好者は

 「ああ、エアって本当にあったんだね」

 と感じたそうですよ。

 つまりランニングならだ「テイルウインドウ」、バッシュならば「エアー・フォース」のように、優れた履き心地を持つナイキ製品は沢山ありました。

 一方で消費者はただ漠然と「エア」を体験していたにすぎませんでした。

 実をいうとナイキ、この窓はデザイン、言い換えれば視覚効果のために用いたのではなく、窓を付けてエア、つまり最大限に閉じ込めた圧縮ガスを外に放出しないと、靴として完成しないための措置だったんですよ。

 しかし、ここで機能性に視覚性をもたせる、2018年の現在の出来事がこの1987年に登場した形です。

 プーマのディスク・システム
 リーボックのポンプ
 ブルックスのハイドロフロー
 サッカニーの3Ⅾグリット

 衝撃吸収素材や紐替わりの機能を見せるという行為は、このエア・マックス以降に一般化してゆきます。

 サッカー・スパイクでニットがシェアを拡大しているのは、見た感じ

 「何か凄いなあ」
 「これ、ちょっと試着してえな」

 と思えるデザインと機能性が融合しているためではないでしょうか。

 今、ビジネスでスニーカーを履く行為は推進されている一方で、ロックポート、クラークスなど、機能性を備えた革靴も多くありますし、今後より靴には機能とデザインが伴う形が必要のように思えます。

 コンバースのように外見が変わらなくとも、インソールを刷新しより軽量化する、という方法もありますね。
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ユナイテッド、スールシャールを後任人事として決定

2018-12-25 14:48:14 | 日記
 本日の信濃毎日新聞に、ユナイテッドの新指揮官オレ・グンナ・スールシャール就任の記事が掲載されている。

 マンチェスター・ユナイテッドと縁もゆかりもない日本の地方新聞にさえ、監督が交代することで成績が芳しくないことが記事となる。

 逆に言えばそれだけユナイテッドが名門であり、メガ・クラブの筆頭格であると言えるわけです。

 モウリーニョ、イブラヒモビッチを残せばよかったと思ったかもしれませんね。

 彼のように、モウリーニョの凄さを知る選手がいれば、異なる空気が伝播したかもしれませんし。

 ポール・ポグバやアンソニー・マルシアルなど、主力の距離が遠のく一方と指摘せていた政権末期のモウリーニョ。

 選手が指揮官の顔色を、指揮官が選手の顔色をうかがう。

 そんな環境だったのかもしれません。

 僕もそうですけど、自分で懸命に考え、考え行動しても

 「越権行為だっただろうか」
 「果たして良い決断だったのだろうか」

 と思い悩むことがしょっちゅうです。

 モウリーニョの顔色を窺う頻度が多ければ、当然、選手が抱える心理的負担は大きくなる一方ですからね。

 スールシャールが実に温厚な人物で、選手が仮に自分の指示ではなく、臨機応変に動いても

 「良い判断だったよ」
 「ピッチの上で考え、行動することが大切だよ」

 と語りかける人物のようです。

 ウーデゴールの登場により、一躍脚光を浴びたノルウエー代表もワールドカップは1998年以来遠ざかっています。

 スールシャールが名門の立て直しで評価を高めたならば、代表監督に指名される可能性、凄く高まると勝手に想像します。
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子供時代の体験を振り返り

2018-12-25 14:34:22 | 日記
 大学生が全く本を読まない、という点が論議されます。

 実は僕も高校、大学時代は本とは疎遠でして、母校山梨学院の図書館がどんなだったか、記憶にとどめていないほどの落第者です。

 でも、今は当時を取り戻すかのように、新聞と本には目を通します。

 それは僕が機械音痴であることもそうですが、根底には習慣として根付いていた面もあるでしょうね。

 小学校時代、皆さんも読書が好きか、そうでないかで利用内容に差がついたと思います。

 読書に関心が無い場合

 本の返却日数を相当超過しており、図書館時代に生きにくい
 最悪、借りた本を紛失

 という学友がいたくらいです。

 僕は返却期限は順守していましたが、それでも借りた本は合わないことはありました。

 この幼少時の習慣が根底にあることで、一度離れても舞い戻ることは可能でしょう。

 飲酒、喫煙が法で整備されているのも幼少時の体験が、間違いなく尾を引くとの認識ではないでしょうか。

 パルセイロのような地方クラブ、そして下のカテゴリーでも学校訪問やイベントを行います。

 それは子供の時に得た体験が、将来どこかで蘇るためでしょうね。

 今、日本代表がワールドカップに出場する、アジア杯で優勝を狙うのは当然ですが、前者は1998年、後者は1992年まで未開でした。

 今の若い方は

 「ええ、そうなんですか」
 「いやあ、知りませんでしたよ」

 と語ると思います。

 そうした過去の戦いや蓄積を学ぶためにも、書籍を買うことは有意義だと思います。

 中野京子氏の著作「美貌の人」のなかで、レーニンがトルストイの「アンナ・カレーニナ」の表紙をぼろぼろになるまで読んだ、というエピソードが出てきます。

 これも本の良いところですよ。

 だってキンドルがそうなれば、それは単に故障か買い替えの時期にすぎませんから。
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