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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

もしグアルディオラが日本代表監督になったならば

2015-01-29 01:49:55 | 日記
 仮定の話ですが、仮にグアルディオラが指揮官に就任したならば、以下の点で日本代表と相性が良いと思えます。

 1・バイエルン、バルサで手掛けいsた3バック

 グアルディオラはバイエルン2季目の今季、基本布陣を3-4-2-1に置いていると聞きました。

 バルサ時代はセスクを囲い込むために3-4-3を実験的に導入しましたが、日本人は他国よりも3バックを敷いてきた歴史がありますし、広島、浦和が3-4-2-1を軸にしていますよね。

 3-4-2-1はシャドーとウイングバックが攻撃の起点ですが、グアルディオラはロッベンを4の右に置いたように、更なる発展が見受けられます。

 日本が示唆する3-4-2-1とグアルディオラが描く3-4-2-1が巧みに折衷すれば、それは凄く面白いように映るのです。

 2・指揮官の凄みを感じる為に

 「魚は頭から腐る」

 塩野七生さんは著書の中でしばしば、この格言を用います。

 それだけ頭領、大将という、陣頭指揮を任された人物の度量が問われる場面が多いという事ですよね。

 オシムが代表監督の時がそうでしたが、本当に素晴らしい指揮官が代表を率いている時は、自然とメディアもファンも聞く耳を持ち、その会見を楽しみにするようにさえなります。

 グアルディオラが就任したならば、周囲の耳目が必然と集まり、彼の胸の内を探る、学ぶ、時には意見するという行為が日常になるように感じます。

 3・監督の本質を知る

 本当に優れた監督には、高額の報酬を準備して引き留めたいと思うのが人情ですよね。

 これは想像の産物の域を出ません。

 でも、ファンだけなく一般に方までが
 
 「グアルディオラに支払う報酬は安かったね」
 「彼を招聘して良かった」

 と思って頂けるような戦いが出来るのではなかろうか、そんな気もするのです、
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グアルディオラ、バイエルン退団を示唆か

2015-01-29 01:41:36 | 日記
 グアルディオラが今季を持ってバイエルンを退団すると囁かれています。

 その理由はスポーツ・ディレクターであるマテアス・ザマーとの折り合いが悪い為と言われていますが、実際の所はどうでしょうか?

 ザマーは当然ボルシア・ドルトムント色が強い人物ですから、バイエルンが彼の招聘を決めた際、思い切った決断をするものだと僕は感じたものなのですが。

 もし、グアルディオラが本当に退団するとしましょう。

 では日本代表監督就任をお願いできる権利が、日本サッカー協会には生まれますし、それは他国も同様ですがどうでしょうか。

 マノ・メネゼスがロンドン五輪で銀メダルに終わり、A代表の整備が遅々として進まない中、非公式ではあるもののグアルディオラが

 「私はセレソンで指揮を執る準備が出来ている」

 と囁くものの、ブラジルが選択したのはフェリポンであり、2002年の再現を願う形でした。

 ブラジルがドイツになす術無く敗れた時、多くの方が

 「もし監督がグアルディオラならば、こんな大敗はしなかったに違いない」
 「もしグラルディオラがベンチに腰かけていたならば、どんな采配をしただろうか?」

 と想像したでしょうね。

 勿論、彼がセレソンを率いたとしても、レーブ率いるドイツ同様のオートマテティズムと戦術の幅を与えられる時間は無かったかもしれません.

 それでも監督が変われば

 1・招集される選手の顔ぶれ
 2・練習内容とスカウティングにおける対戦相手の研究

 が変化するのは当然です。

 グアルディオラがバイエルンを離れるかどうかはわかりませんが、もし彼が本当に退団するならば、その際は多くのオファーが殺到するに違いありません。
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