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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

小心者が選手と触れ合うためには

2013-06-16 23:32:48 | 日記
 僕が長野パルセイロ(当時は長野エルザ)の存在を知ったのが2006年。

 以後7年に渡って情報収集をしてきたのですが、選手、監督と触れ合う事はそう多くありません。

 握手をしていただいた経験があるのはバドゥと、今上田で活躍している小田竜也選手のみで、自分から声を掛けた経験が
あるのは高野耕平選手と、今FC琉球に在籍する小湊コーチだけです。

 我らがエース、宇野沢選手のサインは間接的に入手したものですし、自分でもつくづく

 「引っ込み思案」

 だなと苦笑いしてしまいます。

 冬場、千曲市サッカー場で練習見学している際は案外通路ですれ違うこともあるんです。

 でも練習の合間ですから、無暗に声をかけて邪魔をしてはいけないと思いますし、試合終了後に握手を求めるのも何だか
気がひけますし。

 パルセイロを支援しているお店でサイン会してもらうと、僕のように

 「声の掛け方がわからない」
 「選手はどんな言葉をかけて欲しいのだろうか」

 と悩んでいる方も、気軽に触れ合えるように感じます。

 実際「長野都市ガス」さんでは、選手のサイン会が行われていますし、ショールームは南長野に近い場所にありますから
ね。

 選手と監督は常に移籍を視野にいれるものですから、出会いはまさに一期一会です。

 しかし籾谷コーチ、土橋アンバサダーのように他県からやって来た方が、長野に根差した活動を精を出していただいてい
るのは有難い限りだと実感しています。

 
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個性とは一体何なのか

2013-06-16 00:40:23 | 日記
 僕は昔から「変わっているね。」「個性的だね。」と言われます。

 つまり「ヘンな奴」と思われています。

 僕からすればどこが変わっているのかわからないのですが、周囲から見ると自分たちとは異なる考えと動作で過ごしている
ようです。

 確かに鼻歌を歌う、本を読んで空想する癖は昔からありますが。

 でも言われているほうはどこか疎外感を感じるのですが、それは周囲から孤立しているのではないかという、漠然とした不
安感を覚えるためでしょう。

 日本は国際結婚が少なく、移民を受け付けているわけではありませんから、猶更そう感じると思うのです。

 僕も実際

 「何がそんなに個性的なのか?」

 と思いますが、37歳になった今でもあまりに抽象的すぎてよくわかりません。

 サッカーでは伝える側が子供たち、選手に対して個性的であれと肩を叩きますが、日常生活でどこか嫌悪感があるのに突然
サッカーの世界で言われても釈然とはしませんね。

 個性というのは

 1・体格が突き抜けている
 2・何かひとつ、突出すた技量がある
 3・考え方や暮らしぶりが周囲と異なる

 という3点に分類できます。

 1でいうならば日本代表のハーフナー・マイクがそうでしょうし、2でいうならばロナウドとギャレス・ベイルが当てはま
ります。

 3は中田英寿やダミアーノ・トンマージを僕は思い浮かべます。

 つまり個性と言葉はひとつでも、中身は細分化されているのですが、日本は個性をどこかもてあましているようにも感じま
す。

 「君はここが長所だね。」

 伝える側が単純に説明すれば、言われた側は疎外感を感じることなく落ち着いて練習できるのではないでしょうか。
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日本人にかける遊びの心

2013-06-16 00:31:24 | 日記
 スポーツ少年団や部活動など、サッカーは様々な形で子供と大人が時間を共有します。

 しかし聞くところによりますと、コーチ・ライセンスを取ったばかりのコーチは、少しでも実践で得た知識が役立つのか感じ
たいのでしょう、戦術につぐ戦術で子供たちを束縛していると聞きます。

 欧州、南米のように

 「自由闊達」

 な空気が欠けているというのです。

 つまり、学び立てということもあるでしょうが、伝える側にゆとり、言い換えれば良い意味でのゆとり、遊びの気持ちが無い
まま子供たちに接しているわけです。

 でも僕は伝える側の気持ちがわかるのです。

 例えば僕も不得手のパソコンを、虎の巻や教本をにらめっこしながらエクセル・シートに数値を記入し、ワードで書類作成の
練習をします。

 手本と少しでも違うとやり直し、そのうちどこかで躓いてします。

 ですので最近は虎の巻を読むの止めて、出来上がった内容を印刷せず、ワードアウトで言葉を入力したり、図形や写真を既に
収められた情報の中から引き出して画面に映してみたりします。

 皆さんからすれば

 「それは練習ではないし、皆知っている」
おだやかさ
 と思うでしょう。

 でも僕からすると教本を頼りにするよりも、自分の判断でクリックして出来たことがどこか楽しく、充実感があるのです。

 「おお、こんな機能もあるのか!」

 と素直に思えるわけですね。

 少年団のコーチだって上達して欲しいから口を挟むわけですが、伝えたいことの半分を心の中にしまう穏やかさを持つと良い
かもしれません。

 親御さんとの関係、勝敗と抱えることは幾つもあるでしょうし、勝てないよりは勝てた方が良いのでしょうが、勝敗よりも
子供たちが自分の力を発見する喜びも、また大切だと思うので。
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