塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

日本サッカーイメチェンの時

2013-06-04 01:06:02 | 日記
 日本代表が敵地で洗礼を受けた話はよく聞きます。

 例えば1993年のアジア最終予選、日本代表が練習場にあてがわれたピッチには、びっしりと釘がまかれていて主将の柱谷
が激怒したことはその一例ですね。

 また今回の最終予選で言えば酷暑のオマーン戦、モスクワとはあまりに異なる気候条件の為に、本田が従来では考えられない
よう不出来で終えたように、気候と環境の問題もあります。

 では一方の日本は、今回のオーストラリアだけでなく予選で訪れた国にどう対処すべきでしょうか?

 自分たちが味わった屈辱を彼らにも味あわせるべきなのか。

 それとも「フェアネス」の精神から、ホテルでも練習場でも紳士の振る舞いで接し、彼らが母国で暮らすような待遇を与える
べきなのか。

 あくまで僕の意見ですが、僕は多少の小細工をしても良いと思います。

 しかし冒頭の事例のように、故意の仕業による出来事で相手選手が負傷をしては何の意味もありませんし、何より敬意を欠く
行動です。

 例えば

 1・監督が公式会見とは異なる布陣、先発で戦う
 2・暑い国からやって来た国と戦う際は、札幌や仙台のような北の地域で戦い、寒い国と戦う際は南で戦う
 3・選手を練習中わざとホテルに送りかえし、負傷したと思わせる

 この程度でしたら、相手の逆鱗に触れることなく、こちらのペースに引き込めるように思えます。

 悪い言い方ですと小細工、良い方に解釈するならばウイットにとんだ行為。

 という形でしょうか。

 海外で日本人観光客が痛い目を見るのも、僕も含めてお人よしで脇が甘いという認識が彼らの中にある為で、だからこそ言い
寄られるのでしょう。

 サッカーもそろそろイメチェンの時期と言えますね。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本、オーストラリアと激突へ

2013-06-04 00:56:24 | 日記
 もうそろそろ、苦渋に満ちたティム・ケイヒルの顔を見ても良いのではないか。

 僕はそう思います。

 2006年のワールドカップ以降、オーストラリア代表と戦って勝利した際、PK戦を含む僅差での勝利が多かった為、
今回の一戦は快勝を期待する旨はいでしょう。

 しかし、狙いはオーストラリアの方がはっきりしています。

 仮に日本が敗れた場合、サッカルースが息を吹き返す可能性は十分にあり、むしろ日本の方が大観衆を前にうろたえて
しまわないか不安ですね。

 特に「引き分け」でも構わないという点が、選手たちに曖昧な空気をもたらさいと良いのですが。

 仮に後半40分過ぎでもドローの状態なら、ザッケローニ監督も守備の意識を高めるでしょうし、選手もファンも引き
分けを受け入れると思います。

 しかし、守りきることはそんな簡単ではありません。

 日本は守備と言いますと

 「最終ラインまで選手が戻り、相手にオープンスペースを与えない」

 という形が多いですね。

 しかしこの形ですと、上背に勝るオーストラリア、そして何と言ってもその跳躍力に定評のあるケイヒルにボールが渡
れば、リバウンド・ボールも含めて日本は神経をすり減らす形になります。

 また自陣に引いてまもることは、ボックスエリア周辺で笛が鳴った場合のリスクを背負う形になり、得策ではありませ
ん。

 ですから選手には落着きとマイボールの保持、敵陣深くでボールを回すなど、臨機応変な態度が求められます。

 テレビ朝日はヨルダンに敗れた際

 「これでホームで決める瞬間が訪れた」

 と自分たちに都合よいコピーを付けてしまい、皆がどこか鵜呑みにしていますが、この試合で予選出場の乏しい選手を
起用できる

 「消化試合」

 になっていれば、何の問題も無かったのですが。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする