塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

岡田監督に思うこと

2010-02-15 01:16:09 | 日記
 「雨降って地固まる」という言葉がありますが、現在の不振が日本代表の土台がために本当に繋がるのでしょうか。残念ながら現在の日本代表の姿から、6月のワールドカップに向けて、希望的観測は見えません。

 東アジア選手権3試合のうち、中国戦の90分しか見ていない僕が言うのはアンフェアかもしれませんが、岡田監督は自分で自分のクビを締めていると思います。正直代表選手にも観客にもマスコミにも、非常に大きな沈滞ムードが漂っています。この時期の監督交代が非現実な今、この沈滞ムードを打破するには、「布陣の変更」もしくは「選手の入れ替え」の2種類しか方法はないはずです。
 でも岡田監督は常に同じ顔触れで試合に臨んでいます。これでは新陳代謝にはつながりません。

 岡田監督の胸のうちは、既存の選手による攻撃パターンの確立とチーム全体の意思統一を図る方が、ワールドカップに向けての準備としては適していると考えているのだと思います。
 確かに8年前の今頃、フィリップ・トルシエは、ワールドカップ本番直前まで選手をふるいにかけ、代表の競争力を保とうと必至でした。しかしそのことが逆に選手を疲れさせてしまった。
 岡田監督としては、この「無意味な選手間の競争」を避けようとしているのかもしれません。もしそうならば監督の手がけている事には一理あります。

 ただ新規加入の選手や常にベンチに追いやられている選手が、新たな化学反応を起こす可能性があることも又事実ですね。4年前のフランク・リベリがそうでした。代表キャップ「0」でドイツワールドカップにエントリー。今ではフランス代表とバイエルンの顔として、世界中のファンから一目置かれる存在になりました。ドイツでの日々が現在のリベリを確立する土台になったわけです。
 レイモン・ドメネクは何かと問題を起こす監督ですが、リベリを抜擢した事に関しては、どんなに彼を毛嫌いする評論家でも認めるしかありません。

 1998年岡田監督は小野と市川、そして中村と若き逸材を次々と召集し、僕たちファンを大いに驚かせました。ですから岡田監督の考えに柔軟性が無いわけではないと思います。ただ結果が伴わないため、新顔の起用に躊躇しているのかもしれません。

 しかし現状打破のためには監督が今の先発の顔触れをもう一度考え直す必要があると思います。次回の代表戦はアジアカップ予選のバーレーン戦ということですが、選手ともども真の意気込みを見せて欲しいものです。
コメント (2)
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