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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

中村俊輔のF・マリノス復帰について思うこと

2010-02-17 20:34:59 | 日記
 中村俊輔がエスパニョールからレンタルの形でF・マリノスに復帰する案が浮上しています。果たして木村和司新監督は、中村の現段階での復帰を歓迎するでしょうか。確かに中村の復帰は観客動員の増加に繋がるでしょうし、新たなスポンサーシップ獲得という金銭面で大きなメリットが見込まれます。
 また中村にしても試合勘が補え、同時に言葉の問題と住環境の問題が解消できる日本への復帰は、エスパニョールでの現状を考えれば受け入れる事にメリットがあるようです。でももし僕が木村監督の立場なら、「キャンプの前に決まって欲しかった。」というのが本音だと思います。
 
 中村の復帰でパスの種類と正確なFKという武器が手に入るのは間違いありません。しかしパスの受けてである渡邊バスティアニーニ、そして狩野との呼吸を合わせるには、もはやぶっつけ本番に近い状態となります。

 恐らく杞憂の結果になると思いますが、山瀬との共存も囁かれる形になると思います。ここ数年移籍が囁かれながらも山瀬が残留してきた背景には、彼が攻撃の大黒柱であることを、フロントが彼にずっと説いてきたからでしょうし、中澤や松田といったクラブの顔役からの慰留があったからかもしれません。

 中村が加わる事で彼の心理的負担は随分と軽減されるでしょうが、今までとは異なる役割分担を与えられた場合、中村同様山瀬も実戦の中で馴れてゆく他ありません。こうしてみると中村の現段階での獲得は、お金の面ではメリットですが、クラブの戦力としてはデメリットの可能性もあります。

 ただファン心理を考えた場合、中村がトリコロール以外のJ1のジャージを着ている姿は見たくないと考えるファンは多いでしょうね。やはりF・マリノス復帰が今中村にとって、最善の策と言えそうです。
 
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チェルシーはかつての英雄をどう迎えるのか?

2010-02-17 18:52:39 | 日記
 チャンピオンズ・リーグで最も注目を浴びる一戦が「チェルシーVSインテル」ですが、スタンフォード・ブリッジに集まる熱狂的なファンたちは、かつての英雄をどのように迎え入れるのか、僕は今から興味が湧いています。

 モウリーニョはユネイテッドや同じロンドンの雄アーセナルから、2年続けて覇権を奪った文字通りチェルシーの英雄といえます。確かに前任者クラウディオ・ラニエリが、既に地盤を地ならししてあった影響もあるかと思いますが、その一方でリカルド・カルバーリョとディディエ・ドログバ、マイケル・エシアンなど、現在のチェルシーの主力が今でも残留を果たしている事は、モウリーニョの殊勲と言ってもいいと思います。(ショーン・ライト・フィリップスのように、古巣に帰還している例、サロモン・カルーのように、先発とベンチを行き来している例もありますから、手放しでは賞賛できませんが、選手の補強に当たり外れがあるのは仕方ありません。)

 転機となったのは2006ー07シーズンですね。
 アンドリュー・シェフチェンコとミハエル・バラックという二人の大物が、オーナーのアブラモビッチの主導で加入して以来、両者の関係に亀裂が入ったと言われています。布陣も従来の4-3-3からふたりを共存させるべく4-3-1-2に変更するなど、モウリーニョは彼なりに「正解」を導き出そうとしましたが、アブラモビッチの出した正解は「解雇」でした。

 モウリーニョの言うように彼が退団した以降は、アブラム・グラントからフェリペ・スコラーリそして現在のカルロ・アンチェロッヒと、この2年でチェルシーは3人の指揮官を雇っています。
 そしてお世辞にもイタリア時代から、アンチェロッティとモウリーニョはウマが合うとはお世辞にもいえなかった仲です。

 もちろんミランとインテルという、イタリアを代表する2つのクラブが、手を取り合うという図式は考えにくいですし、ダービーマッチでの勢いさながらの舌戦を、両者が繰り広げたこともあります。

 仮にチェルシーのファンがモウリーニョを拍手でむかえたなら、アブラモビチッチとアンチェロッティの面目は丸つぶれですし、逆にかつての英雄にファンがそっぽをむくことも非常に考えにくいのです。

 もしかすると今サッカーの世界で最も頭を悩ませているのは、既にチケットを手にしたチェルシーのファンたちかもしれません。
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日本代表の監督選び

2010-02-17 14:49:45 | 日記
 フィリップ・トルシエ時代の話です。彼は日本代表監督だけでなく、五輪代表とユース代表の監督も兼任していました。彼が就任した1998年から2002年のワールドカップにおいて、A代表からユース代表まで人材の流れがスムーズだったのは、「3世代が全て同じ戦術戦ったこと」「指揮官が3世代の選手の特徴を把握していること。」この2つの要素をトルシエが握っていたからです。

 しかし2002年以降この流れは立ち消えとなってしまいました。
 もし日本が将来本気でワールドカップの優勝を考えているならば
 「トルシエのように五輪とユース代表を兼任し、同時に同じ戦術を植え付けられる監督とアシスタント・コーチの招聘」
 「JFAエリート育成プログラムで育った選手との融合」

 この上記2点を視野に入れて岡田監督退任後の指揮官選びを考える必要があると思います。

 今岡田監督が窮地に立っているという事は、彼を支えている大木コーチも存在も揺るいでいるという証拠です。ですから2014年ブラジル大会までの4年間を同じ監督に指揮を執って欲しいならば、アシスタントコーチの人選も今まで以上に注意する必要があります。解任ならば違約金も発生しますし、違約金を払うくらいなら最初からしっかりした人選を行う必要があります。

 トルシエ時代と同様に五輪とユースが、A代表と同じ指揮官の下で動いているなら、A代表への選手の召集に支障は少なくなりますし、選手の違和感も軽減されると思います。
 また「JFAのエリートプログラム」の育成結果はまだ明らかになっていませんが、この育成された選手達をいかに取り込むかという点で、僕は再び欧州から監督を招く事が必要だと感じています。

 単純に日本にはサッカーに限らず「エリート」の存在は見受けられませんが、欧州には「エリート」を育んできた土壌があります。ですから欧州から監督を招きアシスタントは日本人に任せるという、トルシエと山本という2002大会のような形が良いのではと、今僕は考えています。
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どうしてブラジルはサッカーが強いのか?

2010-02-17 14:25:37 | 日記
 僕は最近考えていることがあるんです。それは「どうしてブラジルはあんなにサッカーが強いのか?」という事柄です。確かにブラジルには過去にも現在にも優れた名手が沢山存在しますし、ワールドカップ優勝回数5回は世界最高の記録です。

 しかしブラジルの各クラブは常に経営問題を抱えており、有望な選手を欧州に売却してその場を凌ぐことが多い上、給料の遅延も多いことで知られています。そしてクラブの設備も整っているは言いがたい。ではどうしてブラジルは常にサッカー王国と自他ともに認める存在でいられるのでしょうか?

 僕はその答えを「ブラジルには本国だけでなく、世界中に彼らを批評するファンがいるから。」に求めようと思います。

 セレソンにしてもブラジルの各クラブにしても、その動向は常に世界から見つめられています。
 欧州に限らず世界中のサッカークラブが、補強の矛先をブラジルに求めることが多いですし、それは日本も変りません。ですからブラジル全国選手権やコパ・ド・ブラジルなど、目を見張る選手が現れたなら、選手の育った家庭環境や年齢、そしてプレイの長所と短所を全て調べ上げ、そしてオファーを出します。

 つまりブラジルの選手にとって、自分の出る試合は常に「見本市」であり、自分が所属するクラブのファンの視線だけでなく、ブラジル国内のビッグクラブ、そして欧州やアジアのクラブからの視線、言い換えれば「批評」を否応なしに受け入れなければいけません。
 ブラジルの選手が常にサッカーの事が頭にあるのは、ある意味自然な流れと言えます。

 一方のセレソンはどうでしょうか
 セレソンはどんなに不調でもワールドカップ優勝の最右翼に挙げられますし、その戦いぶりはブラジルのメディアだけでなく、世界中のメディアが取り上げ批評し記事にします。
 それは日本のように、ブラジルの足下にすら及ばないような国ですらそうなのですから、歴代のセレソンの指揮官たちは世界中から注がれる批評に、時にはうんざりしていたと思います。ドウンガは戦術や選手交代だけでなく、自分の着ている衣類でさえ批評の対象になっていますからね。

 つまえいセレソンの指揮官と選手達は、世界中から集まる視線を真正面で受け止め、そしてその視線を自分の技術向上の肥料に当てているわけですね。ですからあれだけ厳しい批判にも逃げずに応対しますし、自分たちのプレイがどれだけ世界に影響を及ぼすかも理解している。だからセレソンは常にワールドカップの優勝候補に挙げられると思うのです。

 日本はサッカーに限らず、どんなスポーツでも厳しい批評を避ける傾向にあります。やはり日本の記者の多くは「場の雰囲気」というものを尊重するのでしょうし、監督や選手にも「言い分」があると考えているのだと思います。

 僕も選手と監督を貶めるような記事ではなく、適切な表現方法でサッカーのブログを綴っていけたらと思っています。
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