ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



ね、如来とか菩薩とか、高級霊っておられるんでしょ。となると低級霊ってのもいるの? でもそれって、差別じゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『太陽の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 一方に高級霊がおりながら、他方に低級霊がなぜいるのかという問いに対しては、仏の世界観は、「平等」と「公平」という二つの観点からなりたっているということから答えていかなくてはなりません。
 すべての人間、すべての動物、すべての植物、すべての鉱物に仏性が宿っているという事実、たとえ現象としてはどのようにあらわれていようとも、万象万物は、すべて仏の意志の発露であるという真実、これは、動かしがたい仏法真理なのです。
 言葉をかえていうならば、生きとし生けるもの、万象万物はすべて、仏の叡智という名のダイヤモンドでできているということです。(中略)これが、仏教でいう万物に宿る仏性であり、人間を仏の子として捉える思想なのです。したがって、高級霊であれ、低級霊であれ、仏の生命を体現しているということに関しては、すべて平等なのです。平等でないというのは、「高級」「低級」という言葉の響きに迷わされているだけにすぎません。
 要は、高度に進化した霊と、進化途中の霊、そして、未発達の霊があるだけなのです。すべて同じ道筋を歩いている者なのですが、つまりは、先を歩いている者と、後方を歩いている者とのちがいがあるということなのです。
 高度に進化した光の指導霊というのは、魂としてつくられたのが古いために、目的地である仏の境涯に近い先の方を歩いているのです。一方、未発達の霊というのは、そのほとんどの場合、魂がつくられたのが新しい。新しいがゆえに、後方を歩いているだけなのです。はたして、これを不平等だといえるでしょうか。自らの歩いたぶんを、その距離を距離として評価すること自体が不平等だといえるでしょうか。
 それは、平等、不平等ではなく、公平の観点から評価されるべきことなのです。
(81~83ページ)

仏の世界観は、「平等」と「公平」という二つの観点からなりたっている。

すべての人間、動物、植物、鉱物には仏性が宿っているのであって、これは人間を仏の子として捉える思想であるから、高級霊であれ低級霊であれ、仏の生命を体現しているゆえにすべて「平等」である。

要は、高度に進化した霊と、進化途中の霊や未発達の霊があるだけであって、同じ道筋を歩いていても、先を歩いているか後方を歩いているかのちがいがあるだけであり、これは「公平」の観点から評価されるべきである──。

何かというと、すぐに“差別”だと言って主張する人がおられると思います。

でも、何かに差をつけて評価するのがすべていけないかのように考えてしまうと、どんなに努力しても意味がないことになりますから、すべてにおいて進歩がなくなってしまいます。

努力した結果と努力していない結果に対して異なった評価がなされるのは、“不平等”なのではなく、「公平」に評価してもらえるということであって、そのことには感謝すべきなんだろうと思います。

そして、このように考えていくことこそが、「平等」と「公平」という二つの観点から成り立っている「仏の世界観」であることを、大川隆法先生は教えておられるわけです。

さてさて、新しい年、2024年。

本年は、幸福の科学の教えの基本書であり、大川隆法先生の教えの根本が説かれた最重要の書籍の一つである『太陽の法』から、ご紹介をはじめてみました。

大川隆法先生のお教えの素晴らしさを、書店で誰もが入手できるご著書を用いて少しずつお伝えしようと、2006年から延々と書き続けてきたこのブログですが、マンネリをものともせず、もうしばらく努力を続けたいと思っています。

本年も、よろしくお願い申し上げます!

『太陽の法』

  大川隆法著


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