潮吹を吹く元気な鯨に、亡くなられた鬨也先生を想う句である。「根の国」は黄泉の国と同じだが、海の彼方、または海の底にある国とされている。「亡くなられたけれど先生は海に居て元気だよ、ほら潮を吹いてるよ」と言われた気がして、『うん』と頷いて涙を拭った。
「鯨波」に「鬨の声」の意味合いがあり、「鯨」は創刊主宰菅原鬨也先生と同義のように存在する。三回忌の今年、「鯨波忌」としてたくさんの句が詠まれたことが今号の「虚実淙淙」に記されている。又、「どの子にも水飲むコップ鬨也の忌 成田一子」<会員のひとりひとりに、俳句という「器」を、そして各人の個性に合った「コップ」を用意して私たちの師は旅立ちました>と言葉が添えられている。学んだことが形見である。このブログも鬨也先生の無茶振りで始まった。止めてしまおうと思いながら、何故か書いてしまうのも「コップ」なのかもしれない。(博子)
「鯨波」に「鬨の声」の意味合いがあり、「鯨」は創刊主宰菅原鬨也先生と同義のように存在する。三回忌の今年、「鯨波忌」としてたくさんの句が詠まれたことが今号の「虚実淙淙」に記されている。又、「どの子にも水飲むコップ鬨也の忌 成田一子」<会員のひとりひとりに、俳句という「器」を、そして各人の個性に合った「コップ」を用意して私たちの師は旅立ちました>と言葉が添えられている。学んだことが形見である。このブログも鬨也先生の無茶振りで始まった。止めてしまおうと思いながら、何故か書いてしまうのも「コップ」なのかもしれない。(博子)