作者は奈良漬の寒仕込みに感心し、私は「脳の皺」に少なからずビックリしている。仕込んで、奈良漬けになるまで6~10ヶ月位かかるそうですからやっぱり雑菌が繁殖しにくい寒の時期に漬けるのがいいのでしょう。「脳の皺」は知識や知恵にあたるのでしょう。本当かどうか分かりませんが、賢いひとは脳にシワが多いとか言いますものね。(博子)
前句に続いて季語と物だけの句。ビストロというおしゃれな響きが語る楽しげな店内。断熱効果を上げるために寒い地域で多く使用されてきた「二重窓」が「凩の夜」の寒さを強調し、暖かな空間で過ごす至福のひとときも又強調させるべく働いている。<いかに黙り、余白に語らせて余情を生むか>そんな手腕を感じる句。「ありがとうございました」の声に送られて外に出れば、ワインにほろ酔ふ作者の肌に凩が気持ちいいのかもしれないですね。どなたとご一緒だったのでしょうね。暖かな人物の存在も感じられる句だと思いました。(博子)
この意表を突く二物衝撃の句は楽しかった。なづな粥は七草粥と同意。数字が重なるので回避したのだろう。一年の邪気を祓うとされ、我が家でも欠かさないが、外は寒く、雪がつもっていたりして探すのが大変でスーパーで七草パックを買ってしまおうかと思ったりする。そんな心持で身を低くして一生懸命地面を見ている。一緒に探してくれたらいいのにと炬燵に居る夫の「目」をあてにしたくなったりする思いや、「草」は「葉」であること、過去と新しく始まったばかりの今年。変わらずに受け継がれてきた事と、カンブリア紀で唯一複眼を持つ生物である三葉虫の視力はあまり良くなく、複眼を増やす進化を遂げていることなどが思われ、類似と対照が混在して季語との呼応を果たしている。息災を願って炊き上がった粥の白と青(緑)のコントラストが一層美しくも感じられた句であった。(博子)
穏やかな元日の海。未来というこれからの時間はそんな時間であるかのようだと感じ取った句。そして、波風のたった過去もまた作者の思いの中にはあるのだろう。自身に起きた事。日本に起きた事、世界に起きた事。地球に起きた事・・・。時間は歴史である。心に起こる葛藤も、天変地異も、初凪の海からは微塵も感じられないありようが詠まれて、隣にたって「そうだね」と、私も言ってしまいそうだ。(博子)
「七年」と題した八句が並んでいる。東日本大震災からの七年だろう。まだ復興の最中にあり、暮らしも心も落ち着いた状態とはいえない。作者は常に被災地、被災した方々に心を寄せている方である。海を思わせる「海鼠」にあの大津波を思うが海鼠のイメージを覆す不思議な句である。海底をゆっくりと這い、基本的に不活発な海鼠に「日暮まで」という活動時間のリアル。「翼をさがす」という行為は、飛びたいがためなのか、あったはずの翼の紛失なのか。兎に角、冬の寒さのなかに一心に探している。そして、疲れた海鼠の身心に来る夜が、闇が・・・。そして夜が明ける。生活のサイクルは「さがす」ということに終始する。本来を失った海鼠が詠まれたのだろうか。翼が見つかったら現状がかわる。そう信じて海鼠は這いずり回るのか。胸苦しさの残った句だった。(博子)