しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

役行者小角

2021年04月24日 | 銅像の人
場所・岡山県倉敷市西阿知


役行者は「その姿は老人で、岩座に座り、脛(すね)を露出させて、頭に頭巾を被り、一本歯の高下駄を履いて、
右手に巻物、左手に錫杖(しゃくじょう)を持ち」のだが、
この像に錫杖は欠けている。

県内に数ヶ所以上の役行者の像はあると思える。






「超人役行者小角」 志村有弘  角川書店  平成8年発行

はじめに

役行者(えんのぎょうじゃ)くらい謎につつまれたふしぎな人はいない。
行者は空を飛行することができたという。
役行者は通りいっぺんの仙人ではなかった。
人にとりついた怨霊を鎮めたり、病人をなおしたり、行者に助けられた人は数えることができないほどである。
行者の与える呪符は、多くの人々を難病・奇病から救ったといい、だから、後世、『扶桑皇統記』の作者は世人が「活仏(いきぼとけ)」のごとく敬ったと書いている。

行者が偉大であったのは、天武天皇が帝の位に即くときに、相当な助力をしていると思われるのに、まったく歴史の上では姿を現していないことだ。
けっして表面に名前が残るような姿勢を見せなかった。

役行者は、ある一定の場所にとどまっているということがなかった。
生まれ故郷の大和から、北は関東、東北まで足をのばし、南は中国地方から九州の各地まで、
高い山があれば修行の場を求めて飛び去って行った。








(Wikipedia)
役 小角

舒明天皇6年(634年)伝 - 大宝元年6月7日(701年7月16日)伝)は、
飛鳥時代の呪術者。
役行者(えんのぎょうじゃ)、役優婆塞(えんのうばそく)といった呼び名でも広く知られている。
日本独自の山岳信仰である修験道の開祖とされている。

実在の人物だが、伝えられる人物像は後世の伝説によるところが大きい。
前鬼と後鬼を弟子にしたといわれる。
天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など多くの修験道の霊場に、役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承がある。






撮影日・2016年4月23日

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