しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

有森裕子

2021年03月16日 | 銅像の人
場所・岡山県岡山市北区いづみ町 カンコースタジアム(現シティライトスタジアム)前



有森裕子選手は二度見た。
最初は瀬戸大橋の橋の上。
瀬戸大橋開通20周年記念行事の時で、参加者にもみくちゃにされていた。次々に握手や抱擁をされて前進できないほどだったが、
本人は笑顔で対応していた。
二度目は笠岡ベイファームマラソンで、先にゴールした有森は走る選手に声援を送っていた。

選手を引退後も、スポーツや社会活動で岡山県や日本を代表する活動家として頑張っている。








人見絹江と同郷のメダリスト、有森裕子は、就実高校時代、長距離走に取り組んだ。
岡山市内で開かれた山陽女子ロードレースで、優勝舎に贈られるのが人見絹江杯だった。
有森自身は、リクルート時代の1989年(平成元年)行われた第8回大会のハーフマラソンで優勝、
人見絹江像のトロフィーを手にしている。

花開いたのが、1992年の第25回スペインバルセロナオリンピック。
女子マラソンで有森は2位に食い込み、見事に銀メダルを獲得した。
その日は人見絹江が日本女子陸上選手として初めてオリンピックでメダルを取った日と同じ日であり、
その日から実に64年という月日が経過していた。
有森にとって
「人見さんを語らずに過ごすことはない」くらいの大きな存在になったという。

有森は「人見からバトンをもらった気がする」として、
国連人口基金親善大使などとして各種ボランティア活動と取り組んでいる。


「伝説の人 人見絹江の世界」 猪木正実著 岡山文庫・文教出版社 平成30年発行





撮影日・2009年11月21日




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