しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

吉備真備

2021年04月15日 | 銅像の人
場所・岡山県倉敷市真備町  (倉敷市真備支所)






吉備真備

奈良朝の政治、学術、文化の上に吉備真備の残した足跡は大きい。

その出生は吉備郡真備町八田に生まれたと伝えられる。
父が下道朝臣(しもつみちあそん)国勝という勢力者だったから、真備は早くから奈良の都へ上って学問をし、
23歳の春には派遣学徒として唐へ渡った。
同行の中に当時16歳の阿倍仲麻呂もいた。

この地で真備は19年間にわたって、儒学、暦学、天文、度量衡、武術、音楽など多方面の学問芸術を習得し、
帰朝すると大学助に就任した。
同時に皇太子の教育を担当する東宮学士という役目も与えられる。
この皇太子が孝謙天皇で、真備は再度、遣唐副使として唐にわたるのである。

この再唐にさいして真備には大きな役目が課せられていた。
それは唐の名僧鑑真和上を日本へ招聘することである。
仏教の権威を高めるため、どうしても高僧の来朝が必要だった。
その後の日本仏教界に彼が重きをなしたことはいうまでもない。

天平勝宝押勝の乱を、軍師として鎮圧した。すでに70歳だった。
晩年は愛用の琴一面をたずさえて郷里に帰り、光風霽月を友にして余生を送ったという。


「岡山の人物」  黒崎英明  岡山文庫  昭和46年発行








撮影日・2011年7月10日




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1 コメント

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吉備真備出生の地 (killy)
2021-04-15 08:46:24
吉備真備が生まれた場所は、真備町と奈良の説があります。
私は、両親が奈良に居住していたので奈良説をとりますが、奈良にも真備町説の人がいます。
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