しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

震洋隊殉国慰霊塔

2021年01月27日 | 「戦争遺跡」を訪ねる
場所・高知県香南市夜須町手結山住吉漁港  「震洋隊殉国慰霊塔」
訪問日・2012年4月4日


「震洋」という特攻兵器があった。

震洋は、全長5~6mの程の小型ボート。
大戦末期には本土決戦に備え4.000~5.000隻が実戦配備されていた。



木製のモーターボートに250kgの炸薬を積み込み、
本土に上陸する海兵隊の艇に体当たり攻撃。
米軍の上陸が予想される海岸に配備されていた。





ここ夜須町の住吉海岸は「四国の湘南」とも呼ばれるきれいな海辺。
その海辺に昭和20年、140人の海軍兵が米軍に備えていた。

終戦の翌日、昭和20年8月16日
震洋の1隻が燃え爆発し、他の震洋も爆発していった。
140人のうち、111人が肉片となり散った。






旧海軍の震洋特攻兵は、ほぼ予科練生と、元予科練生
年齢でいえば16~18才程度の若い特攻兵であったと推測される。

戦果が目的のはずが、
死ぬことが目的になっていった戦争末期の特攻兵。
生きて終戦を迎えたが、その翌日に事故死とは痛ましい。



港で網の手入れをする漁師さんに、
「当時の跡は何か残っているのでしょうか?」と尋ねた。

漁師さんは手を休め、
「神社の石段のところに穴を掘りボートを隠していた。
その穴が近年まで残っていたが、崩れてしまった。
その場所に遺族の方が檜を植えて弔っている」と・・・・相当な土佐訛りで・・・話してくれた。

その話しぶりも、なにか兵にたいして可哀そうな口ぶりだった。



・・・・・


「日本の軍事遺跡」 飯田則夫著 河出書房新社 2004年発行 

震洋(しんよう)

海軍唯一の水上特攻兵器である。
軽くて強度が確保できるベニヤ板を張り合わせたモーターボートに爆薬を積んで敵に体当たりする。
「太平洋を震撼させる」の意から震洋と名付けられた。

67馬力のトヨタ製自動車用ガソリンエンジンを搭載し、
乗員1名、
艇首に250㎏爆薬を付け、
ロサ弾と13mm機銃で武装し、
敵の上陸間際に夜陰に乗じて奇襲をかける。
乗員は予科練性が中心。

敗戦後は沖合に沈められた。





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