まぼろしの従兄
近くに住むおば(父の妹)は高齢となって、もう2年ほど会っていない。
おばに長男は二人いる、いた。
昭和19年に満州帝国で最初の長男を産んだ。
次に笠岡市で昭和30年ごろ(二人目の)長男を産んだ。
最初の長男は満州帝国の崩壊で、混乱の最中に失った。
おばは
昭和18年、結婚と共に満州に渡り
昭和19年、長男を産んだ。
昭和21年、夫と二人で笠岡に帰った。
「子供がいないかったから日本に帰れた」という話を、おばから聞いた時、
自分の喉が絞めつけられ、呼吸ができないほどの衝撃を受けた。
子供はいた。
おばに男の子がいたことは、父や母の話で間違いない。
その子は、
死んだのだろうか?中国残留孤児で生きているのだろうか?
残留孤児が新聞テレビで報道された時代、おばはどんな気持ちだったのだろう?
おばは帰国後、三人の子を授かった。
おばの胸に満州の子は無かったことになっている。
そして満州帝国自体に戸籍制度もなかった。
真実はもう確かめようもない。
近くに住むおば(父の妹)は高齢となって、もう2年ほど会っていない。
おばに長男は二人いる、いた。
昭和19年に満州帝国で最初の長男を産んだ。
次に笠岡市で昭和30年ごろ(二人目の)長男を産んだ。
最初の長男は満州帝国の崩壊で、混乱の最中に失った。
おばは
昭和18年、結婚と共に満州に渡り
昭和19年、長男を産んだ。
昭和21年、夫と二人で笠岡に帰った。
「子供がいないかったから日本に帰れた」という話を、おばから聞いた時、
自分の喉が絞めつけられ、呼吸ができないほどの衝撃を受けた。
子供はいた。
おばに男の子がいたことは、父や母の話で間違いない。
その子は、
死んだのだろうか?中国残留孤児で生きているのだろうか?
残留孤児が新聞テレビで報道された時代、おばはどんな気持ちだったのだろう?
おばは帰国後、三人の子を授かった。
おばの胸に満州の子は無かったことになっている。
そして満州帝国自体に戸籍制度もなかった。
真実はもう確かめようもない。
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