しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

大内弘世騎馬像

2021年06月03日 | 銅像の人
場所・山口県山口市
制作・作者不詳
設置・昭和55年




大内弘世

?~1380
南北朝時代の武将
周防の豪族出身、正平18年(1380)ごろ、幕府と和し、周防・長門両国守護となる。
私貿易で巨富を得たらしく、将軍近臣以下に銭貨や唐物を与えたという。
本拠を大内村から山口に移し、山口発展の基礎を築いた。

「日本の銅像」  金子治夫  淡交社  2012年発行






(ニコニコ大百科)
大内弘世(?~1380)とは
南北朝時代から室町時代にかけて活躍した武将である。
1358年には隣国長門に侵攻し、北朝守護の厚東義武を九州に追い落として制圧したのである。
幕府は大内弘世に周防だけでなく長門守護職も認め、1363年に彼を恭順させることに成功したのである。
同年には山名時氏も幕府に帰順し、西国が幕府の勢力圏へと再び変じたのである。
こうして周防・長門をおさめた大内氏であった。が、幕府から距離を置くようになる。
息子である大内義弘とは、親子関係にしこりを残したまま大内弘世は亡くなった。



撮影日・2014.年7月12日

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