しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

ひな祭り

2022年02月24日 | 昭和31年~35年
北木島の「流し雛」

笠岡市北木島町 2019.3.31


城見保育所の「ひな祭り」はよく覚えている。
教室の壁に、先生(今は保育士さん)が千代紙のひな人形を作って貼った。
たった二つの千代紙の人形だったが、それを見ているだけで楽しかった。

近年はどこの街でも「雛人形展」を催しているが、
たまに見る折り紙の雛人形にいちばん目が行く。


・・・・・


ひな祭りの源流  昭和33年3月3日  ~天声人語~ 荒垣秀雄


いつのまにかもう三月になった。
そしてきょうはひな祭り、桃の節句。

ひな祭りは女節句だけに優美でやさしい。
静的で、みやびやかで、やはり女性のものだ。
桃の節句というが、野にはまだ桃の花は咲かず、雪国では家も雪の中にある。

ひな祭りは元は流しびなという戸外の行事だった。
人間には罪の自覚や穢れの意識がある。
その罪の罪や穢れを去って、清らかになりたいとの願いやあこがれがある。
昔の人はそれを素朴な形で表現した。
人間の姿に似せて人形をつくる。
それを形代として、わが身の身代わりに罪や穢れを背負ってもらい、川や海に流す。

ひなを流したあと、身も心もきれいになったと、せいせいした気持ちで、また精出して働く。
いかにも原始的な宗教心のようだが、一年のうちにはそうした折り目を正しては、
また明日から心も新たに出直そうとする。
われらの古き祖先には、人間の生き方としてこのような謙虚な知恵があった。

おひな様も立派なものは何万円、何十万円もする。
形代にして流すわけにもいかぬ。
それはもっぱら見て楽しむだけのものになった。
女の子のある家庭では、わが子の健やかな成長を祝うだけの祭りである。
それはそれでよい。
が、現代人は祝うことのみ好きで、謙虚な反省では古人に劣りはせぬか。
流しびなの古典の風習も、どこかに生きかえらしたい気がする。

・・・・・

北木島の「流し雛」

笠岡市北木島町 2019.3.31

・・・・・
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 浅間山荘 昭和47年2月19日 | トップ | 赤線の火消ゆ  昭和33年3月... »

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
流しびな・矢掛 (killy)
2022-02-24 11:21:14
矢掛町でも北木島の流し雛を参考に、流し雛のイベントが催されていましたが、コロナ禍で中止しています。
町が取り組むイベントとして問題なのは、新設のイベントであるにもかかわらず宗教色を出したこと。淡島様の御霊を迎える踊りをします。
寄付を募った金で、夏冬に宴会を催し(町長・教育長・他役員一同)、参加できなかったメンバーが翌年の参加を断り、今では中高生が踊りに参加してPTAからも抗議があります。
主催者に注意したら「ワシはエライ一人を知っとる」と言って脅されましたが、結局役員が変わりました。
返信する

コメントを投稿

昭和31年~35年」カテゴリの最新記事