しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「明日、仏さまにないやっとごわんど」

2022年04月27日 | 昭和20年(終戦まで)

陸軍特攻基地として知られる「万世飛行場」のはなし。

・・・・・

ある夜、ソヨは婦人会の女たちと、炊事場で出撃用のおにぎりを作っていた。
出撃前日の青年が二階から降りてきた。
倉田道次という少尉だった。
「それは誰が食べるの」
「みなさんが・・・・」
奉仕隊の一人が小さな声で答え、もう一人が
「あなたたちが,持っていくと、聞いています」
と途切れ途切れに言った。
倉田の声は穏やかだった。
「もう遅いからそんなことをしないで、早くお帰り下さい。
それを食べる時間には僕たちはもう生きていません・・・・・・」
出撃後、二、三時間で彼らは沖縄の敵艦に突入するのだ。
倉田はまだ二十二歳である。
「だから作らなくてもいいよ。残った人たちに食べさせてあげて下さい」
女たちは黙ってうつむき、ぽたり、ぽたりと涙がおにぎりに落ちた。
それを見て倉田は
「塩はいらないね」と笑った。
女たちは泣きながらおにぎりを作り続けた。
ソヨには、若者が心底で肉体の飛び散るぎりぎりの時間まで生を希求していることが分かっている。

 

息子のような彼らをかばうのも、彼女の役目だった。
出撃前夜に、将校が特攻隊員の頬を張るのを見かけたことがある。
隊員のいないところで、彼女は将校に薩摩弁で食ってかかった。
「なんてことをすっとですか!
あん人たちは明日、仏さまにないやっとごわんど」

 

ソヨは二〇〇一年に九十七歳でこの世を去った。
その仏壇では、ソヨと五人の少年兵たちの写真が佇んでいる。

 

 

特攻旅館の人々 「後列のひと」 清武英利 文芸春秋 2021年発行

 ・・・・・・


仔犬を抱いて笑ふ少年特攻兵の写真は悲しい

四五年五月末、出撃前の彼らの一人は仔犬を抱いて笑っている。
自分が乗り込む特攻機に爆弾を装備するのを見ているとき、
近くを歩きまはってゐる仔犬を見つけて抱いたといふ。

抱いてゐるのは十七歳の荒木幸雄伍長。
ここでわたしは言葉が泪に濡れないやうにして書くが、
これは昭和日本の最も悲しい写真だらう。


「星のあひびき」 丸谷才一  集英社  2010年発行



 

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