しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

武市半平太

2021年04月09日 | 銅像の人
場所・ 高知県須崎市浦ノ内 「武市瑞山銅像」
制作・原寛山
設置・昭和61年


土佐の最下級武士の岡田以蔵が、いわれるまま「人斬り」をして、最後には虫けらのように磔刑で死んでゆく。
命じる武市に仲代達也、以蔵に勝新太郎、薩摩の人斬りに三島由紀夫が出演した。
話題作で公開時に映画館で見たが、印象深い活劇映画だった。








「歴史の中の日本」 司馬遼太郎  昭和51年  中公文庫

武市半平太ーー映画「人斬り」で思うこと


橋本忍氏が、拙作の『人斬り以蔵』という短編を参考にされ、
五社英雄監督とともにひとつの映画世界をつくられたのが映画「人斬り」である。
私は参考人程度である。
脚本を読んでみると、さすがにおもしろい。


陰謀と暗殺、
これに手を染めた者は、洋の東西を問わず歴史の審判はおそろしく悪い。
暗い不浄者の扱いをうける。
明治後、東京の土佐人の間で「土佐の吉田松陰」などとその死後の名を顕揚されたことがあったあが、
その評価は一般化しなかった。
松陰がもっている独特の文学性と思想性が武市に欠けていたことにもよるが、
最大の欠陥はかれが暗殺団を組織し、その黒幕になっていたということであった。

罪状否定のまま武市は腹を切らされるのだが、
切腹は、江戸三百年のあいだこれほどみごとな例はなかったかもしれない。
武市の革命家としての暗さは、人柄のよさと、
この最後のみごとさによって一挙にすくわれているような感じである。

つまるところ、武市らを首領に岡田以蔵らがやったテロリズムというのは、
武市が期待した効果などは少しもなく、白痴の政治活動におわったし、
むしろ大反動をまねきよせたという点で、逆効果の方が大きかったようにおもわれる。
テロというのは、本来、そういうものなのである。











撮影日・2012年4月4日


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