場所・高知県高知市丸ノ内
山内一豊
高知城を造ったのは山内一豊である。
山内一豊といえば、妻のへそくりで名馬を買ったことで男をあげ、
掛川五万石の城主にまで出世したことで有名なあの山内一豊である。
一豊は徳川家康にもうまくつかえ,慶長5年(1600)に土佐一国二十万余石を与えられたのだ。
その一豊が10年かけて造ったのが高知城。
一豊の銅像は、この前の戦争の時に供出され、長らく不在のままだった。
それが、平成8年に再建され、追手門をくぐる前の、県立図書館の前に建っていた。
武具をつけ、槍を持って馬に乗る勇壮な銅像である。
それにしても面白いのは、
戦争の時に、一豊の銅像は供出されたのに、竜馬の銅像は供出されなかったということである。
追手門をくぐってすぐ広場の一角に、板垣退助の銅像がある。
そして、石段をあがっていった三の丸跡の広場の隅に、一豊の妻千代と馬の銅像がある。
説明を読むとこれは、高知商工会議所の婦人会が建てたものだそうだ。
いづれにしろ、
どうも高知の人は銅像好きである。
人材が多く出た、ということもあるのだろうが、あちこちに銅像があるのだ。
「銅像めぐり旅」 清水義範著 詳伝社 平成14年発行
撮影日・2007年8月11日
山内一豊
高知城を造ったのは山内一豊である。
山内一豊といえば、妻のへそくりで名馬を買ったことで男をあげ、
掛川五万石の城主にまで出世したことで有名なあの山内一豊である。
一豊は徳川家康にもうまくつかえ,慶長5年(1600)に土佐一国二十万余石を与えられたのだ。
その一豊が10年かけて造ったのが高知城。
一豊の銅像は、この前の戦争の時に供出され、長らく不在のままだった。
それが、平成8年に再建され、追手門をくぐる前の、県立図書館の前に建っていた。
武具をつけ、槍を持って馬に乗る勇壮な銅像である。
それにしても面白いのは、
戦争の時に、一豊の銅像は供出されたのに、竜馬の銅像は供出されなかったということである。
追手門をくぐってすぐ広場の一角に、板垣退助の銅像がある。
そして、石段をあがっていった三の丸跡の広場の隅に、一豊の妻千代と馬の銅像がある。
説明を読むとこれは、高知商工会議所の婦人会が建てたものだそうだ。
いづれにしろ、
どうも高知の人は銅像好きである。
人材が多く出た、ということもあるのだろうが、あちこちに銅像があるのだ。
「銅像めぐり旅」 清水義範著 詳伝社 平成14年発行
撮影日・2007年8月11日
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