しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

食用油・酢・ソース

2024年02月27日 | (冷蔵庫が家になかった時の)食べ物

文部省唱歌「おぼろ月夜」は小学生が6年になると、すぐに習う歌。
作った人は”文部省”だったが、今は”作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一”に訂正されている。

小学生当時に好きな歌だったが、野辺一面に咲く菜の花は見たことが無い。
城見地区では、田んぼのゲシに雑草の感じで咲く程度の春の花だった。
ただし、季節感のある花だった。

 

(「去り行く笠岡 生まれ出ずる笠岡」 笠岡路上観察研究会 2023年発行)


菜種油は、江戸時代には灯油や食用油で使用されたようだが、
近代になっても高価だったのか?
家庭で油を使った料理はほとんどなかった。

調味料は塩・醤油・味噌。
油は少々、
酢は柑橘類代用、
ソースは稀、
ケチャップ・マヨネーズ・ドレッシング等は、見たこともなかった。

 

 

「岡山県史・民族Ⅰ」 昭和58年 山陽新聞社出版

菜種
明治末期ごろが最盛期で、以後漸減し昭和50年ごろ消滅した。
笠岡市尾坂道万の水車集落は、備中ソウメンの一産地であるが、水車を利用して菜種の搾油をしているものもあった。
菜種油をとった糟(かす)は肥料にしたり飼料にもなった。

 

「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫   昭和52年発行


庶民は橙酢、柚、梅酢などを用いた。


「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫   昭和52年発行

食用油
昭和20年代までは、庶民は1~2合、油を買ってきて、
ごく少しずつ大事に使ったものである。
ナスビとかタマネギに一滴か二滴落として食べたものである。

 

「岡山県史第15巻民俗Ⅰ」 岡山県  昭和58年発行

胡麻油と菜種油(白絞油)が主たる食用油である。 
菜種は自家用に広く栽培された。
自家で絞るのは面倒なので、油屋へ菜種を持って行って油と交換するか、菜種を売って油を三~五合ずつ買ってきた。
食用にしたほか、カワラケに灯心をいれて灯火にした。 
菜種油を自家で絞った家もある(新見市豊永・ 草間など)。 
菜種を釜で炒って粉にし、絞った。
一斗あれば一年中使えたという。
油粕は肥料にする。
荏胡麻を作っていたところがある(新見市豊永佐伏字有立津・草間字大原など)。 
菜種にかわる以前には多く作られていたであろう。
荏胡麻油は油紙や雨傘に塗る油料であるが、灯油として用いたし、食用に供されることもあった。
美作では、実を豆腐に入れて揚げ、ヒリューズにした。少量でも第二次大戦までは各家で作った。


酢は橙酢・柚子・梅酢などが用いられ、柿のズクシで自家製することもあった。

・・・


「鴨方町史民俗編」  鴨方町  昭和60年発行

食用油
菜種は自給用に栽培し、油屋で絞ってもらった。
ゴマ油は購入したり、自給用に栽培したゴマと交換した。
ゴマは炒ってひたしにかけるとか、ゴマ塩にする。
また、炒ったゴマをすり鉢ですって、味噌とともにチシャもみやキュウリもみにする。
ナスビやタマネ ギ・ゴボウ・カボチャ、そのほか葉菜などに、ごく少量のゴマ油を落として煮た。
年間における油料の使用 料は、極めて少なかった。

人工食酢は店で買ったが、カキ酢・ダイダイ酢・ユズ酢などを使うこともあった。
シブガキやカキの木から落ちたずくしなどで、カキ酢を作った。
ダイダイ酢は鮨に入れたり、酢の物に入 れた。
ユズ酢も使った。

 

・・・

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする