しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

聖徳太子

2022年01月07日 | 銅像の人
場所・奈良県生駒郡平群町信貴山  信貴山・朝護孫子寺


長く高額なお札の肖像画として親しまれ、
古代政治家としてあまりに有名な聖徳太子。

信貴山は、聖徳太子が「信ずべし貴ぶべき山」として名付けられ、毘沙門天王を祀られたといわれている。







(Wikipedia)

聖徳太子(しょうとくたいし)
飛鳥時代の皇族・政治家。用明天皇の第二皇子、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。

「聖徳太子」は後世の尊称ないし諡号。また、厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)、厩戸王(うまやとおう)など本名は厩戸と言われることも多いが、
戦後に推定された名が広まったものであり、古代の文献には見えない。

叔母の推古天皇のもと、蘇我馬子と協調して政治を行い、
国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど大陸の進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った他、
仏教を厚く信仰し興隆につとめていた。








撮影日・2021年12月1日
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