しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

昭和46年の広島・・・①

2020年03月14日 | 昭和41年~50年
福屋前の傷痍軍人

広島の百貨店・福屋の前に、いつも白衣姿の男性が3人ほどいた。
座って、募金箱を前にお辞儀を繰り返していた。
アコーディオンが(勇壮でなく)沈んだ感じの軍歌を流していた。
歳の頃は戦後26年目だから、45~55才位の元軍人だった。
それから2~3年後、
あれは傷痍軍人でなく、身体は元気な人で
福屋の時間が過ぎると「しゃきっとして、お金をもって、高級車に乗って去っていく」のを見たという話を多く聞いた。
当時、東京や大阪にはこうゆう偽の元軍人が繁華街にいたそうだが、
中四国では岡山や松山で見たことがないので、大都市限定の偽傷痍軍人だったようだ。


昭和天皇が広島に

会社の隣に広島グランドホテルがあった。
ある日、昭和天皇が広島に来てパレードをした。
グランドホテルから出るときか、来た時に天皇をはじめて見た。
生まれて初めて天皇を見た。特に皇后はよく見えた。
いつもの笑顔で手を小さく振っていた。
実家に帰った時、このことを祖母に教えた。
家には父・母・祖父・祖母がいたが、話したのは(普段いちばん話をしない)祖母だった。
祖母以外は、このことに反応がないだろうと思っていた。
(家では、祖母以外から「天皇」という言葉を聞くことがなかった)


超スピード運転が得意の課長

会社には社内報があり、毎月発行されていた。
毎月、どこかの課が職場紹介というページがあり、仕事でなく課員の紹介をしていた。
ある月に人事課が載り、課員の特技も紹介される。
人事課長の特技はなんと「超スピード運転が得意」と載った。
当時でも、これ書いていいのかな?と思ったけど、やはり今でもそう思う。
まだ珍しかった車通勤ですよ、と言いたかったのかな?


会社の上司に挨拶なしの無言(トルコ風呂で)

広島の薬研堀は当時、トルコ風呂が盛んで
お店に入ると待合室があり数人の客が自分の番が来るのを待つ。
番になるとトルコ嬢が両手をついて個室に案内するというシステム。
或る日、同期のTくんが待合室で上司に会い、しばらく同じ場所で待機したそうだ。
その時間はとてつも長く感じたそうだ。そうだろうな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする