平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 



首途( かどで )八幡宮は古くは内野 八幡宮といい、大内裏の北東に祀られていたため、
王城鎮護の社とされました。かつてこの地には金売吉次の
屋敷があったと
伝えられ、遮那王(牛若丸)が吉次に伴われ奥州平泉に赴く際、
ここで道中の安全を祈願したといわれています。
一の鳥居

参道

「源義経奥州首途之地」の石碑
二の鳥居

首途とは「出発」の意味で、牛若丸がここから旅立ったので、
首途八幡宮とよばれ、
旅立ち・旅行安全の社として信仰を集めています。


宇佐神宮から八幡大神を勧請したのが始まりとされ、
祭神は誉田別尊(応神天皇)、比咩(ひめ)大神、息長帯姫命(神功皇后)です。




弁財天

粟田口十禅師社(義経と吉次の待合せ場所)     牛若丸(義経)遥向石(三嶋神社) 
源義経元服の地(鏡の宿・鏡神社・元服池・白木屋跡)   
『アクセス』

絵図は首途八幡宮HPよりお借りしました。
「首途八幡宮」京都市上京区智恵光院通今出川上ル桜井町
市バス「千本今出川」下車徒歩約7分


 


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金売吉次から奥州の情報を得た遮那王(義経)は、奥州へ下向する決心をし、
京の出口にあたる粟田口の十禅師社の前で吉次と会う約束をして鞍馬寺を出ました。
十禅師社は慈円僧正(鞍馬寺の別当忠尋とも)が青連院の鎮守として、
比叡山延暦寺の鎮守日吉山王七社
のひとつ十禅師社から勧請したものです。
現在、この社はありませんが、中之町の三条通りと広道が交差する辻が
十禅師の辻といわれ、十禅師社に因む辻とされています。
京都市立白川小学校前に粟田口の碑が建っています。

この道を南へ少し進むと青蓮院があります。


京都市東山区粟田口三条坊町

粟田口は京の東の出入口です。
粟田口の青蓮院境内には、十禅師社が再興され日吉社として祀られています。



青連院の本堂背後の小高い丘に上ります。
 
日吉山王を祀る日吉社は、はじめ三条岡崎広道にあって十禅師社と称しました。
慶長十年(1605)、この地に移して再興されたと伝えています。

「青蓮院・龍心池の南、本堂の東の小高い所にある社は

日吉社と稲荷社・秋葉社である。この日吉社は慈円が
信仰し勅請した十禅師社で粟田口は京都から
東海道の出口にあたって居り、昔東国へ旅立った人は
この十禅師社に賽して、旅の平安を祈ったとのことである。
青蓮院拝観パンフレットより」





かつて十禅師社があった三条岡崎広道の風景。

首途(かどで)八幡宮(義経奥州旅立ちの地)  
 牛若丸(義経)遥向石(三嶋神社) 
源義経元服の地(鏡の宿・鏡神社・元服池・白木屋跡)   
『アクセス』
「青連院」京都市東山区粟田口三条坊町69−1
地下鉄東西線東山駅下車 徒歩約5分
市バス・京阪バス神宮道下車 徒歩約3分
『参考資料』
五味文彦「義経記」山川出版社、2005年
 竹村俊則「昭和京都名所図会」(洛東下)駿々堂、1981年
 


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