平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 




「京の五条の橋の上、大の男の弁慶が長い薙刀振りかざし、牛若めがけて斬りかかる…」と
牛若丸と弁慶の出会いを文部省唱歌「牛若丸」は、歌っています。
ところが、牛若丸と弁慶がはじめて出会ったのは、鴨川の五条橋でなく
五条天神社であったことが室町時代に成立した『義経記(ぎけいき)』に見えます。



弁慶は太刀千本を集める願をかけ、夜な夜な京の町を徘徊していました。
999本まで奪って満願まであと1本となり、五条天神社に祈願して待つ弁慶の前に、
見事な黄金つくりの太刀をさした稚児姿の牛若丸が笛を吹きながら現れました。
弁慶はその太刀を奪おうと決闘となりましたが、牛若丸は「
六韜(りくとう)」の
技を用い、素早い身のこなしで
姿を消してしまいました。
太刀をあきらめきれない弁慶は、清水寺に詣でる牛若丸を待ち受け、
再び挑みましたが敗れ、やっと降参して家来になりました。
以後、亡くなるまで忠実な家臣として仕えることになります。

牛若丸と弁慶の2度目の出会いの舞台となった清水寺。

清水寺の舞台

清水寺に残る弁慶の足型(平景清の足型とも)


弁慶の鉄下駄

弁慶の錫杖

五条天神社は、少彦名命・ 大己貴命・天照皇大神を祭神とし、創建は
平安遷都の時、大和国から天神(あまつかみ)を勧請したのが始まりです。
「天使の宮」「天使社」と呼ばれていましたが、
後鳥羽天皇の時代に 「五條天神宮」と改名されました。



牛若丸・弁慶像(五条大橋)   
『アクセス』
「五条天神社」京都市下京区松原通西洞院西入天神前町351-2 
     
京都市営烏丸線「五条駅」下車 北西へ約700m 
「四条駅」下車 南西へ約700m
阪急電車「烏丸駅」下車 南西へ約800m
京都市営バス「西洞院松原」バス停下車すぐ 
『参考資料』
竹村俊則「京都伝説の旅」駿々堂 現代語訳「義経記」河出書房



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