住吉大社境内大海神社近く、住吉文華館の東に
「住吉神宮寺跡」の石碑が建っています。
神宮寺は、神仏習合の時代に神社の境内などに建てられた仏教寺院です。
神仏習合の時代になると、日本にもともとあった神道と外国からやってきた
仏教が結びつき、神社の境内やその付近に寺(神宮寺)を建て、
神々の本体である仏菩薩を祀るようになります。神仏習合とは、
仏菩薩が我が国においては神の姿となって現れたという考え方です。
当寺は天平宝字(てんぴょうほうじ)2年(758)創建と伝えられ、
津守寺(廃寺)・荘厳浄土寺とともに住吉の三大寺に数えられていました。
明治初年、神仏分離令により廃絶、多くの著名な秘仏も散逸しましたが、
そのうち西塔は四国八十八ヶ所の第40番札所切幡(きりはた)寺
(徳島県阿波市市場町)に売却移築され、国の重要文化財になっています。
『大阪市の歴史』より転載
荘厳浄土寺(しょうごんじょうどじ)は白河天皇の勅により、
津守国基が浄土信仰の流行を受けて浄土教の寺院として再興したお寺です。
神宮寺と津守寺(津守氏の氏寺)は神仏分離令により取り壊されました.
住吉大社においても神仏習合が進み、鎌倉時代の説話集
『古今著聞集』に高貴菩薩の託宣によって神宮寺が境内北方に
建立されたという伝承が記載されています。
住吉明神は、高貴徳王菩薩(こうきとくおうぼさつ=大威徳明王)の
変身として名を仏教に顕し、聡明で優れた君主の守護として
その恵を神国(日本)に示されました。
(『源平盛衰記巻36・維盛住吉詣並明神垂迹の事』)
『週刊古寺をゆく』より転載
『巻1・神祇』(慈覚大師如法経書写の折、住吉神託宣の事)には、
「住吉は四所おはします。一の御所は高貴徳王大菩薩なり。龍に乗る。
御託宣に云はく、「我はこれ兜率天の内なる高貴徳王菩薩なり。
国家を鎮護せんために、当朝墨江の辺に跡を垂。云々」と記されています。
兜率天(とそつてん)には内院と外院があり、内院は将来仏となるべき
菩薩が住む所とされ、現在は弥勒菩薩が内院で説法をしているという。
大威徳明王騎牛像 明円作
木造 平安時代 重文 『週刊古寺をゆく』より転載。
大威徳(だいいとく)明王(高貴徳王菩薩)は、 五大明王のひとつで
西方の守護者とされ、 日本では六面六臂(ろっぴ)六足で、
神の使いである 水牛に乗っています。悪蛇、悪竜を退散させ
怨念を取りのぞく、 死後の世界をつかさどる神の出身です。
『アクセス』
「住吉大社」大阪府大阪市住吉区住吉2丁目 9-89 TEL : 06-6672-0753
南海本線「住吉大社駅」から東へ徒歩3分
南海高野線「住吉東駅」から西へ徒歩5分
阪堺電気軌道(路面電車)「住吉鳥居前駅」から徒歩すぐ
開門時間 ・午前6時00分(4月~9月)・午前6時30分(10月~3月)
※毎月一日と初辰日は午前6時00分開門
閉門時間 ・外周門 午後4時00分 ・御垣内 午後5時00分(1年中)
『参考資料』
新定「源平盛衰記(5)」新人物往来社、1991年
新潮日本古典集成「古今著聞集(上)」新潮社、昭和58年
大阪市史編纂所編「大阪市の歴史」創元社、1999年
佐伯快勝「古寺めぐりの仏教常識」朱鷺書房、2000年
週刊古寺をゆく「天龍寺 大覚寺」小学館、2001年
週刊古寺をゆく「観世音寺と九州の名刹」小学館、2002年
「平家物語図典」小学館、2010年