平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 




京都市山科区御陵血洗町には、「義経の腰掛石」があります。
今は埋め立てられ住宅地や公園になってしまいましたが、
付近には「血洗池」、「義経刀洗池」、
「与市首洗い池」と呼ばれた池もあったそうです。

義経(牛若丸・遮那王)が奥州に向かう途中、この付近で
強盗に襲われ、血洗池で強盗を斬った刀を洗った後、
この石に腰かけてしばし休んだという伝承があります。
また、蹴上(けあげ)で平家の侍、
関原与市一党を斬り倒した刀を洗ったという説もあります。

京都薬科大学のグラウンド南端にある「義経の腰掛石」

グラウンドを出た所に公園があり、その傍に地蔵尊が祀られています。
昔、地蔵尊の背後には池があったそうです



鏡山小学校前

中世の東海道は江戸時代よりも南寄りで
腰掛石付近を通っていたという説もあり、
竹村俊則氏は「昔、東海道を往来した旅人が、牛若丸を偲んで
話し合ったことから生まれた伝説であろう。」とされています。
『アクセス』
「京都薬科大学グラウンド」地下鉄東西線御陵駅下車徒歩約12分。
グラウンドへは、駐車場から入らせていただきました。
『参考資料』
竹村俊則「京都伝説の旅」駿々堂 「義経ハンドブック」京都新聞出版センター








 


コメント ( 4 ) | Trackback (  )


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コメント
 
 
 
画面構成の工夫に感心しています! (yukariko)
2007-06-11 09:29:59
記事と写真の配置を考え、文字の字体と大きさも内容で変えて注意を引くなどニクイ心配りですね。
TOPの縦書きに白椿かな?挿絵が入っていて『おおっ!』
そうでした!
「ワードの縦書き+画像配置→画像で切り抜く」この方法がありましたね!
名神を通っても説明の言葉を聞きますが、「逢坂の関跡」と「蝉丸神社」の写真を初めて見ました。掲載ありがとう!
TOPの縦書きの詞どおりに最後の写真が「勢多の唐橋」なのですね。
琵琶湖大橋目指して湖岸道路を走る時に石山方面から渡りますが、昔も今も交通の要衝ですね。
 
 
 
そんないいものでは… (sakura)
2007-06-11 12:23:18
性格が大ざっぱな0型で
記事を掲載する時も相変わらず何かと
手違いばかり…

文字だけでも画像にしておけば手違いも少ないのではと考えたのですが、中々うまくいきません。

相変わらず試行錯誤しています。

画像は以前教えていただいた十五夜さんから
お借りしました。

今思えば、
椿に見えるかもという十五夜さん自身の
コメントがあったような気がします。
紗羅(夏椿)です。

課題upしました。馬か何かの画像が見つかったら
今度は画像をいれてみます。
コメントありがとうございました。
 
 
 
「白椿」では季節が違いますね。 (yukariko)
2007-06-11 20:32:40
すみません。花の知識が少なくて、「夏椿の花」を思いつきませんでした。
「東林院で沙羅双樹の花を見る会」が開かれるという記事も載る頃ですのに…
沙羅双樹の花は夏椿とは別種の花かな?
 
 
 
お花の種類は多いし、私も名前は知らないものの方が多いのです。 (sakura)
2007-06-12 07:30:48
もう十数年前になるでしょうか、
今は故人となられましたが、

インド祇園精舎の発掘をされた
当時関西大学名誉教授だった
網干先生の「祇園精舎」の講演を
聴きに行き

”インドの紗羅の木と日本でいう紗羅の木は違う”
ということを知って以来
私は日本のは夏椿と
ずっと思い込んでいました。

記憶も少々怪しいので、

茶花の本を見てみましたら、

夏椿=紗羅の木となっていましたが、

「注」 茶花の世界では一般に紗羅の木と
慣用しているがインド産のものとは違う。
ということです。
 
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