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平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 




JR篠原駅の南方の八号線沿い、道の駅の向い側に義経ゆかりの鏡神社があります。

鞍馬寺を抜け出した遮那王(義経)は、奥州へ向かう途中の「鏡の宿」で、
手ずから髻(もとどり)を結い、烏帽子を着けて元服し、
「源九郎義経」と名のりました。元服には烏帽子親が必要ですが、
遮那王は鏡池の水で前髪を落とし、元服の儀式を1人で行ったという。

お供をしていたのは、『義経記』では吉次ですが、『平治物語』では、
下総国深栖の三郎光重の子、陵(みささぎ)の源重頼となっています。




今もこの地には池の水を用いて前髪を落とした鏡池や
鏡神社の参道には烏帽子を掛けたとされる烏帽子掛松などが残っています。


かつて京をたった旅人の最初の宿泊地として栄えた鏡宿、その鎮守である鏡神社。
拝殿

本殿(国重文)祭神・天日槍(あめのひぼこ)
三間社流造・杮(こけら)葺きで室町時代中期の建造とされています。

社殿の背後に祀られている八幡神社。 
祭神は誉田別尊(ほむたわけのみこと・応神天皇)・
源九郎義経

烏帽子掛けの松

鏡神社から50mほど西、八号線沿いにある鏡池(源義経元服之池)

ところが『義経記・遮那王の元服』では、元服は義朝(義経の父)の舅の熱田大宮司家です。
稚児姿のままではこの先具合が悪いという事から、熱田大明神の神前で、
大宮司を烏帽子親として源九郎義経と名乗ったと記されています。
元服は武士にとって重要な儀式であるので、烏帽子親のいない元服は
正式なものとして認められないことから、元服の場が熱田に移されたと思われます。

『平治物語』では、義経元服の場であった鏡の宿は、
『義経記』では、鏡の宿に泊まった時、義経が宿に押し入った
強盗を退治する場として描かれています。

鏡神社の東にたつ源義経宿泊の館跡の碑。(白木屋跡)
 絵図は竜王町HPよりお借りしたものに一部文字入れしました。
首途(かどで)八幡宮(義経奥州旅立ちの地)  
『参考資料』
別冊歴史読本「源義経の生涯」新人物往来社 現代語訳「義経記」河出文庫
日本古典文学大系「保元物語 平治物語」(古活字本平治物語・牛若奥州下りの事)岩波書店 
「滋賀県の歴史散歩」(下)山川出版社 五味文彦「物語の舞台を歩く義経記」山川出版社

『アクセス』
「鏡神社」蒲生郡竜王町鏡 JR近江八幡駅西口からバスで30分 鏡バス停下車5分
    又はJR篠原駅下車 南へ徒歩30分






コメント ( 2 ) | Trackback (  )


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コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
 
 
 
2箇所の「元服」場所のどちらを選ばれるかと…? (yukariko)
2007-06-20 19:15:43
奥州までの旅に琵琶湖を船で渡るのか、琵琶湖沿いを廻って敦賀から日本海側を北上したのかな?などと史実を確かめもしないで勝手に推測して楽しんでいます。
こんな風に要所要所の地図と写真を見られると手がかりが出来て楽しいです。

例会の時はお引止めして済みません。
体調は少しはましにおなりでしょうか?

新しい記事がUPされたので、ちょっとは回復されたと勝手に思っていますが…

 
 
 
陸路です! (sakura)
2007-06-21 07:51:50
その辺のことは義経記に書かれています。
義経記は室町中期以降の成立で史実と離れた
虚構が中心の義経一代記です。

画像はありませんが、興味を持って
いただいたようですから、
もう一度読み直し簡単に
近いうちにブログにUPさせていただきます。

メールありがとうございました。
例会で教えていただいたのとまた挑戦してみます。

肩のこりから風邪を引いてしまって…
ご心配おかけしてすみませんでした。
もう大丈夫です!

 
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