友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

名演『初雷』

2009年03月13日 20時42分59秒 | Weblog
 主人公は50歳の女性で、35歳の時にキャリアウーマンの座を捨てて、兄の子どもたちを育ててきた。舞台の解説を読んでおかないとちょっとわかりにくい設定だが、物語としてはこの設定が重要な鍵である。主人公の家庭は大学教授の父親が気難しく、とにかく自分のいうことが正しいのだと押し付けるので、家族の団欒も一緒の旅行もなかった。そんな父親を嫌ってか、兄は好きな人ができて家を飛び出してしまった。主人公は母親が亡くなり頑固者の父親の面倒は見られないと、兄嫁に「父は兄と暮らしたがっている」と嘘をついて、父親の世話を押し付ける。

 職業を持っていてそれを「一生の仕事」と言っていた兄嫁は仕事を辞め、夫と子どもたちと共に家に入り、父親の世話をする。父親も兄嫁の名ばかりを呼んでいたというから、この二人の関係はうまくいっていたのだろう。けれども、父親の死に続くように兄嫁も死んでしまう。主人公は自分に責任があると感じ、兄の家に入り、二人の子どもを育てる。完璧に主婦をこなしてきたけれど、下の子どもが20歳で大学生となったことから、失った15年を取り戻そうと社会復帰を目指す。

 兄の同級生で、父親に最も気に入られていた男性が現れ、主人公は恋心さえ抱くようになる。舞台ではこの男性は女性との間でトラブルが絶えないことになっているが、父親が家族から孤立してしまっていることを心配していたし、女性とのトラブルも彼の優しさからかもしれないなと思ってしまった。けれどもストリートしてはこの男性がどのような人物かはたいした問題ではなく、主人公の家族を昔からよく知る人物としての位置づけとなっている。

 舞台は、上の子どもと言っても24歳くらいになるわけだが、その女性が妻に逃げられた子持ちの男性と結婚し、自分をここまで育ててくれた主人公に感謝の花束を贈った結婚式の夜、主人公は兄とその息子に「この家を出る」と宣言するところで終わる。今日の名演『初雷』はそんな異形家族の物語であった。

 絶対にこれがいいというものはない。それぞれにその時々に人は選択して生きてきた。その結果が予期していた方向では無いとしても、あるいは自分としては最善と考えたことであっても他の人にとっては返って違う道を無くすことになったとしても、それを嘆いても始まらない。「悔やむことは何一つない」と主人公は言い切る。人は前に進む以外にはないのだ。

 職業に生きることも、主婦業に生きることも、どんなことでも必ずしもそれが自分に合っていると誰が断言できるのだろう。選択の範囲は無限にあるけれど、実際にはかなり狭い範囲でしかない。それでも自分が選んだ道である。努力していればそのうちにそれが自分の天性の仕事になるだろう。ならなければまた探す以外にない。人はそうして生涯をかけて探し続ける。仕事や生き甲斐や愛や歓びや手にできない何ものかを求めて。
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