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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自分では何も出来ないのだから

2025年04月30日 18時16分47秒 | Weblog

 水曜日はデートの日、電車で出かけるかそれとも車で出かけるか、迷ったが車で行こうと決めて、長久手市の名都美術館で開催中の『堂本印象とは何者か』(写真)を観て来た。丁度、ランチ時になっていたので、気に入っていた「photovel Cafe」に行く。

 今日も混んでいたが、幸い向かい合って席に座ることが出来た。子ども連れや犬を連れた人で賑やかだった。支払いを済ませてドアに向かうと、女店員さんが「ありがとうございます。今日も水曜日のお出かけで、来ていただいたのですか」と声をかけてくれた。

 先回、来た時に「水曜日はデートの日」と口走ったのかも知れない。そんな客の顔をよく覚えていてくれたものだと感心した。名都美術館に来た時は、絶対浮気することなくここに来よう。気持ちよく、名都美術館に入る。

 堂本印象は日本画家の巨匠だが、戦後の昭和20年代は日本画の材料で、抽象画を制作していたと知り、ちょっと驚いた。でも私は、やっぱり日本画の方がいいと思った。日本画は繊細な筆使いだが、極めて装飾的な絵画である。

 そんなことを考えながら、近くの杁ヶ池公園へ行ってみた(写真)。水場で子どもたちが楽しそうに水遊びをしている。池の周りを歩いたが、新緑がとても美しい。ここはみんなが気持ちよく過ごせる場所で、ウォーキングの人もいれば、木陰で語ろう男女もいる。

 心配なことがあった。往きも帰りも名2環を使ったが、どうしたことか、以前なら運転しながらサイドミラーやバックミラーで後ろの車をチェック出来ていたのに、目の下のスピードメーターも見られない。緊張でハンドルを握る手は汗ばみ、身体は硬直してしまっている。

 「もう、高速は怖くて運転できない」と零すと、「下道ならまだ出来るでしょう」とカミさんに言われる。たぶん、大丈夫だと思うけれど、どうしてこんなに急激に運転できなくなってしまったのだろう。

 知り合いの女性が、「昨日の総会、あれでよかったんですか?」と声をかけてきた。「何か言っても、自分では何も出来ないのだから、何も言わない方が良いのかも」と言われ、「そうなんだよね」と頭を下げるしかなかった。

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大勢での気楽な宴会にして欲しい

2025年04月29日 17時46分06秒 | Weblog

 午前中はマンションの総会だった。総会は毎年、隣りの小学校の体育館を借りて4月29日に行われて来た。コロナ禍で開かれなかった年はあるが、住民の意思決定の場として大切にして来た。けれど、参加者はだいたい似ている。

 私も役員をやったが、役員の成り手が無くて困った経験は無かった。それが今、成り手が無いことから輪番制にしたいという。今の執行部がそう決めたのであれば受け入れるしかないだろう。役員の顔を見ても、男性が少ない。そして女性の留任が多い。

 総会の出席者を眺めると、顔見知りの人が多い。それだけ高齢化してきているのだ。660世帯が入居しているが、75歳以上の高齢者は382人いる。今日の出席者は177人で委任状を加えて過半数以上となり、総会は成立したと報告があった。

 議案に対する質疑はひとつも無く、無事に終了となったが、何となく淋し気な総会だった。自分たちの自治を貫くことの難しさを感じるが、次の世代の人たちに任せるしか無い。次の世代がやりやすいように、応援することだと思っている。

 午後からは友だちの家に、カミさんと一緒に遊びに行った。市内のコーヒー店に行こうと誘ったら、美味いコーヒーがあるから家においでと言う。2時間半もおしゃべりの時間をいただくことになった(写真)。

 コーヒー豆は、友だちが通っているデーサービスで出逢った人に教えられた中南米産で、香りが良かった。娘さんが取り寄せてくれたと言う。息子さんの娘が描いたリンゴの絵の出来栄えが「すごくいいね」と話すと、「ネットのAIの評価も高い」と言う。

 石川啄木や太宰治に夢中になった私たちには、追いついていけない時代になった。そんな話でジジババは盛り上がった。でも、「『ちぎり絵』のセツさんは90歳から始めたんだよ」と言うと、「じゃー、まだまだやれるじゃん」と大笑い。

 同世代は何でも話せていい。話すことは高齢者にとって一番大切なこと。「また、一杯やりますか」と言うので、「もうそれは勘弁して」と笑って断った。もっと大勢での気楽な宴会にして欲しいと頼んだ。

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花は時期がくれば咲く

2025年04月28日 17時50分58秒 | Weblog

 午後から雨がシトシト降って来て、まるで梅雨のようだ。ベランダに置かれた2鉢のクレマチスもよく茂って来て、紫の花が2輪咲いた(写真)。昨年の大規模修繕工事の時、ルーフバルコニーにあった多くの鉢を処分した。

 2鉢のクレマチスも処分しようとしたが、カミさんが「これは残しておいて」と言うので、ベランダに移した。カミさんの世話のおかげで春には芽を出し、蔓が伸びてきた。西洋では玄関先の壁に絡ませて、客を迎えることから「旅人の喜び」と言われているらしい。

 蔓バラとクレマチスは、アーチ作りに使われている。花を見ると、人の心が和むのは世界共通のようだ。どこの国にも花の公園があり、季節毎に花が咲くように設計されている。世界中が花園になれば、戦争も無くなるだろう。

 本を読んでいたら、トランプ大統領の少年時代である1950年代、アメリカには「ワン・ダラー・ブラウス」という言葉があったそうだ。1着1ドルという値のブラウスが店頭に陳列されていて、よく売れていたそうだ。

 製品は日本製だった。日本は労賃が安かったから、大量生産して外貨を稼ぎ、次第に豊かな国へと変わって行った。一昔前、安い下着や靴下などのほとんどが中国製だった。それがいつの間にか、ベトナムやインドネシアの製品に変わっていった。

 労賃の安い所で製品をつくる。けれど労賃が高くなれば、企業はもっと安い所に移っていく。トランプ大統領は再びアメリカを繫栄する国に取り戻したいと関税政策を打ち出しているが、資本はいつも利潤を求めて、低賃金の所で生産しているから、アメリカがかつてのような繁栄することは無いだろう。

 花は時期がくれば咲くけれど、いつまでも咲き続けられることは無い。寿命がくれば枯れてしまう。人の一生も、良い時があれば悪い時もあるけれど、それでも何とか続いている。けれど、国の繁栄はいつか衰えてしまう。

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暖かく風の無い行楽日和なのに

2025年04月27日 18時11分13秒 | Weblog

 吉本新喜劇が好きだと言う、昭和46年の卒業生が「チケットが送られて来たので届けます」と、持って来てくれた。それで、彼の運転で食事に行き、春日市文化フォーラムで開催中の『96歳セツ新聞ちぎり絵原画展』を観てきた。

 新聞でも紹介されていたので、どんなものなのかと興味はあったが、作品を見て驚いた。よく新聞に「ちぎり絵」が載ることがあるけれど、セツさんの作品はかなりレベルが高い。作品を制作している動画も上映されていたが、根気がよく無ければ出来ない。

 作品の大きさはハガキ大で、作っている物は食べ物が多いが、花や魚や昆虫など身近なものをテーマにしている。一番驚いたのは、90歳から「ちぎり絵」を始めたことで、動機はダンナを亡くして気抜けになっていた時、長女の勧めだった。

 元々根気強い性格だったかも知れないが、新聞やチラシから作品に合いそうなものを選び、下絵に沿てちぎった紙片を貼っていく。皿に盛られた食べ物は、陰影や膨らみそして色艶まで工夫されている。

 感心したのは、器の光の当たている部分と陰の部分が、上手に貼り分けられている点だ。バカバカしいほどの手作業で1片1片、根気強く積み重ねられている。私は思わず、カードになった作品を2点、トートバッグを1点買ってしまった(写真)。

 帰りに喫茶店で卒業生と話し込んだ。彼はデパート勤務だったが今はもう無い。「デパートの時代は終わりました」と淋しそうに言う。「NHKのテレビニュースも、音声がAIに代わりました。どんどん人は不要になっていきますよ」。

 確かに「絵を描く基本はデッサン」と教えてきたが、今はコンピューターの操作が最重要になっている。でも、人が持っている美意識を磨かなければ良い作品は創れないだろう。そんなことを言ってるから、「クソジジイ」と言われてしまうのかも知れない。

 喫茶店の奥に、よく知る女性の白い髪が見えた。カミさんのランチ仲間が、奥の席を陣取っていたのだ。暖かく風の無い行楽日和なのに、喫茶店はやはり高齢の客が多い。付き合ってくれた卒業生に感謝である。

 卒業生がFacebook「同級生タイムス」に載せてくれました。

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悲しい思い出深い修学旅行記

2025年04月26日 18時10分35秒 | Weblog

 毎日のブログに写真を1枚載せると決めたけれど、なかなか難儀なことだと分かった。今日のように予定がキャンセルされて、一日中家に居るとなおさらである。私の青春時代など何にも興味ないだろうが、ネタの為である。

 高校の卒業アルバム(写真)を見ていた。初恋の人はどんな風に写っているのか、確かめたかった。クラス写真は7・8人のグループに分かれて、それぞれが思い思いの場所で撮られている。彼女とは同じクラスだったのに、別のグループだった。

 どの写真を見ても、やっぱり彼女が一番キレイだ。部活の写真も掲載されているのに、部活をしていなかったのか、彼女の姿はない。パラパラと見ていると修学旅行の写真の中に、何かを見上げる横顔の彼女の写真があった。

 修学旅行では一度も隣り合うことも無く、話す機会も無かった。ただ、刈谷へ帰る列車の中で、喜びの瞬間がやって来た。私を探して友だちがやって来て、「一番前の席にみんな居るから来い」と言う。私が「彼女が好きだ」と言ったのを覚えていて、呼びに来てくれたのだ。

 次の駅に列車が停車すると、私は一番前の車両までホームを走った。そして偶然を装い、彼女の居るグループに仲間入りした。修学旅行の感想を聞かれ、「あなたともっと一緒に回りたかった」と正直に言えず、「期待したほどでは無かった」と言ってしまった。

 刈谷駅に着く直前、「解散したら、一緒に歩いて帰らないか」と思い切って誘った。「そうね」と曖昧な返事だったのに、私は待った。しかし、彼女は家の近い友だちと帰って行った。私はひとりで街中を歩き回り、彼女の家まで行ってしまった。

 彼女の部屋に灯りが見えた。そのまま家に帰り、大声で「ただいま」と言った。そんな修学旅行記を文芸部が出した冊子に書いた。「原爆ドームはみじめな姿を水に浮かべ建っていた。私達は広島に原爆が落とされたと言って、呑気にテレビを見ていていいのだろうか」と、友だちは紀行文に書いていたのに。

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恋など出来る訳がない

2025年04月25日 18時04分18秒 | Weblog

 先日、花屋の店先に置かれていた「クチナシ」が、余りにも痛々しかったので思わず買って来た(写真)。私が通った刈谷高校は敷地の境にクチナシの生け垣があった。初夏には甘い匂いが漂い、清楚な白い花が女生徒のように可憐だった。

 でも、女生徒の数は少なく、男子生徒の1割程だった。文字通りの田舎の進学校だから、地域の中学校から成績の良い子が集まって来る。女生徒は可愛くて美人が多く、男子生徒はそんな話題で持ちっきりだった。

 私が中1の時、「付き合ってください」と告白した女生徒は、高校も一緒だったのに学校では話したことが無かった。ただ、私が生徒会長に立候補する時、急に現れて「立候補しないで」と言って来た。なぜなのか、訊く前に行ってしまった。

 私は文芸部の機関誌「くちなし」に、彼女のことを思って詩を書いたことがある。私の彼女への思いは理解していると、勝手に思い込んでいた。恋しく思う気持ちをどう伝えたらいいのか、全く分かっていなかったのに、好きでいれば伝わると思っていた。

 高3の3学期に、彼女の家が新築され、同じ中学からの何人かが集まるようになった。それでもふたりっきりで話すことは無かった。そして、ある日の夜、ふたりで一緒に帰った時、「あなたは、あなたが描いている恋に恋しているのよ」と言われた。

 何が何だか分からないまま、私の初恋は終わった。恋していたのに、どうすればいいのか分からなかった。私が読んでいた小説も、どう伝えるかよりも、最後は悲しい結末で終わていた。恋愛はそんなものだと今なら少しわかる気がする。

 どんなに好きでも、伝えなければ相手には通じない。互いの気持ちが「結婚」に至っても、それで最終ではない。互いの気持ちを交換する、機会が無ければ冷めていくばかりだ。人間はめんどくさい生き物だが、だからこそ喜びも大きい。

 運転免許の更新は出来たが、警察が「診断書を提出してください」と言う意味が分かった。高齢者の交通事故が多いので、警察としては出来る限り免許を返納させたいのだ。クリニックの医師も「私としては返納をお勧めしたい」と言う。

 いよいよ、そんな時が来たのだ。恋など出来る訳がない。

 

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死ぬまでは生きるつもり。

2025年04月24日 17時46分43秒 | Weblog

 運転免許の更新の際に警察の人から、「医師の診断書をもらって来てください」と言われたので、クリニックに書類を持って行き、その旨を伝えた。すると、「ウチでは書けないので、日赤に連絡してください」との返事だった。

 それで、日赤に電話すると「クリニックの紹介状が必要」と言う。どうしようかと思っているとクリニックから電話が入り、「日赤には連絡されましたか」と言うので、「紹介状を持って来るようにと言われました」と伝えると、「紹介状が書けたら、電話しますね」と言う。クリニックの親切に感謝である。

 明日はサッシュ屋さんが来るので、ベランダを片付けて準備する。洗面所の床を見ると、何かが落ちている。拾おうと手を出すと動き出す。紙魚だ(写真)。この頃よく見つける。洗面所で3回、リビングで2回、北の部屋でも2回、見つけたので叩き潰した。

 紙魚は夜行性と言われているが、見つけたのはいずれも昼間だ。何をエサにしているのかと調べたら、家のゴミだとある。紙や木材、埃や食べかす、髪の毛、何でも食べるようだ。人への害は無いようだが、ウロチョロしているだけで気持ちが悪い。

 カミさんは「そんなの見たこと無い」とドタバタしない。性格がおっとりしていることもあるが、本当は目が悪いのではないだろうか。カーテンを開けて部屋を明るくしたり、電灯を点けたりすると、「眩しいから、やめて」と言う。

 私と同様に物忘れが多くなったが、身体はいたって元気だ。私がヨタヨタ歩いていると、「背筋を伸ばして」と檄を飛ばして来る。4月21日のブログに身体の不調を書いたので、「ダンナが心配している」と長女がメールして来た。

 なあーに、まだ大丈夫だ。死ぬまでは生きるつもりだ。それそろお迎えが来ないかなと思っているが、それは神様の決められること。私は家で、細々としたことに気を配り、花の手入れをし、本でも読んで暮らすしかない。

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藤の花は甘く匂う

2025年04月23日 18時26分37秒 | Weblog

 運転免許の更新はスムーズにいくかと思ったら、そうはいかなかった。いくつかの質問に全て「いいえ」と答えておけば良かったのかも知れないが、正直に「はい」と答えてしまった。「身体が動かなかったことがありますか」の質問である。

 2024年1月9日に高血圧の薬をもらう定期診察の日、医師がいつものように「変わったことはありませんか」と言うので、「朝、コーヒーを飲もうとカップを口のところに持っていこうとしているのに、届かなかった」と答えると、「すぐ大きな病院で検査してもらって」と指示された。

 長女のいる中村日赤に救急車で運ばれ、MR検査を受けて即入院となった。手術を受けることも無く、2週間の入院で無事退院出来た。その後、後遺症も無く普通に暮らしてきた。そんな話を西枇杷島警察でも話したところ、「医師の診断書をもらって来てください」と言う。でも、新しい免許証は発行してくれた。

 「何とか終わったわね。曼荼羅寺の藤を見に行こう」とカミさんはニコニコ顔だ。じゃー運転をしてくれるのかと思ったら、「運転はあなたよ」と言う。「遠くに行く時はいつも私が運転手です」と警察官の女性に話した時、「ウチもそうです」と言う。「でも、隣りのナビがうるさいんです」と続けると、「どこも一緒ですね」と笑った。

 西枇杷島から江南までのわずかな道なのに、「えっ、そっちに行くの?」とか、「真っ直ぐでしょう」とかウルサイ。「知ってるの?」と尋ねれば、「知ら無い」と言う。そんなやり取りをしながらナビの指示通り、曼荼羅寺公園に着いた。ここは公営の駐車場は無いので、誘導されるままに駐車し、500円を払う。

 私たちが江南団地に住んでいた頃とは違って、大きく広く整備されている。結構人もいて、盛んにスマホや写真機で藤棚を撮っていた。藤の種類も多くなっているし、シャクナゲやボタンも植えられていて見事だった。カミさんも「藤って、こんな甘い匂いがするのね」とご満悦だった。今日は写真を3枚、載せてしまう。

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幾つになっても恋に焦がれている

2025年04月22日 17時52分40秒 | Weblog

 カミさんがゴルフで出かけたので、ひとりの日を満喫するはずだった。けれど、金曜日にサッシュ屋さんが来るから、ベランダで作業できるようにしておこうと思い立ち、ベランダの鉢を移動させた。

 何も植わっていない鉢は可哀想な気がして、花屋に行ってこようと思った。まず、いつもの喫茶店で食事をした。私と同年くらいの女性が2組座っている。友だちでは無いようで、別々に分かれて話していた。

 耳が遠いのか声が大きい。病気の話や息子の嫁の話、近所の年寄りの安否の話でうるさかった。運転免許の更新の話になり、「後1回は更新するつもり」と言えば、「私もそうする。車が無ければ、ここまで来れないもんね」と片方が言う。

 私も明日、西枇杷島警察署に出かけ、免許の更新をするつもりでいるが、嫌味を言われるくらいなら返上したいけど、免許が無ければ車に乗れないし、どこへも出かけられない。心配だが、もう1回だけは更新しておきたい。

 喫茶店の庭のハナミズキが満開だった。「キレイですね」と言うと、「今が一番見頃です。ピンクのものを植えたのに、白くなってしまって」と教えてくれた。ピンクは華やかだが、白はハナミズキらしくていい(写真)。

 「ハナミズキ」っていう歌があったが、確かふたりの愛あるいは恋が、いつまでも続きますようにと願う内容だった気がする。ハナミズキを見て、そんな永遠に続く愛を思い浮かべる人はどんな恋愛をしたのだろう。

 昔、『花と小父さん』を聴いたことがあったが、高齢者にはピッタリ来るものがあった。「小さい花にくちづけをしたら 小さい声で僕に言ったよ 小父さんあなたは優しい人ね (略)一生懸命咲いて慰めてあげるの どうせ短い私の命 小父さん見てて終わるまで」。そして最後は、「約束通り僕は見ていた 花の命の終わるまで」と。

 百年続きますようにと願っても、何時しか終わりは来る。一時でも幸せならそれでいい。高齢になれば恋することも無いと思っていたのに、幾つになっても恋に焦がれている。

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草木は芽吹き、花が咲くのに

2025年04月21日 18時01分44秒 | Weblog

 観葉植物の「オーガスタ」を2鉢植え替えたが、そのうちの1鉢が元気が無い。元気を取り戻すために植え替えたのに、大きくなり過ぎていたから限界だったのだろうか。元気な1鉢を北の部屋に戻し(写真)、残る1鉢はベランダで様子を見ることにした。

 ベランダに出るガラス戸が動かない。築50年も経つマンションだから、いろいろと不具合も生まれている。サッシュ屋さんに電話すると、「金曜日の午前中にガラス戸を見せてもらい、見積もりを出します」と言ってくれた。

 ガラス戸のコロが潰れてしまっているのだろうが、金にならない仕事で申し訳ないと思う。ガラス戸をサッシュごと取り替えることも出来るらしいが、いつまで住み続けるのか分からないから、次の持ち主に任せる方が良いだろう。

 植物にも動物にも建物にも、いつしか寿命が来る。私も81歳になって、朝起きたら両手の親指を動かすと痛みがあり、根元が紫色になっていた。発音は悪いし、言葉が出てこない。人の名前や物の名や地名など、すっかり忘れてしまっている。

 スタスタ歩けなくて、身体をキリッと保てない。食事には人の倍近い時間がかかってしまう。腰を下ろして作業をすれば、立ち上げるのに苦労する。重い物は持てないし、指先で開けるような袋や栓も上手く開けられない。

 もし、元気だったら、世話になっている歯科医院やクリニックの玄関周りに花を植えてあげたい。小学校の校舎の周りに、このマンションの庭に、花をいっぱい咲かせたい。清明のこの時、草木は芽吹き、花が咲く。その喜びをみんなに知らせたい。

 けれど、自分が何も出来無いのに、そんなことを求めれば、じゃー誰が世話するのかと叱られてしまう。希望と現実には大きな開きがある。自分のルーフバルコニーの世話も出来ず、もう花畑を造り出すことも困難な身体になってしまった。

 部屋の中で、落ちている白髪やゴミを目に付く限り、拾って回ることが唯一私に出来ることのようだ。「何しているの?」と聞かれ、「本読んでいる」と答えているが、そんな事しか出来ないのだ。

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