最近は楽しいと思うことがなくなった。季節の変わり目のせいなのか、皆さんが「気持ちの良い季節になりましたね」と言うけれど、私はなんとなく憂鬱に近い。大和塾の5周年記念事業が成功できるかと心配な点もある。井戸掘りがうまくいかないことの焦りもある。仲間とのバス旅行や八重山4島めぐりの旅行も計画されている。先に楽しいことが無いわけではないけれど、「さあーやるぞ」という気持ちになってこない。人生の終末に向かっているのに、これでいいのだと思えない、焦りがどこかにあるのだろう。「あのなあー、老人はみんなそんなもんだよ」と先輩は笑う。
先日、お世話になったご夫婦と話す機会があった。私が地域新聞を作っていた時、子のご夫婦にはいろんなところへ連れて行ってもらった。遠いところでは瀬戸内海の平山郁夫美術館から、手づるが無ければ体験できないような京都の桂川での平家琵琶の演奏会などに参加させてもらった。「美味しいものを食べに行こう」と誘われたこともある。小さな洋裁教室からデパート相手の事業家へ大きく変身した。「今はこんな景気だから、みんな大変よ」と経済の動向から話が始まった。それから60歳の女性が80歳の男性と結婚して、1億円近いマンションを買い、ふたりで世界1周の船の旅に出ているご夫婦の話へと移っていった。
「あのね、結局はお金よ。お金があれば幸せも買えるのよ」と言われる。私はただ「なるほどねえー」と相槌を打つ。お金があれば絶対に幸せになれると思っている人に、「そうでしょうか?」と異議を唱えても仕方ない。子どもの頃から苦労をして、とにかく働き、人並み以上の収入を得るようになった。夜も昼も無く働けたのはきっと、お金が幸せにしてくれると信じたからこそ出来たのだ。私の母もそんなことをよく口にしていた。お金に苦労した人は皆きっとそう思うのだろう。
知らない土地を旅するとなぜか気持ちが高ぶる。まだ見たことのない風景なり遺産なり、見知らぬ人々の生活なり、日常とは違う世界へ踏み出すことは興奮する。私は路地が好きで、ブラブラと歩き回るだけでも大いに満足する。それでもどんな素晴らしい観光地を見てきても、家に帰ればなぜか落ち着くと人は言う。非日常に憧れながら日常に戻って安心できるのだ。私は意外なほどそうした感覚が少ないようだ。娘夫婦がいたタイのバンコクの路地を歩いていて、明日からここに住めと言われたら案外素直に出来るような気がした。住む所とか食べる物とか、そうしたものへのこだわりが私にはない。
幸せはこだわりなのかも知れないなと思う。お金が幸せを運んで来てくれると思う人は一生懸命に働き、お金を大事にする。何が一番自分を幸せにしてくれるか、人はそれを大事にするのだろう。それが何か、私の旅は続くようだ。
先日、お世話になったご夫婦と話す機会があった。私が地域新聞を作っていた時、子のご夫婦にはいろんなところへ連れて行ってもらった。遠いところでは瀬戸内海の平山郁夫美術館から、手づるが無ければ体験できないような京都の桂川での平家琵琶の演奏会などに参加させてもらった。「美味しいものを食べに行こう」と誘われたこともある。小さな洋裁教室からデパート相手の事業家へ大きく変身した。「今はこんな景気だから、みんな大変よ」と経済の動向から話が始まった。それから60歳の女性が80歳の男性と結婚して、1億円近いマンションを買い、ふたりで世界1周の船の旅に出ているご夫婦の話へと移っていった。
「あのね、結局はお金よ。お金があれば幸せも買えるのよ」と言われる。私はただ「なるほどねえー」と相槌を打つ。お金があれば絶対に幸せになれると思っている人に、「そうでしょうか?」と異議を唱えても仕方ない。子どもの頃から苦労をして、とにかく働き、人並み以上の収入を得るようになった。夜も昼も無く働けたのはきっと、お金が幸せにしてくれると信じたからこそ出来たのだ。私の母もそんなことをよく口にしていた。お金に苦労した人は皆きっとそう思うのだろう。
知らない土地を旅するとなぜか気持ちが高ぶる。まだ見たことのない風景なり遺産なり、見知らぬ人々の生活なり、日常とは違う世界へ踏み出すことは興奮する。私は路地が好きで、ブラブラと歩き回るだけでも大いに満足する。それでもどんな素晴らしい観光地を見てきても、家に帰ればなぜか落ち着くと人は言う。非日常に憧れながら日常に戻って安心できるのだ。私は意外なほどそうした感覚が少ないようだ。娘夫婦がいたタイのバンコクの路地を歩いていて、明日からここに住めと言われたら案外素直に出来るような気がした。住む所とか食べる物とか、そうしたものへのこだわりが私にはない。
幸せはこだわりなのかも知れないなと思う。お金が幸せを運んで来てくれると思う人は一生懸命に働き、お金を大事にする。何が一番自分を幸せにしてくれるか、人はそれを大事にするのだろう。それが何か、私の旅は続くようだ。