友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「後妻業」から「高齢業」に

2014年11月28日 17時51分00秒 | Weblog

 名古屋市に入ると急に道路が明るくなった。街路樹のイチョウが黄色く輝き、それが道路を明るくしている。私の住む市では9月のまだ日差しの暑い最中に、イチョウは刈り取られてしまう。ナンキンハゼやトウカエデもこれから紅葉を迎える頃になると、坊主頭にされてしまう。街路樹は延焼を防ぐためであったり、暑さを凌ぐ木陰作りのためであったり、役割はいろいろあるが、何よりも景観のためだろう。それがこれからきれいになろうとする時に、刈り取ってしまうのだから不思議だ。

 落ち葉で滑る人がいるとか、掃除が大変とか、「市民からの苦情があるので早めに刈り込んでいる」と行政は説明するけれど、同じ街道でありながら名古屋市はなぜ刈り込みをしないのか。刈り込みをすればそれだけ費用もかかる。名古屋市はそれを節約するためだろうか。市民からの苦情であれば、当市も名古屋市もそんなに変わりはないはずだが、名古屋市は市民の苦情を無視しているのだろうか。景観を保ちながら市民も納得する方策を考えるあるいはそのための考え方を提案することも大事だろう。

 考え方といえば、関西で高齢の男性が亡くなり、その財産を受け取っていた67歳の女性が話題になっている。「後妻業」と言うらしい。男は寂しがり屋なので一緒にいてくれる女性がいれば、それだけで優しい人だと思ってしまう。優しくしてくれた女性に「自分が死んだら残った財産はあげる」と考えるのは当たり前のことだ。「殺人」が絡んでくるからややこやしいけれど、女性の側からみても、お世話してあげたのだから財産で愛を返してもらってどこが悪いのか、ということになる。

 お金が絡むと不純と考えてしまうが、お金なくしては生きていけないから、お金のプレゼントは愛の証になるだろう。「後妻業」をビジネスにしたらどうかとか、男性が女性に仕えるビジネスもあっていいから、「高齢業」と名前を付けたらいいとか言う人までいる。人はどうしてこんなに寂しいのだろう。JKビジネスとは異なり、厚労省も推進役となるのではないか。これはちょっと考え方がヒネクレているかも知れない。

 明日は夏祭りの仲間の「忘年会」のため、明後日は「第九の発表会」のため、ブログを休みます。

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ファーガソンと香港のデモ

2014年11月27日 18時05分10秒 | Weblog

 アメリカの中央、ミズーリ州ファーガソンで8月、白人警察官が黒人青年を射殺する事件があった。何が起きたのか、事件するか否かを審議した陪審員は不起訴と決定した。これを不満とする市民は「私たちに正義を」と叫んでデモを行なった。人種差別を撤廃する公民権法の制定から50年過ぎたけれど、アメリカは依然として人種差別の国である。

 大声で「正義を」と叫べば、直ちに警察隊が抗議活動の列から引き離し、うつぶせに組み伏して次々と逮捕していく。香港で道路を占拠していた学生らを警察隊が引き抜き逮捕していくやり方と同じだ。日本でも70年代、安保改定に反対して街頭占拠や角材を振り回した学生たちが、こんな風に次々と逮捕されていた。

 香港でもアメリカでも、権力を持つ側は圧倒的に強い。香港でもアメリカでも、学生や黒人だけが孤立して戦っていたわけではなく、一般の市民や白人も差別や不条理に反対した。実際、真面目に考え行動した人たちが多いのに、中には商店のガラスを割って商品を略奪する連中もいる。日本では考えられないことだけれど、先進国アメリカでは度々こんな事件が起きる。

 大相撲大会で優勝した白鳳がインタビューに答えて話す言葉は、日本人以上に感動的な日本語だと思う。「金を稼ぎに来ている」などとモンゴル力士のことを言う人もいるが、相撲で生活しようとするのは日本人もモンゴル人も同じだ。世界中から関取を夢見てくる人がいることにむしろ感謝すべきだろう。相撲というきわめて古風で封建的な世界に馴染む努力こそ凄いと思う。

 日本人は不条理なことに腹を立てることはあっても、暴徒となって略奪を行なうことはなかった。アメリカの市民よりも民主主義的なのかも知れないし、諦めがいいのかも知れない。殺してはいけないと、おそらく人間が共同生活を始めた時から言い合ってきただろう。けれども、いまだに守れないが、日本人は世界に先駆けて不戦を掲げる市民になるだろう。

 民主主義が本当に定着するにはもっと時間がかかる。差別や不条理に声を上げることで、少しずつ身体の中に民主主義が堆積していくはずだ。

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探し求める以外にない

2014年11月26日 18時49分24秒 | Weblog

 今日は雨降りで、せっかくの紅葉も雨に打たれて寂しく見える。私が住むマンションには中庭があって、かなり大きな築山があるが、そこに植えられているケヤキやサクラなどで築山が赤く染まっている。香嵐渓はきっと見事に赤く燃えているだろう。祖父江ではイチョウ祭りが行なわれているという。町は黄金色に輝いていることだろう。

 胃腸風邪のせいか、何もしたくない。気力がない、やる気がない、車はあったのだから出かけて行ってもよかったのに、どこにも出かける気がなくて、ぼんやりとしている。高倉健さんの座右の銘は「行く道は精進にして忍びて終わり悔いなし」という。誰もが一生懸命に自分の人生を生きてきた。一生懸命であればあるほど、悔いはないだろう。

 ところが私は、妙なところが気になった。映画『あなたへ』に、「定年を迎えたら妻と一緒に全国を旅するつもりだった」と言うビートたけしが扮する国語の教師が出てくる。「旅行は帰るところがあるが、さすらいは当てがない旅」と妻を亡くした教師が語りかける。その中で、山頭火の句が引用されていた。

 「分け入っても 分け入っても 青い山」。何気なく聞いたけれど、あれっと思った。5・7・5になっていない。5・5・5でもいいのだろうか。「分け入っても 分け入っても」の次ぎに、「なお」とか入るのではないのか、そう思ってパソコンで調べてみるが、やはりビートたけしのセリフが正しいようだ。

 どこまでいっても、人間は苦悩から救われることはないのだろう。ないと分かっていても、探し求めるのが人の常、定めというものだろう。戦後70年を迎えようとしているが、民主主義が定着しているとは思えない。これからは主権在民、国民が主人公と思った。国民が主権者というなら、私たち一人ひとりが主権者ということ、なのにどうして政治は国民の意思とは違う、遠くにあるのだろうと思ってきた。

 結局、私たち国民自身が変わらなければ何も変わらない。どんなに遠くても、探し求める以外にない。目の前の幸せも、探し続ける運命なのだ。

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胃腸風邪

2014年11月25日 18時05分49秒 | Weblog

 高血圧の薬をもらっているかかりつけの医者は、診察の前に必ず「どうですか、順調ですか?」と聞いてくれるので、「順調ではありません。1週間ほど前からお腹の痛みが続いています。23日は下痢便でした。死にそうなくらい胃が痛くて、横っ腹にも時々強い痛みがあります。昨日は普通便でしたが、痛みはあります」と答えた。医者は聴診器をいつものように胸と背中に当て、次ぎにベッドに仰向けに寝かせて血圧を測定する。

 これもいつも通りだけれど、次はお腹に手を当てて触診する。余りに冷たい手だったので、「冷たい手ですね」と震えてみせた。「ごめんなさい。手を洗ったところだったので、ごめんなさいね」と言う。「ボクのお腹で温まってください」と冗談を言う。医者は笑って、「胃腸風邪ですね」と診断を下す。私は医者の言葉を素直に聞く方なので、「そうなんですか、ありがとうございます」と頭を下げる。

 医者から「漢方の薬を出しておきますね」と言われたけれど、胃腸風邪って何だろうと思った。「このところウチに来る患者さんは同じ症状ですから、流行っているのでしょう」と医者は説明してくれたけれど、胃腸風邪にどうしてなったのかと考えてしまった。それでパソコンで胃腸風邪を調べてみると、「感染性胃腸炎、ウィルス性胃腸炎のことを指す」とあるが、なぜ、この病気にかかるのかまでは分からない。

 インターネットの中で見つけたブログ『僕の彼女は中国人』はなかなかユニークで、時々読ませてもらっている。ブログの主は医者のようで、医療や医療行政についていつも手厳しく、教えられることが多い。そんな主が風邪についても書いていた。こんな文章だった。「ほぼすべての教科書に”風邪は年中みられる急性疾患で、晩秋から冬場、春先に多く、1週間から10日程度で自然治癒する予後良好な疾患”としてまとめられています。つまり、治療しなくても多くは後遺症もなく自然に治る病気だというわけです」。

 私はブログの主である医者も、私が通っている医者も、好きなタイプで、ひょっとしたらふたりは実は同一人物ではと想像してしまう。かかりつけの医者が「漢方薬を出しておきますね」と言ったことも、胃の痛みが心配なら胃酸を押さえる薬も出しておきますか?」と聞いてくれたことも充分に納得できた。医者の前で私はいつも「よい患者である」。

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高倉健と黒田官兵衛

2014年11月24日 20時19分45秒 | Weblog

 俳優の高倉健さんが83歳でなくなり、テレビ局はこのところ追悼の意味を込めて、高倉さんが主演した映画を放映している。昨夜は高倉さんの最後の作品となった『あなたへ』が、その前の夜は『南極物語』だった。私は2作とも初めの方だけ見て止めてしまった。私の感性が鈍いのか、皆さんが「高倉さんは大俳優」と賞賛するのに、少しもそう感じない。見ていても飽きてしまう。

 私は素直さに欠けるのかも知れない。2本とも最後まで観たカミさんは、「あなたの言うように、セリフも演技も一本調子だけど、あの朴訥とした喋りや動作が脇役を引き立てるのよ。引き立てるというよりも、自然体で演技させてしまう、高倉健という人はそういう何かを持っている凄い人だと思ったわ」と、高倉さんの俳優としての重みを熱心に説いてくれた。そうなのか、無口というか、ただ黙って立っているだけで絵になるのは、映画作りには欠かせない俳優ということかも知れない。

 日曜日のNHK大河ドラマ『軍師 官兵衛』を見ていて、登場人物の年齢が気になった。本能寺の変は1582年、織田信長は48歳だった。「敵は本能寺にあり」と信長を討った明智光秀は54歳、ならばその後、天下を取った豊臣秀吉はと見ると、信長よりも3歳年下の45歳である。秀吉が恐れていたのに頼りにもしていた徳川家康は39歳で秀吉よりも6歳も若い。主人公の黒田官兵衛はこの時、36歳である。ドラマで黒田や徳川と対立する石田三成は12歳である。

 秀吉による朝鮮出兵は10年後の1592年だから、三成はまだ22歳である。それなのに奉行職にあったのだから秀吉の信頼が篤かったのは間違いない。三成はどこで何を学び、どのようにして秀吉の信頼を得ていったのだろう。そしてドラマはいよいよ1600年の関が原の戦いとなるが、この時の年齢は三成が30歳、家康は57歳、官兵衛は54歳である。家康役を寺尾聡さんが演じているが、「本能寺の変」の時、家康は39歳だから66歳の寺尾さんでは違和感があり過ぎた。

 『あなたへ』に出演したのは高倉さんが81歳の時、刑務所に勤める高倉さんは余りに年寄りだった。私はどうやら現実感に欠けるドラマが好きではないようだ。ということは、やはり私の個人的な好き嫌いに原因があった。

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老人が目立つフェスティバル

2014年11月23日 17時55分24秒 | Weblog

 健康と社会福祉のための『ふれあいフェスタ』が行なわれ、今年も友だちに「手伝って!」と言われて国際交流のブースに参加した。友だちには、「国際交流協会のメンバーで出来ないものは縮小した方がいいのでは」と言っているが、いざ本番近くになって「手伝って」と言われると、断れないのが「NPOおたすけ」の弱点であり良い点でもある。

 「NPOおたすけ」は防災のための井戸掘り、地域イベントへの参加、リサイクル運動の3本柱で活動しているから、地域イベントである『ふれあいフェスタ』に参加することは目的に合っているし、このところ国際交流の事務局とはいろんな面で親しくなっているから、「NPOおたすけ」のメンバーも当然のことと思って協力している。

 私たちは「冠バッチ」作りを担当した。当初はお客もなく、ただ立っているというのも疲れるもので、どうなっていくのかと心配になった。そうこうしていると次第にお客が増え、ピークの時は写真のプリントが間に合わないくらい忙しくなった。子どもたちは「冠バッチ」がどうしてできるのか興味があるようで、身を乗り出して私たちの作業を見ていた。

 写真がきれいならまあまあの「冠バッチ」が出来る。年頃からお年寄りまで、大人も多くの人が「冠バッチ」を求めてくれた。中には意中の女性の写真を撮って、「冠バッチにして欲しい」と言って来た老人もいた。大きな体育館の中はよく見れば圧倒的に老人が多い。姉妹提携の町村からも産物の販売に来ているし、物品目当てに買い物に来る人たちもいる。

 「誰かが、どこかで決断しない限り、フェスタは続くだろうけれど、ますます老人ばかり増え、これでいいのかねえー」と言う人もいた。確かにいろんなフェスタが開かれているが、本来の目的から外れて祭りが中心になっている。人を呼び込む催しが目立ち、何のために行うのかが吹っ飛んでしまう傾向にある。

 鉢の土の入れ換え作業も疲れるが、ただ立っているだけのイベントへの協力も疲れる。明日はチューリップの植え込みが出来るだろうか、ちょっと心配だ。

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鉢の土の入れ換え終わる

2014年11月22日 18時11分00秒 | Weblog

 今日も一日中ルーフバルコニーで、鉢の土の入れ換え作業を行なった。作業しながら、今日のブログのテーマはこれにしようと思ったことがあった。ところがパソコンの前に座ると、それが何か思い出せない。思い出さないのなら他のことでもよいのに、何だったのか気になって前に進めない。

 とにかく鉢の土の入れ替えは全てやり終えた。朝は寒かったのに、昼近くから暑くなり、セーターを脱ぎ、薄いジャンパーに着替え、身体を丸めて作業を続けた。明日は、「ふれあいフェスティバル」があり、「今年は応援はいらない」と言っていたのに、また手伝いに行くことになったから、チューリップの植え込みは明後日に延期だ。

 いつも通り「勤労感謝の日」辺りで土作りを終え、チューリップの植え込みは11月下旬になってしまう。一日中作業をしていると身体が痛い。腰も腕も痛いのはわかるが、どうして胃までが痛むのだろう。胃潰瘍の前触れのような痛みが何日か前から続いている。何も神経質になるようなことは無いのにどうしたのだろうか。

 武豊での井戸に手押しポンプの設置は一昨日、一日で完成した。2度現場を見に行き、ホームセンターへも3度足を運んで何が必要かをチェックし、図面を描いて手順を考え、慎重に進めたことがよかったと思う。考えてみればこれまでは、何度も井戸掘りし手押しポンプを取り付けた先輩の指示に従うだけで、考え工夫することを棚上げにしていた。

 今はわずかな人数で取り組まなければならないから、自ずと慎重になるし手順の細部までを考えて進めなくてはならない。やっと自分たちで工事が出来るようになったともいえる。ルーフバルコニーで作業をしていると、早くも政党の街宣車がやって来て、政策を掲げ名前を告げていく。私は相変わらず、何を書くつもりだったのかと考えている。

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衆議院が解散

2014年11月21日 18時19分57秒 | Weblog

 衆議院が解散した。私が参議院議員の秘書をしていた時も衆議院の解散があり、先輩の秘書から「一度は見ておくといいわよ」と言われ、本会議場へ出向いた。やはり一番驚いたのは、議員たちが一斉に「バンザイ、バンザイ」と叫んだことだ。どうしてなのか、いつからなのか、理由までは分からなかったが、「そういう習慣よ」と教えられた。再会を誓い合って握手している議員もいたが、なんだか試合に出かける子どもたちのようだった。

 民主化を求めて街頭占拠を続けていた香港の若者たちが、ピンチに立たされている。デモ当初は多くの市民が若者たちを支持して、差し入れも行なっていた。しかし、2ヶ月以上座り込みが続くのに進展は何もない。学生たちの代表と香港行政府の首脳が、一度話し合ったが平行線のままに終った。若者たちは街頭占拠を続ける以外に有効な戦術はないようだ。占拠を続けていれば、多くの市民が同調してくれると読んでいたのだろうが、今ではこれが裏目になった。

 香港の主な産業は観光である。一番多い観光客は中国本土から来る。ところが街頭占拠が影響し、観光客相手の商売が出来なくなり、学生たちを支持していた多くの市民も、長引く占拠で生活が出来ないと不満を表すようになった。民主化要求の横断幕とは別に、「生活を守れ」や「富の格差をなくせ」などの要求を掲げた横断幕も見られるという。誰もが自分の生活を守ろうとするし、貧しい市民は拡大する貧富に腹を立てる。

 今日の中日新聞の社説に「香港デモ転機」について、「挫折したわけではない」と見出しにあったけれど、どう見ても挫折だろう。私が高校1年の時、安保闘争が起こり、ものすごくたくさんの人が国会周辺をデモしていた。けれども何も変わらなかった。もちろん「挫折」を経験した人たちによって、思想も文化も深められ、新しいものが構築されていった。私が大学に入った頃は、挫折感に酔いしれた人たちが大学にも社会にもいた。

 権力の座に居る人たちはさらに確固たる位置を固めようとする。それでもどこかで何かが少しずつ変わっていく。これは権力でも止めることの出来ない歴史の流れだ。私はひたすらチューリップのための土作りに精を出す。それでもあと何年続けられるかと思ってしまう。

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「もしもし、東京の田村ですけど」

2014年11月20日 18時42分39秒 | Weblog

 「もしもし、東京の田村ですけど」と若い男の声で電話がかかってきた。私の名前を言うので、「そうですが、何でしょうか?」と聞くと、同じマンションに住む人の名前を言い、「お金を貸しているのに、いくら電話をかけても出てくれません。呼んで来てくれませんか」と言う。そんな失礼な電話のかけ方はない。「あのね、私はあなたに何の義理もありません。どうしてそんなことが出来ますか」と言うと、「(借りた人が)何かあったら、あなたに電話して欲しいと言うからかけているのです。お金を返してくれないので困っているのです。緊急を要しているのです」と畳み掛けるように言う。

「田村さんは何歳なんですか?」と聞くと、「そんなことは関係ないじゃーないですか。早く呼んで来てくださいよ」と口調が強くなる。「人にものを頼む時にそんな言い方はないですよ。あなたとその人はどういう関係なんですか?」とさらに質問すると、「金を貸しているのです。早く呼んで来てください」と繰り返す。「あなたは東京のどこの方なんですか?」と聞けば、「そんなことはどうでもいいじゃーないですか」と開き直る。「そういうわけにはいかないでしょう。どこの誰が、何のために、いくら貸したと説明する必要があるでしょう。あなたは非通知でかけてきていますが、電話番号は何番ですか?」と聞いてみる。

 「呼んで来るのですか、来ないのですか。来ないなら、あなたが払ってくださいよ」と脅すように言う。「あのね、もう一度言うけど、私はあなたに何の義理もありません。それにどこのどういう方かも分からない、電話番号も言わない、そんな人のことを信用出来ますか」と答えると、「金を返してくれるまで何度も電話しますよ」とまた、開き直る。バカタレか、こんな失礼な電話でハイハイと動く人がどこにいる。お金を貸したことが事実なら、もっと丁寧にお涙ちょうだい調でかけて来い。

 これは下調べというヤツなのかも知れない。相手が独り者なのか、男なのか女なのか、年寄りなのか、話しやすいか乗ってきそうか、そういう調査のための電話なのだろうか。どこへでもいつでもつながるのは便利だけれど、それだけにこういう犯罪に結びつきそうなこともある。電話を切ったが、それから何度もかけてくる。精神的に追い詰めようとする手口だ。お金のある人や優しい人はだから騙されてしまう。録音はしたけれど、今度は逆探知器を備えておこう。

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向田邦子と高倉健

2014年11月19日 18時47分20秒 | Weblog

 昨日は名演の例会で、文学座の『くにこ』だった。『くにこ』は脚本家の向田邦子さんのことで、世話好きで頭の回転の速いひとりの女の子が、「物語の母」になっていくまでを描いたものだ。演劇としてはかなり斬新で、場面展開は暗転だけで行なわれ、とてもテンポがよくてセリフも歯切れよく、どんどん観客を引っ張っていく。幕を下ろしての休憩はなかった。オマセな女の子が戦争中は軍国少女となり、やがて戦争が終わると大学へと進む。

 下宿した母方の実家では、大人たちの「死ぬの出て行くの」という色恋沙汰を目にしたり、人の生き様や色恋の哀れを学ぶことになる。国語の先生になるはずが、民間会社に就職し、そこで妻子のある男性と恋に落ちたり、父親が女性を囲っていることを知ると、その家に乗り込んでいって「分かれてくれ」と談判したり、ドロドロとする場面も全て喜劇仕立てで、思わず笑ってしまった。

 昨夜のテレビニュースで俳優の高倉健さんが亡くなったと知った。向田邦子さんの脚本の中に高倉健さんが出演していた『あ・うん』があったことを思い出した。高倉健さんといえば、私たちの青春時代の花形映画スターで、確か東大の大学祭でヤクザ姿の高倉健さん似のポスターを見たことがある。どうして高倉健さんを反逆のシンボルと見ていたのか分からないが、「止めてくれるなおっかさん」と学生たちは思っていたのだろう。

 実を言えば、私は高倉健さんの映画を見たのは、もうヤクザ役から卒業していた『黄色いハンカチ』だけのような気がする。どんな役をやっても、そんなに変わらない俳優で、それが逆に口数の少ない存在感のある役者と見られるようになった。話し方はいつも同じでちょっと間があり、顔の表情も大げさなところは全くない、それでも大俳優と言われるのは「高倉健」に徹したからだろう。最後の作品『あなたへ』を観てみたい。

 向田邦子さんのドラマも実は見たことがない。ずいぶん面白い人だと昨日の演劇で知ったけれど、テレビドラマを書いていた頃の向田邦子さんの作品を見る機会を作らなかったのは、私の食べず嫌いで、ホームドラマは健全過ぎて面白くないと決め付けていたからだ。最近、女性作家によるテレビドラマを見て、考え直すべきだと思うようになっていたところだった。

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