友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

骨折り損のくたびれ儲け

2009年03月05日 21時26分52秒 | Weblog
 朝から動きっぱなしだったので、さすがに疲れた。右手は痛いし、腰も痛い。いよいよ工事が進行してきたから、そろそろ片付けを終わらなくてはと思って、鉢の土をビニール袋に入れ、空になった鉢を北側に寄せ、まだ樹木が植わったままの鉢もとりあえず北側に移動させておいた。昼から少しばかり休憩をしていると、ルーフガーデンの外側に作業員の姿が行き来する。

 もうここまで来たのか。さて、この植木鉢はどうすればよいのかな。事前の説明会では、作業員に直接質問しないでくれということだった。現場監督のいる事務所へ行ってこなくてはならないか、それにしても、工事の進行のことなのだから現場監督から指示があるだろうから、それまで待つ方が賢明か、若く威勢のよい作業員の働く姿を見ながら、そんなことを思っていた。

 すると見覚えのある若い監督が「植木鉢がたくさんおいたままになっている云々」とケイタイで話しているのが聞こえた。それで、ガラス戸を開けて声をかけてみた。「北側に寄せておけばよいと聞いたのですが?」と言えば、ここにあるものは全て片付けて欲しいと言う。「片付ける?どこへ?」と自問自答する。やはり、全てを捨てなくてはならないか。それにしてもどうやって、どこへ捨てたらよいのだろう。

 私の困惑を察して、その若い監督は「私も手伝いますから」と遠慮がちに、しかし何が何でも片付けてしまいたいという顔で言う。とりあえず、ルーフガーデンから物がなくなればいいわけか。私は花見で使うビニールシートを取り出して、まず南の部屋に敷く。ランタナを中心に小振りの鉢をその上に並べた。それでも足りない。北の部屋にもビニールシートを敷き、大き目の鉢を並べた。1人では動かせない、椿や金木犀などの植木鉢が6個残った。「明日、若い者に手伝わせます」と若い監督は疲れた様子でそう言う。

 防風用の網を外し、もう使えない鉢を割って燃えないゴミ袋に入れ、最後の作業に取り掛かる。孫娘をプールに送っていった長女に来てもらって、「あなたのところへ、植木鉢や土を持って行ってもよいか」と相談する。「もちろん、そのつもりだった」と言ってくれたので、明日にでも運ぶことにする。若い監督が「多少の土なら、クレーンで下に降ろせますよ」と助け舟を出してくれた。

 午前中の私の作業は全く無駄になった。そしてまた、明日は朝から肉体労働だ。黙々と身体を動かしていると余分なことを考えなくてすむ。けれどもやはり、若い時のようには動かない。花の季節なのに、今年は花を愛でることができない。もうルーフガーデンで花を楽しむことはやめにしようか。時々ボーと考えてしまう。
コメント
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