友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

子を思う親の心

2015年02月28日 21時23分56秒 | Weblog

 今日の予定は、午後から明日行なわれるフェステバルの準備だけなので、そんなに時間はかからない。終ったら直ぐに5歳の孫娘の発表会に行くつもりだった。長女のダンナのお父さんが待っていると思ったからだ。お父さんは孫娘の行事の度に私たち夫婦と一緒にお酒を飲むことを楽しみにしている。ところが「お父さんは仕事があって来られない」と言う。

 それなら昨日、カミさんがゴルフコンペでカニをもらってきたので、飲み友だちと一緒に久しぶりに飲もうと思い、午前中にお酒を買いに行ってきた。ところが、カミさんから「お父さんが来ているから、終り次第来た方がいい」と連絡が来る。友だちとゆっくり酒を飲むのもいいけれど、親戚付き合いは大事にしなくてはならない。カニは飲み友だちにプレゼントして、出かけることにした。

 私が発表会の会場近くに着いた時は既に演技が終っていた。途中で落ち合うことが出来たので、ダンナのお父さんに、孫娘の「発表はどうでした?」とたずねると、「一番しっかりしていたけれど、私があんまり褒めるといかんので」とカミさんたちの方を向いて言う。カミさんたちがベタ褒めすぎると懸念しているようだ。長女とダンナも合唱で出演したようで、「よく声もでていた」と言う。

 それから2夫婦4人で、名古屋駅の居酒屋へ出かけた。ダンナの母親はお酒が飲めるタイプではないけれど、それでもみんなに合わせてナマチュウを1杯付き合ってくれた。話はもっぱら孫娘のことから、子どもたちのことになった。お母さんは息子が父親に似て、夢ばかり追うことが心配でならないようだった。

 お父さんは豊田市の山奥に1200坪の山地を買い、そこで野菜などを育てるはずだったけれど、今は荒地になっているようだ。「先のことを何も考えないから」とお母さんは手厳しい。私は自分のことを言われているようで肩身が狭い。「男はロマンを求めますから」となだめるしかない。とにかく子どもたちが好きなように生きて、それで傷つけ合ったり、借金を作ったり、不幸なことにだけはなって欲しくない。親はそんな話で慰め合うしかないようだ。

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世代交代

2015年02月27日 18時59分49秒 | Weblog

 『青い山脈』『埴生の宿』『ふるさと』をみんなで歌おうと呼びかけても、若い人は「それ、なんですか?」と言う。『青い山脈』は音楽の教科書になくても、『埴生の宿』『ふるさと』は学校で習っただろうと思ったが、歌ったことがない人もいる。知っているという人でも、「埴生の宿」が粗末な家のことまでは知らない。『青い山脈』は戦後に流行った歌だけど、『ふるさと』は歌詞に「志を果たして いつの日にか帰らん」とあるように、戦前の音楽の時間で歌われたものだ。

 太平洋戦争が激しくなり、英語を使うことが禁止され、洋楽レコードは破棄するように言われた。全く馬鹿なことだと思うけれど、そんなことが本気で行なわれたのだから戦争は恐い。『埴生の宿』『庭の千草』『蛍の光』はそれぞれイングランド民謡、アイルランド民謡、スコットランド民謡なので「敵国民の歌」なのに、なぜか歌われていたというから「廃棄せよ」という基準もいいかげんなものだ。文化の豊かさを知らない者は恐い。

 先日の市役所での講演会「デザインでまちはもっと活気づく」に参加し痛感したのは、私たちは年寄りということだった。私たちの子ども世代が主導的な立場に立っているわけで、学生たちから見れば私たちはジジババである。子どもたちの世代が社会の中心になって動かしているのを目の当たりにして、「邪魔だけはしたくない」と思った。私たちが体験してきたことからの発想は止めよう、私たちは子どもたちの妨げだけにはならないようにしようと思った。

 子どもの頃から、大人、わけても年寄りはどうしようもない存在と私には見えた。大人たちは誰もが、頑固で自己主張が強く、自分だけが正しいと思い込んでいる。そういう大人にはなりたくないと思っていたのに、大人の域を超えて年寄りになってしまっているのに、気が付かずにいた。30代や40代を批判することは、自分たちが育ててきた結果であることを忘れている。人はいつも自分に都合のよい様にと考える。困ったものだ。

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不審なメール

2015年02月26日 18時19分30秒 | Weblog

 友だちが「ケイタイに不審なメールが送られてくる」と言う。どこでどうやってアドレスを調べてくるのか分からないが、私のところにも全く心当たりのない人からメールが届いたことがあった。ケイタイを購入した店に行って、操作してもらったので、彼にもそれを勧めた。この頃は「オレオレ詐欺」もよくあるし、不審なメールにかかわらない方がいい。「うん」と言いながら、彼は「このメールは何なのだろう?」とケイタイを見せてくれた。

 有名人と同じ名前、年齢も仕事も同じ。ただ不可解なのは、友だちのことを若い女性と思っていることだ。1日に20本近くメールを送ってきている。真夜中の午前1時から午後11時まで、1時間に1本から2本は送ってくる。寝ている時間帯はさすがにないが、実にマメな男だ。文面も決してふざけたものではない。朝は「頑張るぞ」とあり、夜は「おやすみなさい」とある。友だちが返信しないので、「ねぇ、メール届いているよね?なんだか不安になっちゃった」などと送ってくる。

 「これから雑誌の取材」とか、「撮影は順調だよ」とか、「レッスンが落ち着いたところ」というように、細々と知らせてくる。「そろそろ本番だよ!『頑張って』このひと言で元気もらえるんだけど」とか、「疲れてるときは人間だもん誰でもあるよね。けどさ、こういう時にちょっと話せるだけでも癒されるんだよね。こういう気持ちになれるってほんとに素敵なことだと思わない」とか、優しさを滲ませて送ってくる。

 「この先もずっと一緒に笑って過ごしていくことが出来たらって僕は本気で思っている。だから時間ある時で良いから連絡頂戴ね」とかなりしつこい。片思いの男の気持ちはよくわかる。メールを見せてもらった私はこの男に同情したくなってきた。なんなら、私が彼の代わりに男に励ましのメールを送ってやろうかとさえ思った。私がよく話す女性にこの話をすると、「相手の気持ちを弄ぶようなことはよくないわよ。直ぐに止めさせなさい」と言う。

 明日、友だちに会って「キチンと拒否しないと相手に対してもよくない」と話そう。それでも彼がまだ躊躇するならそれは彼の責任だが、「トラブルになるようなことは絶対するな」と念を押しておこう。それにしても、メールの主は何が目的なのだろう。ただ、つながっていたいというのも、気持ちは分かるが誠に寂しい話だ。

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自由の先にあるもの

2015年02月25日 18時17分23秒 | Weblog

 街中で庭の梅が暖かさに誘われて咲き始めている。花からかすかに甘い匂いが漂ってくる。気持ちまでなぜか春めいてくる。それなのに、悲しい事件が多い。神奈川県川崎市の多摩川河川敷で中学1年の男子が首を切られて亡くなった。結束バンドで縛られ全裸にされたうえ、全身を刺されたようだ。人間はどうしてこんなに残虐なのだろう。狂気としか思えない。

 後藤健二さんの殺害を授業で見せた是非について、私は事実に目を向けるべきではないと思うけれど、優しい子どもの中には残虐な映像を見て嘔吐が止まらなくなった子もいるし、トラウマとなって生涯苦しむことになった人もいる。事実を避け、きれいなものだけを見ることで、それで優しさが保てるならそれでもいいのかも知れない。そういう人はおそらく残虐なことはしないから。

 愛知県一宮市の中学校で、校長のブログが話題になった。学校はホームページを持っていて、保健室をクイックすれば養護の先生が風邪に注意しなさいとかあるように、校長室をクイックすると校長が生徒に行なった講話の原稿が載っている。校長の講話を読んでいくと、生徒のことを考え、厭きさせないように工夫していることが分かる。それと、自分の信念というか考えがハッキリしている。

 問題は2月9日の朝礼で、11日の建国記念日について話したことだった。「日本の建国は、今から2675年前の紀元前660年2月11日、初代、神武天皇が即位した日が始まりです」からはじまり、仁徳天皇が民のかまどより煙がたちのぼらないのは貧しくて炊くものが無いからというので、税を免除した話を行ない、「こうした神話こそが、その国の国柄を示している」と話す。そして昭和天皇がマッカーサー元帥に、戦争の責任は全て自分にあり、飢えに苦しんでいる民を救って欲しいと述べたと言い、「このように、初代、神武天皇以来2675年にわたり、わが国は日本型の民主主義が穏やかに定着した世界に類をみない国家です」と。

 「天皇陛下と民が心をひとつにして暮らしてきた穏やかな民主主義精神に富んだ国家」という校長の見識を私は受け入れることは出来ないが、どんなことでも言える国家でありたいと思う。校長の講話に対してその場で、「校長はそうお考えですが、歴史の事実は血で血を洗うことばかりです」と具体的に反論できるのであればよいけれど、そうでなければ「民主主義」とはいえないと私は思う。

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デザインする

2015年02月24日 18時28分23秒 | Weblog

 昨夜、午後6時から9時まで、市役所の大会議室で名古屋芸術大学学生コラボイベント「デザインでまちづくりはもっと活気づく」講演会が開催され、名古屋芸術大学デザイン学部講師の水内智英さんらがデザインを活かしたまちづくりについて講演した。担当した市役所の職員は、 「少し変わった視点を持つ芸大生がまちづくりに参加することによって、そのまちがもっと面白く、活気づくという示唆に富んだ内容でした」と総括していた。

 私も友だちと、どんな話が聞けるのかと期待して参加した。会場を見渡すと圧倒的に若い人が多い。おそらく私がダントツの年長者だろう。講師を務めたふたりは30代だろうか、学生と一緒に出かけて行って、一緒に学ぶ、私の学生の頃にはこういう先生はいなかった。一方的に講義して終わりだった。私もデザイン専攻だが、大学で先生から教えてもらった記憶が無い。何を作るのか、どんな絵を描くのか、課題はあったのだろうかと思うほどだ。それでも先生に指示された、1枚の紙を使ってパッケージをつくる、この課題は面白かった。

 講演の中で「デザインには問題を発見する能力をつくることで、そのためにはリサーチが重要」と述べていたけれど、その通りだろう。それにしても、大学の先生はおしゃべりが上手でなければ務まらないようだ。そのしゃべりを高めるには、英語がポイントになる。英単語がポンポンと出てくるだけで、先生は何でも知っていると思えてくる。実際、講師のふたりは海外の事情にも通じていた。

 デザインというと、特殊な能力を持った人がするものと思い込んでいる人が多い。自分の生き方を考えれば人生をデザインするとなるし、家の中の配置や色彩あるいは地域のあり方などもデザインの領域である。行政の職員が市民のために取り組む事務も政策もデザインと考えれば、ものを考え作り出すことがデザインであると言える。つまり、人々が常日頃行なっていることがデザインと言っていい。自分を含めた人々が快適に暮らしていけるように考え具体化することがデザインなのだ。

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サルに学ぶもの

2015年02月23日 21時10分57秒 | Weblog

 人間は直立2足歩行をするようになって、骨盤で内臓を支えるため産道が狭くなった。そのため赤子は小さく未発達で生まれるからとても手がかかる。赤子の脳は大人の7~8分の1しかないが、1年で2倍になり、5歳までに大人の90%近くとなる。このため5歳までは摂取エネルギーの40~85%を脳の成長に使うといわれている。子どもの成長が他の動物に比べて遅いのはこのためらしい。成長が止まる頃には脳の大きさは大人と同じくらいの大きさになるという。

 生まれたばかりの赤子が成長するのに時間がかかるのに、翌年には出産できる多産型の人間はそのため子育てをみんなで行なうようになった。オランウータンの出産は6~9年に1回しかない。ゴリラの赤子は人間よりも小さく生まれ、3~4年間乳を飲み、最初の1年は母親が一時も赤子を離すことがない。だから、ゴリラの赤子は泣く必要がない。母親につかまることもできない人間の赤子は泣くこと、いい顔をすることで周りの大人に関心をもってもらう。

 今、農業や漁業で生活する家族が減り、生産業やサービス業に従事する家族が増え、核家族となっている。子育ても、対面して食べることも、無くなってきた。専業主婦にウツ病が多いという。何をやっても評価されない、社会とのつながりもない、ダンナは忙しくて会話もないしSEXもない。初めての子どもは育て方も分からない。他人の子どもと自分の子どもを比較して落ち込む。解決の糸口が見えないからいっそう焦ってしまうようだ。

 核家族が当たり前であるなら、せめて子育ては地域で共同保育するような仕組みに変えていかないと主婦はますます孤立してしまうだろう。安倍首相が「女性が輝く社会」と言うけれど、具体的な政策が必要だ。日本の労働時間は長すぎる。賃金の格差が大きすぎる。社長だから市長だから2~3千万円の報酬があっていいと誰が決めたの?サルでも食物を分け合うものがいる。人間は群れの生活をしていた頃は分け合って食べていた。目を合わせて共に食事をすることが今もう一度求められている。

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人類の未来

2015年02月22日 17時18分20秒 | Weblog

 人間は猿から進化したと考えるより、サルの仲間のひとつから進化したと考えた方がよいと分かった。サルはアフリカにもいるが、南米にもいるし、東南アジアの島にもいる。それなら世界各地にいたサルが、時期は同じではないとして、いろいろと分かれてそこで人間の祖先になるものに進化したと考えられないのだろうか。そんな質問を学芸員にしてみたけれど、やはり「アフリカで生まれたものが世界へ散っていったのでしょう」という答だった。

 「サルにはサル殺しがあり、人間にもその遺伝子があるのではないか」と松沢さんは言う。狩猟民族だからとか、肉を食べるからというのは、イメージが作り出した誤解で、全く関係なく人間に潜んでいるらしい。そうであるなら、人殺しや戦争はこの世からなくならないのではないかと思えてくる。人類の歴史を調べていくと、殺しとか戦争は富と深くかかわっている。狩猟生活では富は生まれていなくて、むしろ公平に分配されていたらしい。

 農耕が出来るようになると蓄えが可能になり、富が生まれ、これを奪い合う戦いが生まれた。それが人間の歴史を発展させる原動力であったが、そうなると人間の社会から暴力をなくすことは出来ないのではないか。ただ、人間が進化してきた過程で他の動物、同じヒト科4属(オランウータン、ゴリラ、チンパンジー、ヒト)の中でも大きく違うものがある。ここに希望があるのではないかというのが、山極さんの視点である。

 樹上から地上に降りて直立2足走行となったとなった人間は、群れなければ生きていけなかった。群れることは外敵から身を守るだけでなく、狩猟を効率化し、子育てを集団で行ない、コミュニケーション能力を発達させた。たとえば、人間には白目があるが、これによって目を見ることで相手の動きや心を読み取ることができる。ところが現代では、暴力は減るどころかむしろ増え、残虐になっている。

 山極さんは人間の社会性を支えている根源的な特徴を7つ上げ、未来社会へ希望をつなぐ。1)育児の共同、2)食の公開と共食、3)近親相姦の禁止、4)対面コミュニケーション、5)第3者の仲裁、6)言語を用いた会話、7)音楽を通した感情の共有。「人類は分かち合う社会を創った。それは権力者を生み出さない共同体だった。もう一度、この共同体から出発し、上からではなく、下から組み上げる社会を創っていかなくてはならない」と結ぶ。

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今日はホテルで宴会

2015年02月21日 14時20分53秒 | Weblog

 今日はホテルで宴会である。昭和19年4月から20年3月まで生まれた同年者の会を開く。平成17年に社会福祉協議会の呼びかけで、「60歳の集い」が開かれた。その参加者が中心となって、翌年に『第1回シクラメンの会』が開催され、以後毎年行なわれてきた。地元の者ばかりではなくということで、私は6回目からお手伝いしてきた。今日はその記念すべき10回目なので、副市長や協議会長にも出席していただき、祝辞をいただくことにしている。

 先日、その打ち合わせをしていて、幹事のひとりが「テレビなどで高齢者がどうのこうのと言うのを聞いていても、自分より年上だったのに、最近じゃー年下だもの、やんなるよ」と嘆く。「そういえば、来賓のふたりも俺たちより年下じゃーないか。来賓といえば年上だったのになあー」。「60代の時は年取った気がしなかったが、70代に入ると60代とは違う気がする」。「そんなにぼやいてどうするの。気持ちだけでも若くないと、本当にボケるよ」などと言い合った。

 世の中は、定年を70歳まで延ばしたらどうかなどと言う。もちろん、60歳で定年となっても本人は充分まだ働けるだろう。働かざるを得ない状況の人もいる。ただ、余生を楽しむ時間が合ってもよいではないかと思う。働いていた時も、旅行や趣味など楽しんできた人はいいけれど、そんな余裕のあった人ばかりではないはずだ。それに地域でのふれあいというかつながりも必要だろう。自分のため、他人のため、地域のため、そんなボランティアが出来る社会こそが「輝く社会」だと思う。

 夫婦であっても、忙しいばかりではすれ違うし、かといって「定年だから、さあーどうぞ」と言われても、急に仲良くという訳にもいかない。そんな可笑しさの川柳が流行っているらしい。

  耳とおく トークはずまず 妻とおく

  長生きは したくないネと ジム通い

  帰宅して うがい手洗い 皿洗い

  このオレに 暖かいのは 晩座だけ

  やられたら やりかえせるのは ドラマだけ

  ボケたふり してでも妻を そばに置く

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犬山モンキーセンターの市民講座

2015年02月20日 17時41分03秒 | Weblog

 昨日は念願の人に会うことが出来た。ゴリラの研究家で京都大学の学長、山極寿一さんの講演が犬山の日本モンキーセンターで行なわれた。正確に言うと、市民講座「第4回ひと・健康・未来シンポジウム2015犬山」が開かれ、講座の題目は『サルに学ぶ、人間の不思議』である。参加者は多く、200席のところにさらに椅子を持ち出していた。

 初めにセンター長の松沢哲郎さんが挨拶し、続いてオランウータンの話を金森朝子さんが、チンパンジーとボノボの話を平田聡さんが行なった。この後、モンキーセンターで飼育されているサルを学芸員や飼育員と共に観察して回った。私のグループは綿貫さんという獣医が説明してくれた。偶々、近くだった時に「人間はやはり猿から生まれたのですか?」と聞いてみた。「猿からというより、その仲間からと考えてください」と的確な答が返ってきた。

 友だちの娘さんも獣医で、北海道の動物園にいたけれど、昨年からモンキーセンターに勤めるようになったから、やはりどこかで彼とはすれ違っているのだろう。モンキーセンターは京都大学と共同で運営しているためか、若い学生さんたちが多い。もちろん、講座に参加しているのは大和塾同様に圧倒的に高齢者だ。しかも勉強家が多いようで、質問に立った人も知識が豊富だった。

 講演の内容については書きたいことがたくさんあるので、またの機会にする。私は電車で行ったので、犬山駅からタクシーに乗った。運転手さんは話し好きで「今日は3度目ですよ」と言う。「1時から始るんです」と話すと、「860円ですから、用意しておいてください」と言う。硬貨がなかったので千円札を出すと、「はい、140円」とお釣りをくれた。センターに着いたら780円だったので、「お釣りを」と運転手さんは言うけれど、もう時間がない。「すいません。とっておいてください」と言って降りた。

 講演会が終って、タクシーの運転手さんが「5時にはここに来ています」と言った駐車場に急いだけれど、タクシーは1台もいなかった。仕方がないと犬山駅まで歩いていると、すれ違った男性が「あれっ」と私の名前を呼ぶ。私が地域新聞を作っていた頃、親しくしていた役場の職員だ。10年ぶりの再会だった。結局駅まで一緒に歩いてくれた。ありがとう。

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試験

2015年02月19日 18時27分30秒 | Weblog

 20歳の孫娘が「追試になっちゃった」とぼやく。コツコツと努力するけれど、要領はよくない。母親が「先生の言うことを聞いていれば、ここが試験に出そうと分かるでしょう」と詰問しても、「聞いてても分からん」と平気な顔で答える。「どういう問題だったの」とただすと、どうやら暗記もののようだ。「時間をかけるのが一番。声を出して読む。そして書く。何度もやれば自然に覚えてしまうよ」と教えるが、そんな面倒なことやる時間は無いという顔だ。

 今の大学の授業は、先生が黒板に大切なことを書き、それをノートに書き取ることは無いようだ。先生はプロジェクターでスクリーンに映し出して説明していき、学生たちはケイタイで写真に撮っていくという。「ノートは?」と聞くと、「あるけど‥」と言うが、授業後にそれを整理してまとめることまではしていない。私たちが学生の時はどんな授業だっただろう。高校の時のように黒板に書く人もいたけれど、一方的に話す人が圧倒的だった。

 試験は、「何々について書きなさい」というものが多かったから、おそらく先生は1枚1枚読んで採点していたと思う。ただ、回答の文章が面白ければ点数をくれるという先生もいて、私のように講義に出ていなくて試験を受ける者にはありがたかった。一般的な常識と批判的な視点があれば何とか合格できた。孫娘はそうした要領のよさに欠けるが、「問題がよく分からん」と言うから、文章に対する理解力に欠けるというべきかも知れない。

 試験に合格できないのは、1つは覚えていないためだが、もう1つは早とちりだ。問題の意味をよく考えずに、「わかった」と回答して間違うケース。孫娘の場合は、テキストを反復して覚えない上に、問題をキチンと読まないから間違った回答で満足してしまう。これは日頃から文章を読む習慣がないためだ。ケイタイで何時間もやり取りしているが、それは話し言葉でしかも仲間内で判る短文でしかない。新聞も小説も読まないから、長文になるとさっぱりわからなくなるのだろう。本を読むクセをつけないと、社会人になっても報告する文章が書けなくなると心配になる。

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