友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

夜桜の宴

2009年03月28日 11時35分13秒 | Weblog
 朝7時に、今晩行なう「夜桜の宴」の場所取りに出かけた。ブルーシートを2枚敷き、「私たちは午後5時から使います。それまではご自由にお使いください」の張り紙をしておく。すると仲間が「それは必要ないと思うよ。今日、花見をするのは私たちくらいしかいないよ」と言う。桜はまだ寒さの中で花芽も小さく縮こまっている。間違って咲いてしまったものは1輪か2輪しかない。きっと今晩はもっと寒いだろう。

 夜桜を楽しむ時はいつも満開の桜の下でも花冷えがするが、今年のように開花前は初めてだ。毎年行ってきた「夜桜の宴」の場所も、すぐ近くに新しく家が建ってきて、もうバーベキューは出来ない。公園には「飲食・火気を使うことは禁ずる」と張り紙がしてある。こういうところが役所だなと思う。日本人は江戸時代から夜桜を楽しんできた。宴は庶民の楽しみだった。公園以外でやれというより、公園を使ってよいが「後片付けをきちんとするように」という張り紙の方がどんなに気持ちよいかと思う。

 この寒さの中で、綾小路きみまろさんの舌演を聞きにわざわざ金沢まで出かけていった人もいる。「高速道路が1千円で走れる」につられて、今日は交通量も多くて大変ではないだろうか。それでもきみまろさんから「賞味期限が切れていると騒いでいる本人の賞味期限が切れている」などと言われて、大笑いしているのだろう。笑いはいい。孫娘が言う。「人生終わりがけだといいね。楽しそうだね。私も早くそうなりたい」。

 近頃の彼女はなかなか哲学的なことを言う。「人生は後悔することばっかり。どっちの道を行っても後悔は付きまとう」。「女はつらいよ。だからため息ばっかりついている。生きていることはつらいことなんだ」。「女はダイエットする根性がある。戻れるなら、分かれ道だったところへ戻りたいんだ」。「生まれ変われるなら、完璧な人間になる」。まだまだ続く孫娘語録。

 昨日、NHKテレビで『アンジェラ・アキと2000通の手紙』という番組があった。中学生の女の子たちは随分悩みを抱えているのだなと思った。男の子が1人も登場しなかったのはなぜなのだろう。中学時代は女の子の方が男の子よりもものごとを深く感じ考えているということなのだろうか。垣間見ていると、孫娘とダブって見えてくる。

 中学・高校からの友だちがブログに「過去を振り返るのは自分の生きた証を確かめるためであり、全て余分なものや嫌なものを削ぎ落とした後に残った、いわば昇華された過去を愛おしく、懐かしんでいるだけだ」と書いていた。私たちの年齢になると、毎日を楽しく過ごすだけの生活になる。彼もブログで「未来とは、今日とさして変わらない明日があって、いくら、そんな今日と明日を積み重ねていっても、もう確固たる未来や希望があるとはどうしても思えなくなってくる」と書いている。

 孫娘たちから見れば、「人から強いられることもなくていいね」と言うことだろうけれど、それは誠に寂しいということを彼女が知るようになるのはもっと遠い先のことだ。友だちは過去に拘り、昇華された過去に自分の生きてきた意味を見出そうとするが、私は彼の女友だちが「もっと将来の希望のあることを考えましょう」と言ってくれたことに託したいと思う。
コメント
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