友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

卑猥、耽美、背教あるいは絶望、退廃

2012年08月31日 20時05分52秒 | Weblog

 1867年(日本はまだ江戸末期)の今日、フランスの詩人ボードレールはパリの病院で死んだ。46年の短い生涯だった。私がボードレールを知ったのは多分、高校生の頃だ。文芸部の友だちに頼まれて、詩や散文を寄せていたが、その文芸部の友だちの中に、「反逆」「退廃」に憧れる者がいた。そういう雰囲気に酔う時期だった。だからボードレールやランボーは、ちょっと気取りたがる連中の偶像になっていた。しかし、ボードレールやランボーの詩を読んだことがあるのかとなると定かではない。

 ボードレールの父親は第1帝政下(ナポレオンによる独裁)で上院議員の議長を務めるほどの人物であったが、芸術に関心があり、芸術家たちとの交流もあった。妻を亡くした彼は62歳の時、28歳の女性と結婚し、ボードレールが生まれた。しかし、ボードレールが6歳の時に父親は亡くなり、母親は将来有望な軍人と再婚した。父と母の年齢の差、母の再婚などがボードレールの鬱屈とした感情を育むことになったと後の評論家は言うが、何らかの影響はあったことは確かだろう。

 17歳か18歳までのボードレールは、学校の成績はよく、義父の期待に叶うものだったそうだが、その反面で、人付き合いが悪く、教師とも学友ともケンカばかりしていたとある。彼は、「将来は法王、それも武力のある法王になりたい」と語っていたそうだから、鬱屈したものがある。それからどうした訳か、ある説では教師と問題を起こして、退学処分を受ける。けれども卒業資格試験に合格してパリ大学の法学部に籍を置いたというから優秀な人である。

 20歳になって、亡くなった実父の遺産を引き継ぐことになり、働かなくても食べていける財産が転がり込む。それは、彼のダンディイズムというか、退廃とか狂気とか、成長する資本主義社会を先取りしたような「詩」が生まれる土壌になる。しかし、年表を見ると、23歳の時には禁治産者として弁護士の監視下に置かれてしまい、物書きで生活することになる。ボードレールを有名にした詩集『悪の華』の大半は、23歳までに書かれたものと言われているが、彼が文壇に登場するのは美術評論家としてであった。

 36歳の時に、詩集『悪の華』が出版されるが、治安裁判で6編を削除され、罰金を科せられる。この年、義父が没し、母親とよりが戻り、以来たびたび母親に金を無心しているから困った人だ。若い頃は「黒のビーナス」と呼ばれた黒人混血女、ジャンヌ・デュバルとの愛欲の日々を送り、彼女を源泉にして20編ほどの詩を書いたり、中央共和派協会に入会し、2月革命には赤いネクタイを巻いて参加した画家クールベと親交を結ぶなど、政治にも関わっている。

 40代になって梅毒による体調不良に悩み、最後は寺院で見物中によろめいて倒れ、失語症のままパリの病院で亡くなった。彼の死後、全集の出版が企画され、2年後に最初の2巻が出版された。初版は数日のうちに売り切れたという。生前は評価しなかった文壇が死後になって賞賛するという皮肉。卑猥、耽美、背教あるいは絶望や退廃といったものが受け入れられる時代がようやく追い付いてきたのだった。

 明日は誕生日会のためブログは休みます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電話の勧誘と生命保険

2012年08月30日 21時22分32秒 | Weblog

 「赤いダイヤはご存知ですか?」「ええ、小豆のことです」「では、黄色いダイヤはご存知ですか?」「さあ、何でしょうか」「今、一番注目されている商品です」とか、「石油が枯渇していることは知っていますか?ガソリンスタンドの値段も日替わりで変化していますよね」とか、「株はお持ちですか?」「いいえ、持っていません」「株で儲ける人もいますが、もっと安心して儲けられる商品はご存知ですか?」とか、電話がかかってくることがある。そして「必ず、儲かります」と勧めてくれる。

 私が「儲ける気が全くありませんから」と答えると、たいていの人は「そうですか」と言って切ってしまうが、「パンフレットだけでも見てください。お送りします」と食い下がる人もいる。中には「儲ける気がないなんてウソでしょう。お金が欲しくない人なんかいませんよ」と説教してくれる人もいる。そんな人にわざわざ反論する必要はないのだが、「あのね、あなたはまだ若いから分からないかも知れないけれど、世の中にはいろんな人がいるんですよ。それだけは知っておいた方がいいですよ」と、逆に説教してあげることにしている。

 絶対に儲かるのであれば、儲けたいと思っている人がやればいい。お金は働いて得るものと思っているので、汗を流してこそ意味がある。そう言うと、「銀行や郵便局にお金を預けているでしょう。働かずにお金を増やしているじゃーないですか」とまで、噛み付いてきた男の人もいた。「それは資本主義社会の仕組みでしょう。儲けたくてやっているわけではありません」と答えたが、「いや、誤魔化しです。お金が欲しいなら欲しいと素直になった方がいいですよ」と勝ち誇ったように言われてしまったこともある。

 先日、生命保険の人がやって来て、「新しい商品ができたので、買い替えされたらどうかと思いプランを作ってきました」と言う。この生命保険会社とは20代の時からの付き合いだ。母がまだ生きていた頃、「生命保険のやりくりで大変だ」と嘆いていた。そんなに大変なら辞めればいいのにと思ったが、「辞めると掛け金を失うことになる」と言っていた。苦しい思いをしてまで続けなくてはならない保険はおかしい。私は保険には入らないと決めていた。だから教員になって保険の人が職場を回ってきても頑固に断っていた。ところが私が結婚するとなると、「保険はあなたのためではなく奥さんのためのものですよ」と説得されて、保険の内容も検討することなく入った。

 還暦になって保険の内容が変わるからと、担当の人がやって来たけれど、一切カミさん任せで内容は知らない。特別なものでなくて一通りでいいとだけ言っている。生命保険は死んで出るものだから、生きている人のためのものだ。死んでいく自分には関係ないと思っていたら、死んでも葬式代しか残らないのが今の保険だと説明された。生きていると病気で入院が一番お金がかかるので、そのための保険だと言う。それも80歳までしか保証がないらしい。ごもっともだ。でも、後3年くらいは長生きしたいと願っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野田首相への問責決議

2012年08月29日 21時26分45秒 | Weblog

 久し振りに雨が降ってきたが、気温は余り変わらないし、それどころか蒸し暑くさえ感じる。それでも草花の水やりはしなくてもよさそうだ。夜には涼しくなるのだろうか。今週末には恒例の誕生日会を我が家で行なうが、ルーフバルコニーにゴザを敷いて、ビアガーデン風の宴会なので天気が心配だ。

 今年は特に暑いのではないかと思っていたが、そうでもないようだ。25度以上の熱帯夜が昨年は19日あったけれど、今年は今日までに26日あったそうだ。やっぱり今年は異常に暑いはずだと思ったら、おととしは48日あったという。体感などというのはどうも当てにならない。暑い、暑いと思い込んでいる。

 思い込みではないが、野田首相への問責決議案が先ほど参議院で可決された。この言い方が滑稽だけれど、「中小野党7党」が提出していた野田首相への問責決議案に対して、自民党が賛成に回った。もともと7党の案は消費税増税に対して野田首相は許せないというもので、公明党は賛成を拒否して欠席した。3党で合意して増税案を進めながらこれを否定することはできないと筋を通したのだ。

 これに対して自民党が7野党の提案に乗ったのは、国会を早期に解散させようというものだろう。昔、自民党政権時代に民主党など野党が首相や大臣に対する問責決議を行い、以降の法案審議には一切応じられないとして解散へ追い込んだ。全く同じことが与野党入れ替わって行なわれているのは、政治が少しも進化していない証拠だろう。

 問責決議が可決されても、野田首相は屁でもないと思っているようだ。問責決議には何の法的な拘束力がないからだ。けれども、これまでの首相で問責決議を受けた福田さんも麻生さんも、いずれも解散に追い込まれているから、解散は時間の問題だろう。マニフェスト選挙を掲げて、民主党は政権交代を実現したのに、そのマニフェストを守れないなら、その時点で解散するのが当然だった。

 南海トラフで起きるだろう地震で、国は32万人の人が亡くなると予想している。「国民の皆さん自身の努力によってはその数は6万人余りに減らすこともできる」とも説明していた。そんなあいまいな数字を出す必要があるのだろうかと思ってしまった。「政府はこれだけ警告したのだから後はあなたたちの責任ですよ」という誠に勝手な為政者の言い分だ。

 地震や津波は起きてしまえば食い止めることはできない。できることは被害をできるだけ小さくすることしかない。政治の役割は弱い立場の人々を救うことにある。けれども政治はともすれば強い立場の人たちが有利になるような政策を進めることが多い。国会は解散するのか、大阪の橋下市長が率いる「大阪維新の会」が大躍進するのか、そして本当に国民が望む政権の誕生になるのか、どうなっていくのかと興味深い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親の子育ては子どもに伝わる

2012年08月28日 19時05分05秒 | Weblog

 先日の日曜日、朝7時ごろルーフバルコニーで草木に水をやっていた。なにげなく、隣の運動場を見ると男性がひとり動き回っている。前日はこの地域の夏祭り、ステージが組まれ、沢山の屋台や即売所が設けられて大賑わいだったが、夜の内に撤去されて、朝には何ひとつ残っていなかった。そんな運動場を丹念に見て周り、腰のゴミ袋に拾い集めたものを入れている。

 どうも、この学校の先生のようだ。誰も来ていないのに、たった一人で、校庭に残されているゴミを拾い集めているのだ。役目だからかも知れないが、朝早くからやって来て、自分たちが残したものでもないゴミを拾い集めるなんて、そうできることではない。この先生は本当に学校が好きなのだと思った。

 バルコニーから眺めているといろんなものが見える。学校の一角に学童保育所があり、働いているお母さんたちが子どもを預けに来て、夕方には連れて帰る。働いているお母さんだから、帰りはできることなら早く帰りたいはずだ。そのため、グズグズしている子どもを大声で叱り飛ばしているお母さんがいる中で、子どもと一緒にかけっこしたり、鉄棒しているお母さんもいる。時間の余裕はきっとないのに、見ているだけで微笑ましくなってくる。

 いつだったか、名古屋にある「ピースあいち」をたずねた時、夏休みだったから宿題なのか自由研究なのか、小学生や中学生あるいは高校生らが来ていた。お母さんと中学生の女の子が来ていたけれど、お母さんは絶えず文句を言っていた。女の子が資料をデジカメで撮っていたら、「そんなに撮って、何がわかるの?」と言う。女の子が資料を読んでいたら、「いつまで読んでるの!」と言う。女の子が悲惨な写真に目を見やると、「何が調べたいの?目的が何か、あんたはいつもあいまいだから」と言う。

 お母さんは娘さんの宿題なり自由研究なり、その課題についてちゃんと娘さんと話し合って来たのだろうか。少なくとも一緒に来たのだから、お母さんも資料を眺めたり読んだりして、戦争がどういうものだったのか、娘さんと話し合えばよいのにと思った。狭い資料館の中だから、お母さんの言葉は周りのみんなに聞こえてしまう。優しいお母さんというよりも、なんとまあ口うるさい母親だろうとしか思えなかった。

 介護施設でこんな話を聞いた。90歳近いお婆さんがひとり息子と暮らしていた。息子さんがガンに罹り、手術することになって、お婆さんは介護施設でお世話を受けることになった。夏祭りの小物作りをした時、「団扇に願いごとを書いておくと、叶いますよ」と職員が言うと、お婆さんは息子さんの名前を書いて「病気が早く治りますように」と添えたそうだ。いくつになっても母親は子どものことを心配すると職員は感心していた。

 親がどんな気持ちで子どもを育ててきたか、その気持ちはきっと子どもにも伝わっていくだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東洋と西洋の融合?

2012年08月27日 19時27分10秒 | Weblog

 もう8月も終わろうとしているのに、暑い日が続いている。カミさんは朝5時30分に起きてゴルフに出かけた。この炎天下でよく頑張れると感心する。私たちの井戸掘りは、「暑いからやめとこまい(止めておきましょうの意味の方言)」と夏休み状態が続いている。みんな年寄りだから口は元気でも体力が続かないのだ。

 朝、いつの間にかセミの鳴き声が聞こえてこなくなった。夕、地上30メートルのルーフバルコニーでも虫たちの演奏が聞こえてくる。虫はどこからやってくるのだろう。コウロギやマツムシなどの鳴き声が植木鉢のどこかから聞こえてくる。椿の木に小さなカマキリもいた。他所から跳んでくるのか、それともここで越冬するのだろうか。

 暑さの中で、確実に秋は準備されている。北極海の氷の面積が小さくなっているとか、アメリカの干ばつで穀類は高騰し、その影響は計り知れないとか、干ばつがあれば豪雨があり、地球環境の変化に警鐘を鳴らす学者もいれば、全体のバランスは保たれているのでそんなに心配することはないと言う学者もいる。今年の夏は特に暑さが続いたように思ったけれど、人の体感なので実のところはよく分からない。

 暑い、暑いと言いながら、寒い、寒いと言いながら、暮らしているけれど、そういう季節の変化の中で暮らしていけることは多分とても恵まれている。日本に四季がなかったなら、日本人の感性や考え方もかなり違ってしまっただろう。四季は変わるもので、変えることはできない。耐えて待てば必ずよい時がやってくる。私たちは四季の変化からそう学んできた。

 移ろいやすいということは、しかし固執しないことにもなる。水に流すとか、明日は明日の風が吹くとか、責任を追及しないことにもなる。「ゆく川の流れは絶えずしてもとの水にあらず」と諦観してきた。過去のことはもう取り返すことはできない。生きている今を大事にしなければならない。

 キリストもまた、「明日のことを思いわずらうな」(マタイの福音書)と同じようなことを言っている。キリストの場合は過去ではなく、先のことを、しかも思い悩んでいることは愚かなことなのだとその前の部分で指摘している。「空の鳥を見るがよい」とか「野の花がどうして育っているか」とか、キリストの喩えは誠に巧みだ。

 私たち東洋人が四季の変化から流転とか転生を考えたけれど、キリストは「だから神の心を自分の心として生きなさい」と言う。あらゆるものに価値を見つけて生きてきた私たちには「神だけを求めなさい」というキリストの言葉は受け入れがたいものだった。今、世界は西洋化して、キリストの言葉が受け入れやすくなったが、同時に東洋人の変化から学んだ社会づくりにも注目されているから面白い。西洋と東洋の融合?そこから何か新しいものが見えてくるのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原発ゼロに向けて

2012年08月26日 21時26分49秒 | Weblog

 四季咲きの薔薇や日日草、サルビアやアメリカンブルー、クレマチスやマツバボタン、デュランタやランタナなど、夏の花が一面に咲いている。そんな風に植木鉢を並べたのだから当然だけれど、一斉に咲いてくれると結構見栄えもいい。NHKラジオの夏休み電話相談を聞いていたら、「花は仲良く咲いているけれど、本当にそうかな?」と解説の先生が話していた。花は昆虫を呼び寄せるために、いろいろ競い合っているとその先生は言うのだ。

 たとえば、花の色は目立つように派手であるし、匂いもいろいろで虫を寄せる重要な働きをしている。それらはみんな、自分の種を残すために、虫に働きかけていると言うのである。確かに薔薇は甘い香りがするし、日日草は私には臭いと感じる。虫たちもどんな花にでも、蜜を吸いに集まるのかと見ていると、どうも好みがあるようだ。日日草に止まってもサルビアには近づかないとか、選り好みをしている。匂いや色で、呼び寄せる虫を花たちも選んでいるようだ。

 「原発ゼロへあなたも呼びかけ人になってください」と言われた。私は原発には反対であるし、ゼロにすべきだと思っている。ただ、今の私は市民のための市民講座を開催してきた大和塾の事務局を引き受けている。個人が何を考え、どのように行動しても自由だと思っているが、大和塾は政治の問題も取り上げるけれど、政治活動はしないと決めてきたので、呼びかけ人になることはできない。残念ながらまだ、そうした色眼鏡で市民は見ているからだ。

 私自身は政治の問題を特別などと思っていない。政治の議論をする人が、中高年の恋愛事情についても話をする、そういうことがむしろ大事だと思っている。政治の話は高尚で、男女の話はレベルが低いという意識はおかしいと思っている。トータルに、何に対しても関心を持つことが大事なことではないだろうか。

 原発ゼロへと多くの人が思っている。もちろん、原発が無くなれば日本経済が行き詰まると思っている人もいる。どのように思うかは自由だ。だからこそ、自分の考えを持ち、異なる考えの人とも意見交換ができなければならないと思う。自分の考えは正しいから他人の考えは聞かないというのであれば独裁である。自分の考えが正しいと思うのであれば堂々と述べ合うべきであるし、そうすることでみんなの意見を集約できる方向が見えてくる。

 人も虫と同じように好みがある。それは致し方ないけれど、私たちには自分と異なる意見も聞くことが出来る能力がある。原発ゼロを願いながら、同じ党派の人しか受け入れないのであれば、市民の意識は少しも変わらないだろう。幅広い市民が参加できる仕組みを作り出してこそ、新しい時代が見えてくる。既成の概念や運動では新しい市民運動は生まれてこないだろう。

 話し合えることがこれからの道を切り開くと私は思う。原発でも福祉制度でも領土問題でも、根っこは同じだ。人々がみんなで生きていけるようにするためにはどうしたらよいかである。自分や自分の国だけではなく、みんなで生きていける地球にするにはどうしたらよいかである。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「祭りなんだから、もっと楽しもうよ」

2012年08月25日 18時06分42秒 | Weblog

 今日は8月最後の土曜日。つまり夏休み最後の土曜日である。そのためなのか、この地域の夏祭りが隣の小学校で、午後4時から始まった。まだ陽は高く、ジリジリと運動場を焼いている。それでも幼稚園や子ども会を中心にした出し物が次々と登場している。私はバルコニーから風を受けて眺めているだけだからいいけれど、演技をしている園児たちは暑さで大変だろう。

 幼稚園児のバトン演奏、笛・太鼓の伝統的な祭りばやし、吹奏楽団の演奏、芸術大学の学生たちによるバンド演奏などが続く。盆踊りやヨサコイ踊りなどもこれから演じられるようだ。以前は演歌歌手が来て歌ったり、カラオケ大会もあったけれど、もっとみんなが参加できる夏祭りにしようと、内容も変わってきた。

 幼稚園児の「祭りだ、祭りだ」というお囃子の中に、「祭りなんだから、もっと楽しもうよ」という歌詞が何度もできたが、これって何かに似ている気がした。クレージーキャッツだったかの植木等が歌っていたスーダラ節のような、目先の快楽を楽しもうと言っているようで、園児たちはどんな気持ちで歌っているのだろうと思うと、ちょっと笑ってしまった。

 もともと日本の祭りは開放的だ。夏祭りなどは昼間だけでなく夜まで行なわれたから、気持ちもすっかり陽気になっていた。男女の間も急接近だったはずだ。人妻も処女もみんな祭りは無礼講である。だいたい日本には処女という言葉が生まれたのは明治になってからだ。キリスト教を中心とする西洋文化の影響で、男女が愛し合うのは夫婦に限られた。

 まあ、そんな風に日本の祭りはこの時とばかりにみんなが楽しんだ。おそらくどこの国で、祭りはそんなバカ騒ぎを許している。長い間、何の楽しみもなく働いてきた人々にとって、祭りは唯一の楽しみだった。支配者にとっては、政治へ不満が向かう前に、大騒ぎしてエネルギーを爆発させたかったから、無礼講としたのだろう。

 子どもの頃の夏祭りで覚えているのは、6年生の時のことだ。大人に混じって徹夜し、明け方のアスファルトに寝転んだ。まだ生暖かかった。中学の時は好きになった女の子が盆踊りで踊ると噂で聞いて、出かけていったけれど余りに人が多くて見つけることができなかった。私が育った町はすっかり様相が変わってしまった。卒業した小学校の私たちの教室は歴史資料室となり、伝統の夏祭りの道具も展示されていたが、夏祭りはまだ続いているのだろうか。

 午後6時、市長の挨拶が始まった。もう少し暗くなったらバルコニーに机とイスを並べて、カミさんが買ってきた枝豆と焼きソバをつまみに、ビールでも飲みながら祭りを楽しませてもらうことにしよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

受験生の君へ

2012年08月24日 15時25分17秒 | Weblog

 高校3年の孫娘は、大学受験で悩んでいる。受験塾に通っているが、「なかなか結果が付いてこない」とカミさんに打ち明けていた。カミさんは真面目に「どういう勉強をしているのか」とか、「教科書を声を出して何度も読むべきよ」とか、アドバイスしている。あのねえ、1ヶ月や2ヶ月くらい勉強したからと言って、すぐに成績が上がるようなら、そんな魔法があるなら、みんなもうやっていると思うよ。

 「テストで間違えたところをノートに書き出して覚えるという人もいるけれど、そんなことしてたらすーごく時間がかかっちゃう。もっと効率的に成績を上げる方法はないの?」と聞いている。アホっか。効率のよい勉強ができるよな人ならもう既に、学校でトップになっているだろう。いや、そういう優秀な子でも日頃からコツコツと勉強時間を積み重ねているはずだ。

 1日に3時間勉強する子と4時間勉強する子では、4日目でもう1日分の勉強時間に差が生まれる。1ヶ月あるいは1年なら、その差はさらに大きく、1ヶ月や2ヶ月受験塾で勉強しても追いつく筈がない。ではもう手はないのかと問われれば、手はないだろう。それでも受験までにはまだ何ヶ月間かある。それに賭けるしかない。

 受験生も人の子、みんながみんな全時間を受験勉強に注ぎ込んでいるわけではないだろう。1日に4時間勉強する子も、土日は余り勉強しないかも知れない。トータルで見れば、1日3時間の勉強時間の子と4時間勉強時間の子と、1年分以上の差がつく子もいれば、それほどの差がない子もいる。だから諦めずに、最後の最後まで、コツコツと勉強する以外にないのだ。

 結果は、それまでの模試ではなく、大学受験だろう。水泳の練習で「やれば結果は付いてくる」と学んだのは誰だったのか。目先のテストの結果などに振り回されずに勉強すればいい。時々、息抜きに我が家にやって来ては、録画してある大好きな井上真央さんが出演しているテレビを見ている。結構余裕があるじゃないか、焦っているようでもまだまだのんびりしている。それくらいでいいと私は思う。

 偏屈な私は、試験は実力で受けるものだと決め込み、塾には行かず、補講は受けず、中間や期末の時以外は試験の勉強はしなかった。高校3年になって、周りがどこどこの大学を受験すると言い出して、確かにちょっと焦った。担任に「何になりたい」と言われて、「映画監督になりたい」と答えた。確かに映画監督には憧れていたが、憧れだけならまだ他にもあった。

 建築士や造園士、新聞記者である。新聞記者になるには早稲田か東大とこれも勝手に決め込み、自分の学力では入学できない。建築士も造園士も理系だから無理だ。日大芸術学部なら入学できるだろう。しかし、どのくらいの金が必要なのか、そんな金が家にあるのだろうか。そう思っていた時、父親が亡くなり、これで全ては終わったと思った。大学受験はなくなった。バンザイ!だった。

 人生なんてどこでどう変わるか分からない。高校3年の孫娘も、今は目標に向かってひたすら努力する、そういう時を生きている。頑張れ!と言うしかない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブータン王国への関心

2012年08月23日 19時13分07秒 | Weblog

 甲子園の決勝戦は意外な結果だった。試合の内容は決勝戦にふさわしく息詰まる展開で、ドキドキして見ていた。けれど、清原2世になるかと思われた光星学院の北條選手は、難波のダルビッシュと呼ばれた大阪桐蔭の藤浪投手からホームランはおろかヒットすら打てなかった。3対0で大阪桐蔭が春夏連覇したが、本当に選手たちはよく頑張ったと思う。

 昨日の新聞の投書欄に中年の女性がこんなことを書いていた。「広い道幅にもかかわらず、前から走ってきて思い切りぶつかり、そのまま走り去ろうとした男の子がいた。謝りもしないで走り去ろうとしたその男の子に、私は『謝るぐらいして』と怒った。ところが、先を歩いていた父親が私の所まで戻ってきて、子どもに謝らせるどころか、『言い方が悪い』とくってかかった」。

 真剣なプレーイに徹する高校生たちを見ていると、そんな高校生は大人になってもここに登場するような父親にはならないだろうと思うが、確か、ダルビッシュも高校生の時に喫煙したことがあったと何かで書いていたように思う。私の高校時代からの友だちも、修学旅行の時だったかに、タバコを吸い酒を飲んだと言っていた。ちょっとばかり大人になったような振る舞いをしたがるのはこの年齢のせいだろう。

 投書の女性は全面的に非が無いかといえば、そうでもない。彼女は携帯電話で通話しながら歩いていた。避けようと思えば自分も避けられたはずだ。ぶつかっても知らぬ顔をして走り去る男の子は悪い。故意で無いなら女性が言うように、「ごめんなさい」と謝るべきだろう。女性もまた、なぜ「危なかったわね。怪我は無い?今度は気を付けてね」くらい言えなかったのだろう。

 父親が「言い方が悪い」と引き返してまで言ったのは、彼女の言い方が余りに子どもを非難したからだろう。もちろん、ぶつかったのは自分の子どもなのだから、父親としては「申し訳ありません」と子どもに代わって謝る器量が欲しかった。そうすれば、女性の怒りも多少は収まったのかも知れない。

 竹島や尖閣諸島の問題でも、人間はどうして相手ばかりを責めるのだろう。私は領土があるから紛争が起きるのだから、領土を無くせばいいと思うけれど、多分賛成してくれる人は少ないだろう。では、どのようにして解決できるというのだろう。軍備力を強めることが一番確実な方法と言う人もいるけれど、そんなことに命を懸けるのは馬鹿げている。子どもではない、良識のある大人が話し合って解決できないとは余りに情けない。

 「幸福の国」ブータンでは、こうした争いは無いのだろうか。争いはどんな風に解決しているのだろう。友だちもこの夏にブータンに出かけていった。NHKテレビの『家族にカンパイ』でもブータンに出かけている。それだけ、日本では幸福が感じられないということだろう。幸福とは何か、もう一度見直したい気持ちがブータン王国への関心となっているのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老人パワーを発揮するために

2012年08月22日 19時25分28秒 | Weblog

 マンションの工事が終わり、我が家のルーフバルコニーに置かれた工事用の足場が昨日、撤去された。これでようやくバルコニーでのビアパーティーができる。一箇所に固めておいた植木鉢を移動して、また新たに庭造りをしなくてはならない。ひとりでは持ち上げることも出来ない大きな鉢をカミさんに手伝ってもらって動かし、後はひとりで何とかやれるだろう。そんな段取りで始めようとしたら、工事で汚れた場所をきれいにするのが先とカミさんに言われてしまった。

 散水してデッキブラシで汚れを落とす。日陰での作業とはいえ、全身が汗まみれになる。午前9時過ぎ、高校野球の準決勝を見ようと作業を中断する。午後からは日差しがあるので、作業は後回しにして、ゴロリとなりながら読書する。そのうちウトウトと眠りにつく。30分ほど昼寝をした後、マンションの中で大和塾の次回の案内を配る。これまでに来ていただいた方に、次回の案内文の入った封書を郵便受けに入れていくのだが、結構時間もかかる。

 エントランスホールで、80歳を越えた大和塾ファンの女性に出会った。「今度の方はどんなお話をされますの?」と聞かれる。「いつも楽しみなんです。いろんな方のお話が聞けるのは本当にいいことだわ」と言う。「ありがとうございます」とお礼を言い、「もし、こういう話が聞きたいとか、この人の話が聞きたいということがあれば、ぜひ、教えてください。私が交渉して来ますから」と答える。

 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を書いた加藤陽子さんは、この本を書いた理由を「はじめに」で述べている。その中に「小選挙区制下においては、投票に熱意を持ち、かつ人口的な集団として多数を占める世代の意見が突出して尊重される」として、「人口の2割を占める高齢者は真面目ですから投票率も高く、(略)確実な票をはじき出してくれる高齢者世代の世論や意見を、為政者は無視できない」とあった。私は逆説的に受け止め、ならば高齢者が正しく世界を見る目を持てば、世界は変わるのではないかと思った。

 私たちが行なっている市民講座の受講生は圧倒的に高齢者が多い。かつての高齢者は情報が無かったために保守的にならざるを得なかったが、いろんな見方、いろんな考え方、そればかりかいろんな事象を知ることで、考える高齢者になることができる。年寄りになれば保守的になるけれど、少なくとも昔のような「衆」ではない、自立して考えられる「民」となるはずだ。大和塾の市民講座も単なる「教養」を越える域を築いていけるのではないだろうか。

 政治家を見ても、雑誌や新聞などの評論家を見ても、世界中で若い人たちが目立ってきている。私たちのよう高齢者よりももっと保守的な考えや意見の人も見られる。危うさを感じながら、一方で真面目に物事を見つめている人も結構いる。私たちは事態を見守るとともに、私たちもまた発信していけるように、自らを鍛えていく必要があるだろう。老人パワーの方が理想主義でなおかつ建設的ということになるように。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする