友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

あるもの全てが共存する他ない

2021年05月31日 18時08分48秒 | Weblog

 先週から晴れた日が続いている。もう、明日からは6月になる。何もしない日が続いているせいなのか、時の移りが早く感じられる。ルーフバルコニーで掃除をしながら、梅雨はどこへ行ってしまったのかと思った。

 バラと排気口の向こうにデイゴが見え、さらにその奥にペチュニアが咲き誇っているが気に入って写真を撮った(上)。その私の足元の近く、アジサイや水仙の鉢に、いつの間にか何本ものツユクサが背伸びしてきた。

 生命力の強いツユクサは、今やあちらこちらから顔を出している。雑草として駆除するつもりでいたら、友だちのお父さんが好きな花だと言うので止めてしまった。俳人でもあるその人が愛おしむからには、由緒ある花なのだろう。

 万葉集にも詠われているから、随分長くから定着しているようだ。私も子どもの頃、材木の隅の方で咲いているのを見かけ、夏がやって来るのを教えられた。とてもきれいな花とは思えないが、朝に咲いて夕に閉じてしまう可憐な花だ。

 公園や河川や池で、外来種の駆除する様子が報じられるが、外来だからという理由でなぜ排除されなければいけないのだろう。外来種は繁殖力が強く、在来種が無くなってしまうと懸念されるが、それが運命なら仕方ないのではと思う。

 地球に誕生した数々の生命はいろんな形に変化してきた。好きな人も、嫌いな人も、あるもの全てが共存する他ない。だからこそ私たちは懸命に生きているのだと思う。

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その教えが今も残っている

2021年05月30日 17時34分45秒 | Weblog

 私がこの街に移り住んだのは1976年だった。三河から尾張に来て、土地の人からは「きたりど」と呼ばれる新参者だった。けれど、何年か経るうちに、新参者ばかりでなく地元の人とも友だちになることが出来、子どもたちの故郷となるこの地が好きになった。

 9年後の1985年、地元の有力者の後ろ盾を得て、月2回の「地域新聞」を発行することに至った。創刊趣意書に、「この町に住み、この町を愛するあらゆる人々の生活にスポットを当て、その素晴らしい生き方、生活の喜びを報道いたします」と書いた。

 「人の和も、人を知ることから生まれるのではないでしょうか。昔から住んでいる人と新しくきた人との垣根を取り払う共通の場、私たちのこの町をどうすれば豊かで住みよい町にすることができるか、みんなで考えていく共通の場、となる地域の情報紙」を目指した。

 「どこの誰」は重要なキーであったし、本人のOKが得られれば年齢も表した。「新聞に出てたネ」とか、「そんな凄い人だったんだ」とか、町で話題になるように気を配った。声がかかればどこへでも取材に出かけ、自分でも街中をよく歩いた。

 新聞記事の書き方や新聞の割り付けは、高校生の時、学校新聞の印刷を託していた名古屋タイムズの人に教えてもらった。5W1Hがハッキリしない記事は、その場で書き直すように指示された。「記事は出来る限り短く書け」と何度も言われた。

 その教えが今も残っていて、このブログも800字以内で書くように努めている。

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友だちが1冊の本を貸してくれた

2021年05月29日 17時44分55秒 | Weblog

 友だちが1冊の本を貸してくれた。「返すのはいつでもいいから」と言われると、やっぱり早く読まなくてはと思う。三橋貴明氏の『明治維新の大嘘』である。インターネットに広告がよく出ていたので書名は知っていた。

 友だちはどうして私に読ませたかったのだろう。NHKの大河ドラマ『青天を衝け』が、明治維新を扱っているからだろうか。文字が大きく、行間も広いのでサッと読める。著者の三橋氏は1969年生まれで若い。丁度、私たちの子どもの世代だ。

 三橋氏の思考の中心は、縦軸つまり連綿と続く歴史を受け止め、横軸である現代に生きる国民の象徴である皇統を受け入れるなら、「将来のために、自分は何をするべきか」が分かる、そのため著した本のようだ。

 日本人の99%が、明治維新で歴史を断絶し、開国を近代化と称賛し、小国意識を持ってしまった。けれど、日本は世界一歴史の長い国であり、江戸時代の生産力は世界一であり、人口も多い大国だったと説く。

 江戸時代は殿様がいて専制国家の形をとっていたが、不思議なくらい合議で決めていた。村も町も寄合で決めていた。そんなことは中学の歴史で学んでいる。明治維新は歴史の流れである。三橋氏は戦後の自虐史観を嫌うが、反省しなければ進歩は無いと私は思う。

 三橋氏よりもさらに若い、白井聡氏の『武器としての「資本論」』や、斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』の方が私は共感出来た。

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萎縮ばかりでは気が滅入る

2021年05月28日 17時56分41秒 | Weblog

 「私は、市の愛三文化会館に新型コロナの2回目のワクチン接種に行ってきた。それにしてもご丁寧にも、今日が2回目のワクチン接種の日だと報せてくれるリコンファメーションメールが前日に届いていた。リコンファームメールとは、日にちと場所など予約の再確認のためのメールである」。

 大府市に住んでいる中学からの友だちのブログだ。友だちは昨日、2回目のワクチン接種を終えた様子をブログに書いていた。私の市では、5月24日から1回目の接種が開始されたから、随分自治体によって差があるようだ。私自身は早めに打ちたいという気持ちがなく、まだ申し込みもしていない。

 今朝の中日新聞に、「岩倉の75歳以上 84%予約済み」とあった。「同市は4月26日から85歳以上を皮切りに、年代を細分化して順次予約を受け付けて来た」。対象者の84%である5千4百人が個別または集団の接種予約を行ったが、集団接種は6月12・13日に行う予定らしい。

 新聞記事では何人が接種を終えたのか報じていないが、どのように行うかはかなり自治体によって違いがあるようだ。順調に進めばそれでよい訳で、とにかく行政に任せる以外ない。緊急事態宣言のため、行政の行事が中止となってしまい、物足りない。

 伝える方法はいくらでもあると思うので、感染しない範囲で出来ることはやって欲しいと思う。市民活動団体の紹介も取り止めのままにしないで、市民に伝える場を設けて欲しい。萎縮ばかりでは気が滅入り、人のつながりが疎遠になってしまう。

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女優の深田恭子さんが「適応障害」と診断された

2021年05月27日 17時46分50秒 | Weblog

 女優の深田恭子さんが芸能活動を休止するという。昨年春ごろから体調を崩しがちとなり、医師から「適応障害」と診断された。「適応障害」とは聞きなれない言葉だが、ストレスが原因の心身症らしい。生真面目な人ほどなりやすいようだ。

 何のコマーシャルか知らないが、深田さんが真ん中できれいな足を見せて歩いてくる、あれはもう見られないのかと一瞬思ってしまった。でも、コマーシャルなのだから打ち切りにならない限り見られると気付いた。

 本人のことを心配するよりも、情ないことに、男の助平根性が先に立っている。歳のせいにしてはいけないが、きれいな足ばかりに目がいってしまう。それにしてもコロナ禍で、誰もがストレスを抱えているようだ。身体は何も異常が無いのに、心が重いのはそのせいだろう。

 政治家を志している人と話していたら、「もう、バカばっかりでやっていられない」と嘆く。そんなに言うなら止めてしまえばいいのに、あくまでも志を成し遂げたいようだ。だったらどうするか、徹する以外に無い。首長や国会議員になるのは難しいが、地方議員ならなれないことは無い。

 しかし、当選できても一匹狼で出来ることは知れている。それを承知で、少しずつ壁に穴を空けるように地道に努力する他無い。2期3期と努めても、埒が明かない時は覚悟すればいい。努力もせずに、文句ばかり言っていては心身症になってしまうだろう。

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恋は一方的なもの、7ケ月の曾孫の恋は‥

2021年05月26日 18時14分05秒 | Weblog

上の孫が7ケ月になる曾孫を連れてやって来た。カミさんが会いたがっていることもあるが、孫もまた、毎日ふたりだけでいると滅入るようだ。「時々、友だちとランチもしてるよ」と言う。「月に1度は来るね」と嬉しいことを言ってくれるが、1時間ほどの車の運転が心配だ。

 たまたま、私の教え子のクラス写真を見て、カミさんとふたりで盛り上がっていた。カミさんは問題を起こしそうな子に目が行くが、孫は「おとなしくて、しっかりしていそう」な子を指す。それがだいたい当たっているから不思議だが、孫の好みのタイプでもあるようだ。

 クラス写真の子どもたちも今年は古希を迎える。還暦の時のクラス会の写真を見せると、「余り変わっていないね」と、2枚の写真を見比べて言う。みんなそれなりに歳を重ね立派になった。『同級生新聞』を発行している世話焼きは、「催促しないと原稿が集まらないので、次号で終わりにします」と言う。本当にご苦労かけて申し訳ない。

 昨日の新聞の『人生案内』に、70代の男性の「看護師に片思い」が載っていた。「今度、一緒に走りましょう」と話した看護師さんに、「付き合ってくださ」と紙を渡したところ、返されてしまったと悩んでいるのだ。回答者は「性急すぎたのです。自分のことだけ考え、相手の気持ちに思いをいたさなかった、一方的な恋です」と指摘する。

 恋は一方的なもの。生きてさえいれば、最後の恋に巡り合うこともあるだろう。7ケ月の曾孫の恋は、あの世から応援することになるだろう。

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人も花も、儚いけれど、懸命に生きている

2021年05月25日 17時24分21秒 | Weblog

 強い風を受けて、バラの樹が大きく揺れている。このままでは咲きかけたバラの花が痛んでしまう。風に煽られて花弁が散り、無惨な姿になるばかりだ。せっかく咲いてきたのに、誰にも見られずに散るのは余りにも可哀そうだ。

 私はルーフバルコニーに出て、トゲが指に刺さるのも構わずに揺れるバラを捕らえてハサミで切り取り、花瓶に挿して玄関に並べてみた。ちょっとみっともないが、風で朽ちるよりはいいだろう。この世に生まれて、誰にも評価され無いよりこの方がいいはずだ。

 

 最近、女性の作家の方がいい作品を書いている。どうも男性の作家は頭でっかちで、淡々と日常を描けない気がする。村山由佳さんの『ミルク・アンド・ハニー』は、女性によるエロ小説なのかも知れない。性行為の描写がとてもリアルだ。

 感じ方も男と女では違うのかという気にもなるし、いや、即物性を超えた悦びがあるはずだと観念的に考えてしまう。新聞の書籍の広告で、映画監督の松井久子さんの小説『疼くひと』が目に留まった。松井さんは1946年生まれの団塊世代だ。

 「七十歳。年下の男に身も心も溺れて―」とある。読んでみたいと思い、書店に行くが置いてないので、取り寄せてもらうことにした。人も花も、儚いけれど、みんな懸命に生きている。

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デイゴとアジサイの季節

2021年05月24日 17時54分24秒 | Weblog

 今は雨が降っているが、午前中は曇り空だった。ルーフバルコニーに出てみると、デイゴやアジサイの季節になったことがよく分かる。冬の間は枯れ木のようで、果たして芽が出てくるのだろうかと心配だった。

  

 アジサイは新緑の葉がキレイだが、年毎に花が小さくなっていく気がする。デイゴは見事なまでの枯れ木だったのに、若芽がぐんぐん伸びてきて今年も真っ赤な花が見られる。沖縄の県花のデイゴは生命力に満ちた南国の花だ。

 我が家のデイゴは、私が議員だった時、沖縄では無く鹿児島で買ったものだ。地元の中学校の校庭に植えられていて、夏になるとたくさんの花を咲かせるのを見ていたので、衝動的に買ってしまい同僚議員を呆れさせた。

 村山由佳さんの小説『ミルク・アンド・ハニー』の主人公は、幸せを一途に求め続けている。肉の悦びと心が満たされることの一致と不一致が、どこになぜ生まれるのか探し求めていく。『チャタレー夫人』が幸せを感じたのは、心の悦びと身体の悦びが一体となった時だった。

 そんな当たり前のことに私は凄く納得した。村山由佳さんはこの課題をズーと追及している。1964年生まれだからまだまだ女盛りだ。70歳、80歳になって、どうとらえるか、期待している作家である。『ミルク・アンド・ハニー』はジョン・レノンとオノ・ヨーコのアルバムにあり、神が約束した安住の地を指していた。

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欲するものと与えるものは食い違う

2021年05月23日 17時40分56秒 | Weblog

 最近の日曜日の正午は、『アッコにおまかせ!』ばかりだった。私は土曜日の『吉本新喜劇』が好きだが、カミさんは「どうしてそこで笑うのか、分からない」と言う。「『アッコにおまかせ!』は無条件で笑えるからいい」と。

 いつもは見ないのに、今日は『アッコにおまかせ!』が終わると、チャンネルをNHKに変えてくれた。ちょうど、『のど自慢』の最後、ゲストが歌う場面だった。ゲストは坂本冬美さんで、「目をさませば土の中 手を伸ばせば闇を這うだけ」と歌い出す。

 前にも聴いたことがあったが、何と不気味で恐ろしい歌なのか。『ブッタのように私は死んだ』というタイトルも気になった。男に殺され、土に埋められたことは想像できたが、どうしても歌詞の全部を知りたくなって検索してみた。

 「あんなに尽くした私が邪魔になったのね」とあるから、女は愛した男に捨てられ殺されたのだろう。それでも女は、「他人を見下した目や 身なりの悪さは赦す ただ箸の持ち方だけは無理でした」と回顧する。そして最後に、「太陽が西から出て 月がそっぽを向いても お釈迦様みたいにはなれない やっぱり私は男を抱くわ」と結ぶ。

 凄い歌詞だ。まるで、最近読んだ村山由佳さんの小説『ミルク・アンド・ハニー』の世界だ。作詞・作曲は桑田佳祐さんとある。桑田さんが坂本冬美さんに歌わせたかったのだろう。人は幸せを求めるが、そのあり様は様々で、欲するものと与えるものは食い違う。

 

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小1の孫娘を見ていて

2021年05月22日 17時15分53秒 | Weblog

 寂しいのはどっちなの?と思うほど、カミさんは孫たちとの会話を求めている。今日も茨城の小1の孫とテレビ電話をしている。孫は国語の教科書を読んで聞かせてくれたり、「問題を出すから、答えてね」とクイズを出してくれる。

 「読まれるとたたかれるものは?」。何だろうと考えていると、カミさんは「ハイ」と手を挙げ、「カルタ」と答える。孫娘は「よくできました。じゃー、次にいくね」と問題を出す。国語の教科書の読み方も上手だったし、問題の出し方もよく出来ていた。

 小学校1年が始まったばかりで、「自己紹介もちゃんと出来たよ」と言う。カミさんが「みんなするの?」と聞くと、「5人くらい」と答える。積極的に手を挙げているようだ。5月生まれで身体も大きい方だからなのか、結構、世話やきでもあるようだ。

 私は4月生まれだが、何も出来なかった。父も母も先生だったのに、読むことも書くことも教えてくれなかった。国語の時間に、先生が「読める人」と声をかけると、4・5人が手を挙げ、スラスラと読むのでビックリした。小5年になるまで、私は自分から手を挙げることは一度も無かった。

 小1で先生に褒められたのは、写生大会で描いた絵だった。家庭訪問に来た先生が、「将来はピカソになるかも知れないから、絵を習わせるといい」と母に言ったようで、小4くらいから私の恩師となる先生の塾に通うことになった。

 小1の孫娘を見ていて、「この子の方が遥かに上だなぁー」と昔を思い出した。

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